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来年度から高2になる者です。大学の進路について皆様のご意見をお聞かせいただきたく思い、投稿させていただきました。

私は本が大好きです。国内の文学も大好きです。近頃は谷崎潤一郎にのめり込んでいます。

そこから、文章に関する学問を専攻したいと思いました。

けれど、国文学科や日本文学科の内容は現代文の授業の延長線上にあるような気がして、私には興味が持てません。とはいえ文芸学科は調べても学校ごとに大きな差を感じたり、一目見てそうとわかるような学部名でなかったりしてしまい、授業が想像できません。

私は小説や詩は芸術作品の一部だと思います。なので、大学で芸術作品として小説を読み込みたいです。

そこで、私の望む学問により近いとあなたが考えるのはどちらでしょうか。「芸」「学」の一文字でも構いません、皆様のご意見を教えてください。

A 回答 (5件)

いま経営学部と言われる多くは20年前に商学部と呼ばれていたところです。


その当時商学部教授だった人が今の経営学部教授です。
多くの大学では「ウケ」るようにこのような看板を出します。
看板は定期的に新しく更新されます。真新しい目立つ看板よりも内情・実情どのようなものが行われているのか、もっと真剣に捉えてもいいのではないでしょうか。

正直なところ、文字をおっかけてるのに意味は感じません。
偏差値70の大学の経済学部と偏差値40の大学の経済学部は名前は同じですが授業内容が
似ているとはとても思いません。

また4年間文学や文芸を習っても身になるとも思いませんし、それを誇るようなものでもないと思ってます。

※自身は慶応大学の法学部を出てます。世間的には名門大の法学部卒です。
しかし現実には法曹の10%も習得したとは思えませんし、社会に出て(大学院も出ておらず、法曹資格も無いのに)法学の専門家と見られることももちろんありません。


厳しい言い方ですが、教授や学部、個々人で大きく違うので名前を追いかけるような選び方はかなり危険だと思います(いまの思いが4年間続くとは思えない。入学までは受験生はお客さんですから大学はとても上手いこと言うでしょうが)。
損得勘定で大学を選ぶのは反対ですが、看板で選ぶのはちょっとアホっぽいというか、社会に出たときに本当に身になるのか?と思うことはあります。

あなたが求めるのは学部よりも総合大の文芸サークルのような気がします。
わざわざ研究でやるようなものでしょうか。
ちなみにあなたが求めることでいえばロバートキャンベルが近い気がしますが、彼は九州大学文学部講師を経て現在東大総合文化研究科比較文化研究室教授です。
明治大学文学部教授で教育方法論を教えている斎藤孝も古典文学の専門家です。
大学サイドとしてはこの分野は売りやすい商品ではないですから、
過去に作家が多く出ている大学のほうが許容量は大きいような気がしますね。
これらは通常、東京6大学になります。そしてここには文芸学部はありません。
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この回答へのお礼

早々の回答ありがとうございました。サークルという手段まで考えていませんでした……。

お礼日時:2017/03/02 16:13

文学は literature、文芸は一般には liberal arts、または literature and the arts、あるいは単に the arts、だそうです。



文学はテキストの文化、1ないし2バイトの集合体で表現されるアート。つまりアートの1ジャンル。というのが一般的な解釈でしょう。

ノーベル文学賞をとったボブ・ディランの楽曲あるいは詞は文学か文芸か、はたまたエンターテインメントか。演劇や映画のシナリオは文学か文芸か、芸術か芸能か。絵本作家は作家か芸術家か。谷崎の「文章読本」は、あるいは漫画の原作はどうなのか。小林秀雄は文学ではないただの評論か。はたしてジャンルの線引きが必要か。可能か。意味があるか。

「学芸」と言う言葉もありますね。学問と芸術、これもliberal artsであったり、arts and sciencesであったりします。学問と芸術の境界に境界があるとすればどこか。こんなのは人類永遠の命題なのかもしれない。そしてテキスト文化は両方の中心にあります。

あなたの興味が「芸術作品としての小説」だけに向いているとしたら、それを文字通り追いかけるなら狭義の「文学部」なのでしょう。しかしまだ入り口にも立てていない今は看板にこだわる意味はないだろうし、こだわるなら師、人でしょう。

つまり谷崎にどっぷりはまりたいなら谷崎研究者のいる大学を探せばいいでしょう(その教授が定年退官されたら困ることになるので年齢には注意)。また教授陣だけを基準にしてしまうと師以外の人=つまり友、周囲の学生の興味や探究心が自分と異なりすぎた場合に、学びの場全体に強い違和感を覚えるでしょう。

実生活に役に立つかどうかはここでは無関係です。文学部と理学部のない(あるいはこれらを軽んじる)大学は大学ではないという考え方もあります。就職はもちろん大事ですがそれを第一義としそれ以外の価値観を認めないなら、そこは大学と言うよりはビジネススクールです。慶應の始祖福澤さんは実学の人、言ってみれば俗人ですが、三田の文学部も名門として存続しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。学部ではなく師で選ぶ、というのは気付きませんでした。研究者にスポットライトをあてて調べてみようと思います。

お礼日時:2017/03/02 16:17

高校と大学の違いは


中学もそうですが
そこまでは今までの文学などを教えてもらい
勉強しましたが
大学は教えてもらう勉強ではなく
研究することになります

いままで理解できなかったこと
埋もれていたものなど
未知の研究になります

多くのみなさんは
大学に行っても、高校時代のように
先生から教えてもらう授業のつもりで
入る人が多いようですが
今度は大学になると
教えてもらったことの研究をしなければなりません

