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人間は何故生きているのでしょうか?どうして 何の為に?

人それぞれ違うのでしょうか? 違わない事もあるのでしょうか?

A 回答 (35件中1~10件)

生きているのは人間だけではなく、あらゆる動植物も生きる意味は同じです。


決定的な違いは、知識があることです。

> 人間は何故生きているのでしょうか?
こう考えるのは人間だけです。他の動植物に聞いたわけではありませんが。
考えることができるだけ、目的を明確に持てるだけ、幸せです。
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この回答へのお礼

ありがとう

私は体は動物で その知識、意識、精神こそが人間だと思います。

考える精神として存在出来るだけ幸せなのですね ありがとうございます。

お礼日時:2017/03/17 12:08

その疑問には、「この世が全て、死んだら無」なんて思っていると答えは見つかりません。


この世には、基本的には「魂の成長のため」に生まれてきているのです。

もちろん、これは大目標であって、人それぞれにいろんな、中目標、小目標があるってことですね。
ある人は、スポーツで、ある人はビジネスで、ある人は芸能の世界で活躍することを目標にしているでしょう。
また、ある人は、幼いうちに病気や事故で死ぬことを計画して生まれてきたりします。

まあ、いろいろと事情があって、ひとそれぞれってことです。
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この回答へのお礼

ありがとう

魂の成長ですか。じゃあ何で魂が成長しても死ぬんですかねえ

魂が成長したらこそ生きてれば良い様な気がしますが。

あの世があるという考えでしょうか?輪廻転生するという考えでしょうか?

お礼日時:2017/03/17 12:15

>人間は何故生きているのでしょうか?


その答えを見つけるためです。
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この回答へのお礼

ありがとう

答えが始めから分かっていたら もっと色んな事が出来るでしょうねえ。

答えは何なんでしょうか?

お礼日時:2017/03/17 12:16

>人間は何故生きているのでしょうか?



端的に申し上げると、慣性の法則に従っているからでしょう。

>どうして

法則なので、why が関与する余地はありません。
最初の段階で、精子が卵子に向かって勝手に運動するように人間(生物)はできているので生きるより仕方がなくなるだけの話。
それ以上は、こうした法則がなぜ存在するのか、という方向性で考えるしかなくなりますが、究極的には、なぜ宇宙が存在するのか、という論点に収束していくことになるでしょう。
いろいろ推測してみるのも面白いかもしれませんが、おっしゃるところの、
> 何の為に?

for what について考えるのは有為であるように思います。
むろん、当初から運命づけられている「何」を探るといったことではなく、自らの独自の思考によって紡ぎだされるはずの「何」です。

>人それぞれ違うのでしょうか? 違わない事もあるのでしょうか?

「違う」と評価する対象(切り口)をどのように設定するかで多様な答えは出てきますが、たとえば、個体として向かう先は「消滅」しかありませんから、その点では違わないでしょう。
それまでにどのような軌跡を残すかは、個人の好みなのでそれぞれ違う。
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この回答へのお礼

ありがとう

個体として向かう先は消滅かもしれませんが

人は遺伝子を残し次世代が成長することによって今が実現しています

人間は70億人を越えて繁栄しすぎる程繁栄しました

本当に消滅に向かっているのでしょうか?永遠の命を繋げているのでは?

お礼日時:2017/03/17 12:38

自灯明 法灯明




なぜ私がこのような解説をいちいちと思うけれど、

自分で考えればいいのに、
バカにされてお前と同じだとか反応するのは
主体性が無いよね。

一体何故わけのわからないYou Tuberだの
ゲーム実況者が誕生して

お前と同じだなどという反応をするのか?



少しは仏教の勉強でもしたらどうだとか思う。

自分で何も考えず誰かの話に従って
失敗すれば他人のせいにして生きていくしかないとか

お前の人生なんか知ったことか。

これくらい突き放したほうがいいのかもしれない。


なぜ私がそいつらの人生に付き合わなければならないのか
全く意味がわからない。
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You Tubertとかゲーム実況者は生きていて楽しいのだろうか?


スーパーの店員だったほうが幸せだったのではないか?
今の生活は全部虚偽なのではないか?

エアロスミスに会ってもYou Tuber自身は
なんでもないだろう?

つらくならないのか?

みんなが凄いというのはエアロスミスで
どこかのYou Tuberでは無いのだよ。

子供相手にガキ大将気取って
悲しくしないのか?

それとも幼少期になにかあったのか?

カウンセラーにでも相談したら?

これからもお金をたくさん稼いで
You Tubeを大きくしていってあげてください。
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この回答へのお礼

先生はここで何がしたいのでしょうか?

