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思想内容で互いに衝突したら 生きるか死ぬかだと言う議論がある。

あやまつなら 悔い改める。これしかない。そうして共に生きる。

勝者も同じくこころすべきことではないか。



そもそも哲学の門をくぐるとき 精神のストリップを厭うなかれと
書かれていなかったか? 見て見ぬふりをしているのか。


負けるが勝ちには ふた通りの意味がある。

相手が内省を怠り みなの意見を聞こうとしない場合 無理が通れ
ば道理が引っ込むとして負ける場合。これが ひとつ。

そして あやまちに気づいたとき 負けをみとめること。これが 
もしそう言うのならば まっとうに生き残れる道である。という場
合。


哲学の門をくぐって来て なお自分勝手が通用するとうそぶく料簡
は いったいどこから来たのか?

哲学カテは 何がどうなっているのか?

A 回答 (2件)

哲学研究者ですね。

私が半分挫折した古代人のピレボスを簡単に説明して下さいお願いします。
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この回答へのお礼

あぁ 残念ながらピレボスについては――プラトンが書いていたような
感じがありますが―― 分かりません。

申し訳ないですが 幅広く文献を渉猟しておらず 研究史の研究も好き
なところだけをやっているという始末です。

せっかくでしたが あいにくでした。


でも ご投稿をありがとうございます。

お礼日時:2016/12/05 12:53

思想内容で互いに衝突したら 


生きるか死ぬかだと言う議論がある。
   ↑
欧米の哲学者にはそういうのが多いと
言われています。

西洋哲学はキリスト教と密接に関係しており、
キリスト教文化に浴してきた欧米人哲学者に
とっては、哲学は人格そのものなのです。

だから、哲学論争では生きるか死ぬか、
までエスカレートするのです。

だから、真の哲学者は日本にはいない、と
言われています。
日本人にとって、哲学はただの教養に過ぎません。

これは儒教も同じです。
韓国人にとって、儒教は血肉になっていますが、
日本人には、タダの教養です。




あやまつなら 悔い改める。これしかない。そうして共に生きる。
勝者も同じくこころすべきことではないか。
  ↑
哲学が教養に留まっている段階
だから、そう考えるのです。

哲学が人格そのものであれば、そう簡単に
誤りを認めることなど出来ません。

やれば、人格の否定になるからです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ~~~~~~~~~~~~~~~
西洋哲学はキリスト教と密接に関係しており、
キリスト教文化に浴してきた欧米人哲学者に
とっては、哲学は人格そのものなのです。

だから、哲学論争では生きるか死ぬか、
までエスカレートするのです。
~~~~~~~~
☆ ですが 次の命題(A)こそが 基本中の基本ですよね?

(A)★★(某質問へのご回答) ~~~~~~
哲学や思想というのは、人間のために存在するのです。

哲学や思想の為に人間が存在するのではありません。
~~~~~~~~~~~~~

☆ そして いわゆる《キリスト教》というのは 思考すべき思想を基礎
とするオシヘを あろうことか 信じよ(つまり 無条件に受け容れなさ
い)と説く精神錯乱から出発しています。
――と批判すれば 万事休すで 済むのでは?


★ 日本人にとって、哲学はただの教養に過ぎません。
☆ 反面(半面)において 異議があります。

必ずしも明確に使い分けていませんでしたが 人間関係での《衝突》は思
想です。つまり実際の生活態度として現われる哲学内容なのです。



★ ~~~~~~~~~
哲学が人格そのものであれば、そう簡単に
誤りを認めることなど出来ません。

やれば、人格の否定になるからです。
~~~~~~~~~
☆ これこそが 最大のあやまちです。

いいですか? ここで言っているところの:
★ 人格
☆ とは その人の主観が考え思っているところの《われ》なる存在を言う
のでしょう。つまりは その人の《哲学》であるにすぎません。

命題(A)を思い出してください。
つまり:
★ 哲学が人格そのものであれば
☆ というのは そこらのただの原理主義者の思い込みです。

そう言えば――そう言うだけで――済むぢゃないですか?

たんぞう2さんのご真意も そうなんぢゃないのですか?

お礼日時:2016/12/02 10:53

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