興味がもてないというのは
たぶん、大学に入っても高校時代とおなじような授業なのだろうなあと考えていらっしゃるかもしれませんが
違います

それが
卒業してからも
大学時代の研究の続きとして就職の目安になるのですが
多くの皆さんは
大学と高校は同じだと思っているのですね

たださらにむずかしくなるだけだと思っていらっしゃるようですが
違います

ですから
質問にありました小説を読むために入学するのではなく
谷崎なら谷崎のもっと深い
いままでのような読み方ではなかった読み方
なぜこのような作品が書かれたのか
この時期になにがあったのかなどと
もちろん読者ではあるのですが
研究者になる必要があります

「谷崎潤一郎伝」 古谷野敦著 中央公論社

ただの伝記ではありません
あたらしい切り口の本でした

こういうのが、大学に入って(なくてもいいのですが)
文学の好きな人の読み方なんですね
研究なのですね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。大学の授業は正直、まだよくわからないところも多いですが、高校とは桁違いなほどに自主性を求められるのだなというところは分かりました。研究というほど深く考えられる自信はないですが、目指してみようと思います。

お礼日時:2017/03/02 16:22

あなたが将来、谷崎研究の第一人者になって、大学の教授になったとします。


どこの教授なんでしょうか。
xx大学文学部、xx大学国文学部、xx大学日本文学部、xx大学文芸学部、教授を募集してます、なんて告知があって、応募して、審査されて、採用される、かもしれません。
その場合、組織名称で応募先を選びますかね。
勿論、xx大学文学部は英語ばっかりやってる、古代史ばっかりやってる、心理ばっかりやってる、それで日本文学の資料が全く足りないので自分が研究するのに適した環境では無い、なんてことで、応募しないことならあるかもしれません。
ただしそれは、組織名称によらないでしょう。
逆に、理科大学工業大学から募集があって、あんまり学生の面倒を見る必要が無いから研究が捗りそうだし、研究って手持ちの資料で十分できるから、そこがいいや、なんてことまであります。
ま、だからといって、今のあなたが理科大学工業大学を選ぶことは、しない方が良いですが。
更に逆に、数学統計学の専門家が、日本文学をやるような所に採用されることだってあります。特に理数系の人をからっきし抱えてないような大学、ひょっとするとキャンパスだと。
数学統計学ができないと、文学を分析する際に、そういう当たり前のツールが使えない学生しか育たないから、なんてことも無い訳では無いはずです。
特に心理学を抱えている文学部なら、統計の専門家が居てもおかしくありません。
コンピューターの専門家も同様かもしれません。

そんなこんなで、例えば谷崎研究だとかその辺りの研究、という括りで見た場合、A大学の文学部とB大学の国文学部が似ているが、C大学の日本文学部とD大学の文芸学部は毛色が違う、なんてことは普通にあります。
どういう教員がどこに居るか、ということになります。
大学名称や学部学科名称を見ても判らないでしょう。
各大学の該当しそうな学部学科の、教員の研究を見ていって、内容は解らないと思いますが、自分のやりたいことに関係ありそうか無さそうか、と見ていきます。
また、学科・コースの構成やカリキュラムやシラバスを調べ、関係なさそうな講義が多いところは疑問符を付けます。判りませんがね、谷崎研究の第一人者が居るかもしれないし。

一般的には、文芸>文学>国文学日本文学、と範囲が狭まりそうな気はします。
上記の通り、狭まったところで、狭けりゃ良いとはなりません。
一般教養とはまた別の、専門をやる上での狭義の専門とは別の知識が必要になることは普通にあるはずですので。
また、文学文芸と、括り自体が広くても、自分の専門周りの優秀な教員が多く、コース制などであまりにも無駄な講義を選択せずに済むのであれば、全く問題ないこともあるでしょう。
国文学日本文学と銘打ってあっても、自分が専攻したいような分野の教員は居なかったり、教員数自体少なすぎたり、当然ゼミがお粗末だったり、勉強研究の資料が不足していたり、直接専門では無いが必要な分野の講義がお粗末だったり、というところなら、いくら範囲が絞り込めていても良いところでは無いでしょう。

> 国文学科や日本文学科の内容は現代文の授業の延長線上にあるような気がして、
> 私には興味が持てません。
> とはいえ文芸学科は調べても学校ごとに大きな差を感じたり、一目見てそうと
> わかるような学部名でなかったりしてしまい、授業が想像できません。

この辺りはオープンキャンパスが参考になるかもしれません。
自分が受験しそうな大学を中心に、それ以外も色々顔を出す、特に文学文芸の当日講義があるような所には参加してみると良いでしょう。
オープンキャンパスをどれだけあてにして良いかは甚だ疑問ですが、行って色々聞いてみる方が良いでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。私は名前にこだわりすぎているのですね……。これから沢山オープンキャンパスなどにも行って、詳しく調べなおそうと思います。

お礼日時:2017/03/02 16:25

2つはときには同じように使われることがあります。


それは芸術の1ジャンルとしての言語芸術の意味です。
書店の文芸コーナーにあるのは作品としての小説・詩歌などの文学作品です。
文芸にはその意味しかありませんが、文学はもっと広い意味でも使われます。
書店の文学コーナーにあるのは作品そのものではなくそれを学問的に研究した本です。
文学はさらには人文科学の別称として用いられることもあります
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。言葉の意味もあやふやだったようで、この回答を見てすこし何かが腑に落ちました。

お礼日時:2017/03/02 16:27

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