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10年間飼っていた猫が、病気で亡くなリました。
闘病中は絶対後悔しない世話をしようと、私としては頑張ったはずでしたが、死後にあの時にこうしておけばとか、もっと気を付けていたらと後悔ばかりで、あの子はあの時にどんな気持ちだったんだろうと思うと、自責の念でいっぱいです。

あの子は静かにひとりで激痛(表情や様子から察するに)に耐え、私達になにも手間をかけることなく綺麗に死んで行きました。
後からわかったことですが、亡くなる直前にもトイレに行った形跡がありました。

家の中だけで飼っていました。
外に出たがっていた時期もありましたが、妹分としての猫を迎えてから、外に出してと言わなくなり自由になるのは諦めたようです。
そのことでも可哀想なことをしました。


それでも今は、「虹の橋」のたもとにいて、仲間の動物たちと一緒に草原を自由に楽しく駆け回っているとしたら、こんなに嬉しいことはありませんし私も救われます。
でも残念ながらあのお話は、ペットを亡くして悲しんでいる飼い主を、慰めるための物語としか思えないのです。

失礼ですが「虹の橋」のお話を本気で信じている方がいれば、どうして信じられるのか教えて下さい。
お願いします。

A 回答 (4件)

猫ちゃん、残念でしたね...



私はどちらかというと完全にその話を信じる、という人間でないため、
回答にならないかもしれませんが、
私の場合、家の人とその動物が望む、その先のなにかというのは
あると漠然と思っています。

たとえば、虹の橋に動物が行けると思っている人ならその世界が。
天国のようなところで待っていてくれて、自分が死んだ後、
あうことができ、そのあとはずっとその動物と自分は一緒に暮らせるのだと思うならその世界が。
生まれ変わってまた自分のところに来てくれるのだと思う人にはその世界が、という感じです。

それぞれは矛盾してしまう(生まれ変わったら天国では会えないだろうし)ので、
それぞれを信じているその世界があるといいなあ、というか...
思うというよりは「そうだといい」という希望なのかなと思いますが...
ちょっとわかりにくい例えですみません。
強い思い、とか願い、というのが導く世界もあるのかなと思いたいといいますか。

私個人としては、動物が先に旅立って、その後自分が旅立つ前に
動物が生まれ変わるとあえなくなってしまうので、ちょっとのあいだ
待っててほしいと思ったりします。
そして、できたら天国のような場所があって、そこで再会でき、
ずっと願うがまま(生まれ変わりたい人は生まれ変わって、
そこでずっとその動物と永遠にいっしょにいたいと思うなら一緒にいられるとか)の
存在の仕方をできるといいなとか...

虹の橋は、うちの動物については他の動物がかなり苦手なので、
もし待たせてしまうとちょっとかわいそうという気持ちがあります。
(うまくやれないだろうなあとか、私のことが好きなので、
私をずっと見ていられる場所があるならそこのほうがいいんじゃないかなと思ったりします)
旅立ったら性格が急変したなら虹の橋にいるかもなのですが、
なんだか、うちの動物に関してはそこにいないほうが実は幸せなのかなと思ったり。
ただ、昔いた動物たちは他の動物が好きだったりしましたので、その場合は
虹の橋にいてほしいなあとか...ちょっと勝手な考えかもしれません。
でも、どの動物もなくなったら虹の橋にいくよ、と言われて
私が違和感を持つとしたら「動物がとても苦手で不器用な動物もいる」というポイントでした。
なので信じたいと思っても信じきれない部分があるのかもしれません。
あとは質問者様と同じく、残された側の悲しみをケアするための話という印象もやはりあります。

ちなみに「ペットたちは死後も生きている」という本があり、
読んでみましたら、キリスト教からの立場の本という印象でしたが
読まれるといいかもしれません。
(キリスト教にはくわしくないので、たとえば動物には
魂はないという教義なのかもしれませんが...
少なくともこの本はキリスト教圏で書かれて、
そういう人たちが体験談を書いているという印象でした)
ペットの霊を感じ、絶対的にその存在があるということを信じている
話なので救いはあったように思います。
(絶対的に信じられるかはまた別ですが、完全にそのことを
信じているということは伝わりました)

前にいた猫のことで、私もとても似たような気持ちになり、
後悔や、もっとしてあげたかったこと、すべきだったこと、
しなければよかったこと、時間がたった今も色々と思いが残っています。
けっこう人間は、辛いことや悲しいことの記憶のほうが
長く続くという話も聞いたことがあります。
なので、私もそうなのかもしれず、質問者様もそうなのかもしれませんが、
マイナスの面(その猫に対しての後悔とか)よりも、
もっとその猫が喜んだこと、嬉しかったこと、
その家にいたのが幸せであったこと、というのも実は多いのかなあと思ったりします。
つらい時期なので余計にそんな、ポジティブな方面は思い出しにくいとは思いますが...
その猫は、きっと、いいこともたくさん経験して、幸せだったんじゃないでしょうか。

今から言ってもわからないことで結果論ですけれど、
たとえば外に出すとかなりの率で交通事故や病気などにあって亡くなりますよね。
もし希望通りに出していたらもっと後悔することがあったかもしれません。
同時に2つの道は選べませんが、そのときにそうしたことは、きっとその猫にとって、
いい選択だった、ということも多々あると思いますよ。
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この回答へのお礼

