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伝聞の助動詞は、「そうだ」と「らしい」ですよね。例えと推量を意味する「ようだ」を伝聞として使うのはおかしいですか?
例えば、友達から彼が医者だと聞き「彼は、医者のようだよ。」と人にいうのはおかしいですか?

A 回答 (5件)

おかしくはありません。

ただ、「友達に聞いたのだけど」と言う言葉が、言葉の背後に見え隠れするので、たぶん、「どうしてそう思うの?」とか「誰に聞いたの?」とか、その言葉の後で聞かれることになる気がします。

この場合でも、本質的に「ようだ」は推量であり、その根拠が「伝聞」であると言うだけのことです。ん。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/01/18 19:34

念のために付け加えます。

「伝聞」とは文字通り「伝え聞く」意味を表します。伝え聞いた結果、何かを判断することではありません。そういう意味では、私も「噂によれば」などという言葉を付け加えたのは間違いでした。「ようだ」だけで「伝え聞いた」意味を表すのはやはり無理があります。
 「そうだ」という助動詞は「伝聞・様態」の助動詞と呼ばれます。「台風が<来る>そうだ」(伝聞)「台風が<来(き)>そうだ」(様態)のように形が二種類あります。
 このように「伝聞」ははっきり独立した意味であり、「ようだ」や「らしい」のように、「伝聞」や「客観的な根拠」によって(不確かな)判断をしたり、推量したりするのとは働きが違います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/01/25 20:35

NO1さん、わかりやすいですね。


医者のように見える、医者と思われる、私なら、まずはそのように理解します。
もちろん、前後の話の内容、状況によりますが。
伝聞に基づき判断した主観が入りすぎ?、主観は他人には伝わりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/01/19 12:51

#1さんが簡潔に述べておられますが、


「彼は、医者のようだよ。」
これは伝聞ではなく推量です。
【友達から聞いたことなので、わたしが断定するわけにはいかず、あくまで推量という形になるのだが・・・】というニュアンスで話している構図。
たとえば、病院内で看護師さんなどに指図している男性を見たあなたが、一緒にいた友人に「彼が、医者のようだよ」などと言うこともできます。
つまり、伝聞でなくとも使えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/01/19 12:49

「ようだ」は比況・例示の助動詞ですね。



〔助動〕
(活用は「ようだろ・ようだっ、ようで、ように・ようだ・ような・ようなら・〇」用言・助動詞の連体形、「この・その・こんな・同じ」などの連体詞、および体言に連体助詞の付いたもの、「の」で受けられる連体句などに付く)比況の助動詞。
(1)述語として、不確実な断定、断言することを避ける気持を表わす。語調を和らげるのに用いる。
(2)ある事物を示して、それと同じ性質、状態であることを表わす。
(イ)比喩として用いる。同類のものをあげて、性質・状態を説明する。
(ロ)一類、同類に属することを表わす。同類のものの中から一つを取り上げて例示とし、代表させる。同類中の一例として扱い、そのものだけを問題にすることを避ける気持を表わすことが多い。
(3)主として連用形「ように」の形で用いる。→語誌(4)。
(ロ)あとの述語の部分を省略して、その部分の受持つべき願望、他人への希望、勧奨、命令、依頼などの意を和らげて表わす。

語誌
(1)「ようだ」は、形式名詞の「よう(様)」に断定の助動詞「だ」の結合したものであるが、その活用は、形容動詞に等しい。ただし、連体助詞「の」や「が」を受ける点では、一語の助動詞としてよいか、文法上の取扱いに問題はある。
(2)「だ」の語尾は「じゃ」をとることがある。
(3)中世から近世にかけては、「ような」の形で終止法として使われる例も多い。「中華若木詩抄‐上」の「其竹の翠が、天をも掃ふやうなぞ」、「寛永刊本蒙求抄‐一」の「我に孔明あるは、魚の、水あるやうなぞ」、「虎寛本狂言・鈍太郎」の「久々で参たれば、よ所へ来た様な」、「歌舞伎・一谷坂落‐二」の「わしもこなたをみたやうな」など。
(4)(3)の用法については、語尾の「に」を切りすて、語幹相当の「よう」だけを用いることがしばしばある。「古道大意‐下」の「彼等が目に物見するやう、何分よろしく頼むと申した所が」など。
(5)丁寧体としては「ようです」が使われる。「ようです」の活用は、形容動詞の丁寧体の場合と同じく、「でしょ・でし・です」の三形を用いる。そのほか、形容動詞と同様、文終止の表現として、「ようである」「ようでございます」「ようね」「ようよ」などの形が用いられる。「人情本・春色江戸紫‐初・三回」の「身につまさるるやうですねへ」、「評判記・嗚久者評判記」の「ヲヤヲヤ、夫ではよしだやの様ですね」、「出家とその弟子〈倉田百三〉一・二」の「さながら忘れてゐたものを思ひ出したやうでした」、「好人物の夫婦〈志賀直哉〉一」の「何だか段々嫉妬が烈しくなるやうよ」、「藪の中〈芥川龍之介〉」の「胸もとの突き傷でございますから、死骸のまはりの竹の落葉は、蘇芳に滲みたやうでございます」、「菜穂子〈堀辰雄〉一七」の「明さんは羨ましいほど、昔と変らないやうね」など。
(6)江戸時代に「(を)見るようだ」「(を)見たようだ」の表現が比喩に用いられ、その「見たようだ」から現代の「みたいだ」を生じた。「洒落本・辰巳之園」の「何だか、雨落のきしゃご、見たやうに、しゃれのめすよ」、「洒落本・角卵‐後夜の手管」の「さる所に佐八をみた様(ヤウ)なとふしても色の出来ないといふぶ男があった所が」など。
 このほかに「様態」の助動詞として使われることはあるようです。ただ、「伝聞」の助動詞としての用法はないように思いますが。伝聞はやはり「そうだ」が中心です。
「医者のようだ」というのは「比況」の意味ですね。「いかにも医者らしい」も「医者らしく見える」という意味ですね。「噂に聞けば、彼は医者だそうだ/医者らしい/医者のようだ」と並べると、「ようだ」はやはり影が薄いと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/01/19 00:40

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