答えになってるのでしょうか??

お礼日時:2017/03/17 19:03

少しでも、神に近づく為ではないでしょうか?

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この回答へのお礼

Thank you

神ですか 神が実際どんなものか 霊者でしょうか?完全な精神と能力でしょうか?

髪に近づけたらいいですねえ。修行しようかなあ。

お礼日時:2017/03/17 19:07

その問いに対する答えとして なぜ生きないか? と問うのが 自然で


ふつうだと考えます。

ということは なぜ生きないか? と問うようになるために生きている
という回答になります。

なぜ生きているのか? という問いに対して なぜ生きないか? と問
うことが 回答だという意味は 《わたしは 無根拠において生きてい
る》と言っていることになるとも考えます。

つまり その意味は 《生きることの理由はない》という回答なのでは
なく そうではなく 《無根拠において生きている》という積極的な理
由と言えば理由だということです。

おそらく人によって回答は 異なるのでしょう。と同時に 《無根拠》
説が 普遍的な存在のあり方ではないかとは思っています。

無根拠ですから 哲学的にも感想としても そこに一定の思考があると
いうわけではないということ。になります。ヒラメキにおいてそう受け
留めているといった意味です。
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この回答へのお礼

Thank you

無根拠に生きるというのは ひょっとして 生きる為に生きる という事でしょうか?

存在するために存在するみたいな。それなら納得が行くのですが。

お礼日時:2017/03/17 19:13

物質に「目的」はありません。


しかし、原理的には無目的であるがゆえに、現象的に二次的に必然的に生じる目的というのもあるのです。
物質としての「無目的」は、現象的には淘汰(エントロピー増大)となり、二次的に存続する能力の増進=進化を導きます。
「いやオレは違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わって種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするように収束するのです。

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、これも「オレの生きる目的は意志の充足じゃない!」と主張したところで、それも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
その結果として、生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。

上記の“式”に「認識」やたらに出てきて、認識の深まりが充足感の追求において重要である事が分かります。
「精神的充足感のため」は、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、認識の深まりにおける、最大限の大きな目的、最大限の愛を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。

であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。

要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。
(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)

      存在すること
        ↓
生きること(体)  +  認識を深めること(心)
    ↓            ↓
組織化(分業=助け合い)の追求:精神的充足量の追及
    ↓            ↓
自律的社会行動(生産)×社会生命的自覚化(愛)
(エントロピー増大の反力としての反エントロピー)
=生きること自体による充足=人生を通算した最大充足
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しあわせになるために、生きてると思う。


それは人によっては、そう違わないだろう。人がしあわせを求めるという点で、人それぞれではないだろうということです。

ここで、しあわせとは何かが問われる事になり、答えをまだ得ていない人は、哲学や探求をする事になるのではないだろうか。
答えと巡り合うことは容易ではないかもしれないが、本当に求めるならばきっと得られると思う。
ある人は仕事の中でそれを見つけ、ある人は結婚生活の中でそれを見つけ、またある人は師弟関係を通して、或いは友人関係を通して、またさらにはふとした小さな出会いによって、はたまた、病床に訪れてくれた人との縁によって、などなどシチュエーションは無限に考えられ、この答えをもたらす縁は人それぞれだと言ってよいと思う。
得られる答えの形は無数であるが、その答えの示すところは一つ、或いはそう違わないのではないだろうか、と。

くよくよと思い悩むことはない。素直になって、道を歩めば良いことなのではないでしょうか。

他者が不幸でもダメ、自分が不幸でもダメ、ではどうあればしあわせと呼べるのか、そのように考えて自他を分別して隔てる境を見て、それを超えることを願うなら、他者のしあわせと自身のしあわせの両方が叶う道も見出せるはずです。出来ぬことを夢想して迷い込まず、確かにできることとしてそれを見出すのです。
心の在り方として。

自分ばかりが、とか、あれらの人ばかりが、とか思って、人を差別して優劣をつけてしまう勝敗を生む心自体を捨て去って、平等の境地に立ってそのこころを観じることです。

そうすれば、病気の人でも、貧しい人でも、孤独な人でも、どんな救いのない人でも、きっとしあわせとは何かを自分なりに見出しつつそれに近づき、ついにそうなる事ができると思いますよ^_^
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この回答へのお礼

Thank you

これはどうも お気遣いまで頂きありがとうございます。

幸せになることが人が生きる目的というお考えなのですね

確かにそれは頷けます。私も幸せになりたいです。

お礼日時:2017/03/18 09:56
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