あの子は息子が独占して、弟のように可愛がっていた猫で、一番懐いていました。
私とは距離を保っていたような関係で、世話係りのおばさんくらいに思ってたんじゃないかと。

息子のためにうちに来てくれたような猫でした。
独立して別々に暮らしていた息子が、「○○(猫の名)が死んだらすぐに連絡してね」と言いました。
なぜそんな話になったのか覚えてませんが、10歳なのにまだ死んだりしないし、死んでから会っても遅いわよと思いました。
その後急に、しばらくの間また一緒に暮らすことになった矢先のガン発覚でした。

亡くなる直前には、寝ている息子の枕元まで行った跡がありました。
起きないので最後の力を振り絞ったのでしょう、私が寝ている部屋へ駆けて来て、隅に倒れ込み起き上がることが出来なくて足掻いてました。
様子がいつもと違うので息子を起こし、最後を看取るころが出来、あの子が最後に見たのは息子の顔だったのも救いです。


>「ペットたちは死後も生きている」

読んでみたいです。
亡くなってから2~3日は家にいたかもしれませんが、現在はここにはいないような気がします。
犬も人間(男性)も好きな子だったので、大勢の仲間に囲まれた場所にいたら嬉しいです。

お礼日時:2016/12/26 00:55

決まった宗教は持ちませんが、虹の橋信者です。


仏教もキリスト教も・・・私が学んだ限り
自分が愛した動物とは同じ世界へ行けるとは説いていません。
虹の橋で愛した子達にまた会える。
または、この世では愛する動物にめぐり会えなかった人も
同じように愛してくれる飼い主(人間)に恵まれなかった動物たちと一緒になれる。

どうせなら明るい未来を信じた方がいいと思いませんか?
元々、ペットを亡くして悲しんでいる友人を、慰めるための物語として
昔からあった伝説を親友が書き改めたものだときいています。
信じる人だけ信じればよいのです。
でも、救われている人は私を含め、大勢居ますよ。

本当にペットを愛する人なら、後悔しない別れなど無いと思います。
でも、虹の橋の上から嘆き悲しむ飼い主を見たら
その子だって悲しむと思いませんか?
私なら、自分が虹の橋へ行った時にみんなを抱きしめて
「ごめんね」とあやまるつもりで毎日を送っています。
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この回答へのお礼

虹の橋のたもとなのかはわかりませんが、あの子はあちらの世界で自由に楽しく走り周っているような気がしてなりません。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/12/24 00:54

その「虹の橋」の話は知りませんが


私の不注意と不勉強で飼い猫を死なせてしまった時に
ブログでお付き合いのあった女性の方から
「〇〇ちゃん(猫の名前)は虹の橋を渡って行ったんですよ」と聞かされて
とても心が救われた気持ちがしました。
今でも虹を見ると、そこに○○がいるような気がしています。

「虹の橋」がどんな話なのか知りませんし、もしそれが飼い主を慰めるための物語だとしても
猫が虹の橋の向こうで幸せに暮らしていると思えるのなら、それでいいじゃありませんか。
私は○○は虹の橋を渡って行ったんだと信じています。

○○は腎不全でした。そんなそぶりも見せずに苦痛に耐えていたんだと思います。
いや、もしかしたらそれを訴えていたのかもしれませんが、
全てはそれに気が付いてやれなかった私の責任です。
その後悔からしばらくは仕事も手につきませんでした。
そんな時の「虹の橋を渡って…」の言葉は、とても優しくて嬉しいものでした。
文章書きを仕事にしている自分にとって、改めて
「言葉」の力と「言葉」を信じることを教えてくれた貴重な体験です。

すみません。回答になっていないですね…
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この回答へのお礼

動物はギリギリまで、体調不良のそぶりを見せないそうですね。
うちの子はガンでしたが、食欲不振で病院にかかるもそこで「健康としか言えません」との診断でした。
動物の身体を知るはずのプロである獣医でさえそうでした。
それから一か月後に、別の病院で発覚した時には、もう手遅れでした。

私も友達の言葉に癒されました。
その言葉を選んだ、優しい思いやりの心に癒されました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/12/23 23:07

虹の橋がある事(あるという考え)によって、



ペットロスによる痛みから自分が癒され、また、同じ経験をした方々と、

同じ境遇になれる、「気持ちの繋がり」

が結果として癒される事ですね。

やはり、一人で遣るにはあまりにも耐え難いのですよ。

みんなが待っていてくれると思いたいのですよ。

こんな事、信用するとかしないとかの問題では無いのです。

心の支えの世界です。

そして送る側の気持ちなのです。

虹の橋でみんなが待っていて欲しいのですよ。

仲間がいると心強いじゃ無いですか。

そんな気持ちの表れが「虹の橋」なのです。

ただ、この気持ちがわからない、又は感覚の鈍い方には、

虹の橋なんて関係無いでしょうね。

勿論、虹の橋なんてありません。

けれどあって欲しいのです。

あるペットロスより。
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この回答へのお礼

>同じ経験をした方々と、同じ境遇になれる、「気持ちの繋がり」が結果として癒される事ですね。

そうなんです。
友達のワンちゃんが以前に同じ病気で亡くなり、二人で大泣きしながらお互いのペットの闘病の話をしました。
そうしたら心が苦しくて食事が喉を通らなかったのが、苦しいけどご飯が食べられるようになりました。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/12/23 21:56

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