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文節末ごとに言葉を区切り、主に"テニオハ"といった助詞を中心に(二文字以上の助詞はその末尾を)高めてアクセントを置いたり、高から低に向かって伸ばすなどの話し方が標準になりつつあります。
語尾が疑問系になる"語尾上げ"とは少し違うようです。
若い女はもとより、老若男女問わず、演説や説明と親和性が高いのか、大学教授はほぼ皆がこの話し方で講義をします。
本来、付属語は弱く発音すべきではないでしょうか。伝わりやすい話し方を目指すならば、内容語を強調するべきで、実際アナウンサーはそういった指導を受けるはずです。
文節ごとに区切りをつけつつ高く長く強めることで、聴者の注意をそらさず、かつ考える間を得ながら話したいという、話者の意図はわかりはします。
しかし、聞き苦しいし、これでは肝心の内容が全く伝わりません。
みなさんはこのような日本語を普段使っていて平気なのでしょうか。
また日本語は昔からこのような話し方だったのでしょうか。

A 回答 (4件)

昔の日本語では、論理関係を明確にするための助詞は、多分、使われていなかったのだと思います。

たとえば、「花 咲く」、「文(ふみ)読む」のように、主格の「が」、目的格の「を」は通常省略します(もともとなかったと言うほうが本当だと思います)。助詞は、強調するための助詞として、「は」、「ぞ」、「なむ」、「こそ」のような係助詞(文の特殊な終わり方とともに)が使われていたのだと思います。
次第に、話す内容が複雑になり、あいまいさを避け厳密に述べるために、格助詞「が」、「を」が使われるようになってきたのだと思います。
今日では、主格や目的格の助詞を省略した言い方をしたら、古臭いという感じになります。それだけ、論理性を明示するために格助詞を用いるのが普通になっているということです。つまり、格助詞を用いても、強調したことにはならない、ということを意味しています。
このような流れをみると、論理関係を強調するのに、助詞を用いるだけでは、不十分と感じられるようになってきているので、強調の手段として、高く強く発音したり、文節を区切って発音したりする傾向が強まってきているのだろうと思います。
そして、このことは、あなたが述べているように、演説や説明に多用され、教授の講義にも使われているということによって、証明されているのだと思います。

「に」、「は」については、上の説明では、駄目なような気がします。
「は」は、元は、係助詞でしたが、今は副助詞といって、強調、取立てなどを表しているので良いのかなと思います。「に」は、場所や時を表す格助詞ですが、昔は使われなかったのかどうかは、よく分かりません(「山 登る」のような言い方をしたのかもしれませんが、そのような例を見たことがないので、、、。あれば、上の説明にあって都合が良いのですが、古文をあまり読んだことがないので、分かりません)。

高く強く発音したり、音節ごとに区切って発音したりしても、話の内容が伝わらないとなれば、強調のための何か話し方の新しい工夫が出てくると思います。聞き苦しいかどうかは、人それぞれの感じ方の問題ですから、難しい問題です。
話している人は、ここを強調したいのだなと好意的に見て容認できれば、聞き苦しさも我慢できるのだと思います。あなたの場合、聞き苦しくて内容が頭に入っていかないから問題にされていることも十分に理解できますが、普通に話してくださいとお願いできないような場合には、話し方に気をとられないで、内容に集中するほうが良いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

いくらなんでも、そんなにも昔の古語のように、助詞をなくせ、と言いたいのではありません。
英語と同じように内容語に比べてすこし弱めれば良いということです。

日本語は元来論理的でない言語といわれています。それのみでは曖昧で伝わりにくいので、助詞を補い、更に強調することで、意味内容を明確にしたい、との意図で以って選ばれている話し方、というのなら、納得がいきます。
しかし、一般の日本語ネイティブに、"が"と"は"、"を"と"に"、を使い分ける根拠を問うて、説明のできる人はいるでしょうか。

私には、この助詞の強調という現象は、語末を五段活用するフェラー(あー、えー、というやつです)の代替、いわば単なる癖としか思えません。
適当な憶測ですが、20年ほど前の若い女性が使っていた若者特有の話し方が、彼女たちが大人になって子どもに伝わり、それが若年層に接する機会の多い教員に伝染し、テレビ等によって拡散した、というように。

正直、このような問題を扱っているサイトなど皆無なので、ここに質問を出しても
不快に感じるのは私個人の主観の問題と、相手にしてもらえないと思っていました。
ご回答感謝します。

お礼日時:2017/01/31 17:56

syun4598 さん、お礼ありがとうございます。


その中に書かれていることについて、英語を例に挙げるのは、違うような気がします。英語は、語順で論理関係を表しますが、日本語は、語順は比較的自由ですから、語順で論理関係を表す機能は弱いのではないかと思います。だからこそ、助詞が発達したのだろうと思います。内容語を強調するときに、語順を変える(強調するものを先頭に持ってくる)のは、英語でも日本語でも同じです。論理関係の強調方法があるか、ということです。今書いたように、英語では、語順で論理関係を表しますから、語順を変えると意味が違ってしまうので、それはできせんが、日本語では、語順も変えることで内容語を強調することもできます。私が、問題にしているのは、論理関係の語順以外の強調方法となると思います(私は、知りませんが、古典語のラテン語、ギリシャ語は語順が自由だそうです。その代わり、対応関係をはっきりさせるための格の活用が複雑だとのことです)。

内容語だけで話が済むわけではないということは、分かったうえでのことだと思いますので、すべてが強調されるようなしゃべり方(論理関係も、内容語も強調するつもりがないのに)は良くないという意味であれば、その通りだと思います。
フェラーかといわれれば、そんなつもりで言っているようには、私には見えませんから、いわれるように、癖なのでしょう。
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この回答へのお礼

