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日本文学の卒論の進め方について

先日就活が終わったので、遅れていた卒論を進めていこうと思っています

曾根崎心中について書こうと思っています
先行研究の結果、最初の道行きを経てお初=観音菩薩の図式が成立することがわかったので、本論ではお初が物語のなかで観音さまとして動いているか(=観音性があるか)を調べてみようと思っています

ここで観音性とは人びとに幸福をもたらす性質と個人的に定義づけをしました
お初に観音性があるかを考えるにあたり、観音さまの化身が人びとを幸せにする曾根崎心中以外の話と曾根崎心中を比較する方法を取ろうと考えています

そこで質問なのですが
①お初の観音性を明らかにするためにこの手段は有効か
②もし有効だとしたら、有名どころで観音さまの化身が人びとを幸せにする話にどのようなものがあるか

をお聞きしたいです
よろしくお願いします

A 回答 (1件)

あなたがここに書いていることは、匿名かつ見ず知らずのネットの他人に相談するようなことではなく、あなたの指導教員に相談するべきことです。


あまりに取りかかりが遅すぎて、怖くて先生に相談に行けないのだとしても、行くべきです。指導教員の知らない所で勝手にいい加減な論の展開を進めてしまったのでは、指導教員も、後から(今の時期になって!)軌道修正してあげたくても間に合いません。

>ここで観音性とは人びとに幸福をもたらす性質と個人的に定義づけをしました

「個人的に」、作品から導き出した根拠もなく、そのように定義付けしてから論を展開するとても危険です。
先行研究の言う「お初=観音菩薩」の見立てと、あなたの考える「観音性」とやらが一致していなければ、あなたの論自体が先行研究の論と合わないものになるかもしれませんし、その場合は先行研究を踏まえての論の展開が難しくなります。
定義ありき・先行研究ありきではなく、まずはじっくりと曽根崎心中を読み込んで、そこからあなたが自分で「この物語にはお初の観音性が描かれている」と考えて(納得して)から、その根拠を物語の描写から探して、論を展開するべきです。
もちろん、その時間がないから焦っているのでしょうが、定義ありき・結論ありきの論展開は、後で自分の首を絞めることになりますよ。

>お初に観音性があるかを考えるにあたり、観音さまの化身が人びとを幸せにする曾根崎心中以外の話と曾根崎心中を比較する方法を取ろうと考えています

まず、観音さまの化身=人々を幸せにする、という定義が正しいかどうか、証明できていません。
その「幸せ」とは、現世での幸せですか? それとも来世での救済ですか? 仏教説話でも、時代によって「幸せ」観は違うでしょうし、観音信仰も時代によって捉え方が違うかも知れませんよ。そこをクリアできますか?
仮に、他の作品の「観音の化身」の描かれ方と曽根崎心中のお初の描かれ方の違いがあるとして、その違いが、「お初が観音の化身であるか否か」ではなく、他の要素による描かれ方の違いではないのか?という質問には、どう答えますか?
あるいは、他の作品と描かれ方が違ったとして、それは「観音の化身として、それまでになかった新しい描き方なのだ」と言い切ることもできますよ(根拠があれば)。
専門ではない私でもパッとこれだけの質問が思いつくのですから、ただ闇雲に比較しただけではダメで、証明のためにクリアするべき問題はとても多いのです。
それを解決するために、指導教員に相談する(=指導を受ける)べきだと思いますよ。

>有名どころで観音さまの化身が人びとを幸せにする話にどのようなものがあるか

江戸時代の以前の仏教説話集に、観音さま(の化身)が登場する話は山のようにあります。
江戸時代の観音信仰が現れている作品となると、あなたの指導教員の専門分野ではありませんか。
そもそも、「人々を幸せにする」の「幸せ」の観念があなたの考えているものとは違うかも知れませんので、何とも言えません。
先行研究などで類似性や違いが指摘されているような「比較するに値する作品」でないと、ただ「観音」をキーワードに無関係な作品との無意味な比較をすることになってしまいます。それに、今からでは、そんな作業の時間もないんじゃないしょうかね。
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