ちょっと、どういう話し方なのか、伝わりにくくてすみません。
「助詞上げ」などのキーワードで検索すると、それと思われるサイトが見つかります。アナウンスや朗読指導のサイトが多いようですが。
私もなんという話し方か知らないのでうまく探せません。

http://blog.goo.ne.jp/maruness2002/e/2dccb947fa2 …

十代~三十代の女性が特に酷いです。
助詞に限らず、文節末が助詞以外であれば、何でも語尾だけを強調するのです。
頭を回転させるための間と、聞き手の注意を向けさせるためでは、と私は思ってしまいます。

おっしゃる通り、日本語は語順も比較的自由ですから、助詞にこだわらずとも、より伝わりやすい話し方という観点で考えるなら、もっと違うアプローチをすると思います。
事実、音声メディアにおいて、言語伝達のプロであるアナウンサーは、内容語をはっきり、付属語を弱く、そして、文節単位では、語頭から語末にかけてピッチを下げて発音します。

誰でも退屈な授業の時に先生の「えー」の数を数えた経験があると思いますが
私はあまり頭が良くないので、話者の話す内容より、耳障りな音としての癖が気になりすぎるのでしょう。
それが、内容伝達のために、何か役立つ理由があってそうしているのなら、少しは寛容になって聞けるのかな、と思うのですけどね。
せめて、教育者やマスメディアに出るような立場の方だけでも、自分の話し方に自覚的になって欲しいものです。

お礼日時:2017/01/31 19:29

的外ぇ でしたらぁ ごめんなさーい。


 と、はじめに謝っておきます。

 いろいろな考え方があるかも……です。
 若い女性に多い「語尾を伸ばす話し方」というのがあります。
【語尾 伸ばす】あたりでネット検索するとゾロゾロひっかかります。
 下記あたりが参考になるかも。
【語尾を伸ばして話す人の心理とは。なぜ語尾を伸ばして強調するのか】
https://ikejo.net/gobi-nobasu-shinri-17497

 ご質問の趣旨は、「助詞を強調する」ですよね。
 だとすると検索のしかたがわかりません。
 ちょっと似てるのは、いわゆる「アジ演説」などに用いられた独特の話し方かもしれません。
http://zokugo-dict.com/01a/ajiru.htm
===========引用開始
まず、アジるの『アジ』とは扇動・運動・論議といった意味の英語「アジテーション(agitation)」の略で、これに動詞化する接尾語『る』をつけたものがアジるである。つまり、アジるとは人の気持ち(主に不安や不信)を煽りたて、ある行動に引き込むことをいう。アジるは昭和の始め頃に使われ始め、全共闘時代には演説や檄を飛ばすことを指し、特に頻繁に使われた。
アジるの使用例
• あの社長、若い頃に演説運動していただけあって、うまくアジるねえ。
• アジる記事を書いておいて、他人事という姿勢が許せない。
===========引用終了

 具体例を文字で書くのはむずかしいのですが下記をご参照ください。
【「すべからく」の話〈1〉〈2〉】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12099055381.html

『本が好き、悪口言うのはもっと好き』所収「まっくろけの猫が二疋」(高島俊男)文春文庫P.37~ 
==============引用開始 
 わたしは、このかたたち(いずれも大学の先生である)がなぜ「すべからく」という語を「すべて、全部、みんな」の意味に用いるのかが、どうも解せなかった。そして今、岡留さんの文を読んで、「そうか、これはきっと、〝新左翼と全共闘運動にかかわった〟人たち特有の言い方なのにちがいない」と思ったのである。 
 あの一種独特の演説はわたしも聞いたことがある。 
 「われわれわあ、大学当局のお、攻撃を粉砕してえ、学内諸勢力おお、すべからく結集しい、……」などと最初に演説した人は当為の意味に用いたのであろうが、聞くほうがそれを総体の意に解し、次に演説する人はもう全部の意に用い、やがて一定世代、一定範囲のうちに行われるようになったのではないか──というのがわたしの「わかった!」なのである。あまりあてにならないかな。 
==============引用終了
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この回答へのお礼

リンク先を拝見し、少し理解できました。
不自然さを演出して注意を向けさせるなんて稚拙なやり方ですね。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/01/31 21:04

おっしゃることは、よく分かります。

わたしは「新左翼調」と呼んでいます。時に人前に立って話すとき、(マイクを使うとなおさらです)書き言葉で言えば、「句点」の直後でよく起こります。
 「が」「は(わ)」「を」「で」一般のテニヲハに限らず、区切りの音節を一旦高く言いだして、終わりを低くする、漢文の「四声」の「去声」に相当するような感じです。日本語のアクセントは普通「音節」単位で「高低」が決まりますが、まるで中国語のように、「ワ」や「ガ」が後下がりになるというふうに理解しています。「音節」のなかで「高低」の動きが起きるのです。
 時代的にいえば「安保闘争」時代の学生が、いま教壇に立っている可能性は考えられると思います。
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この回答へのお礼

まさにこれだと思います。

政治に縁遠いような若い女性までが甘えた声でこの話し方をするのですから、
何か日本人の性質に合っていて、かつ日本語の貧弱さを補う機能があるのかもしれません。

中国語の話で思い出しましたが、
私の母は富山の出身で、母と祖母の話す富山弁をたまに聞いていたのですが
これと韓国語の語尾のイントネーションが似ているそうなのです。
なんだか、いちいち相手になすりつけるような感じを受けますよね。
ゆすり音調というワードも見つかりました。
方言の中でならば気にならないのに、標準語でやられると我慢がならないものです。

でも、日本語の発音を、視野を広く持って見てみようと思えました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/01/31 21:20

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