お茶が入りました。批判しづらいと思っていまして みなさんとやいやい
言っているうちに分かりやすくなるかも知れないという魂胆です。
▼ (大澤真幸:神とキリストと聖霊) ~~~~~
(あ) 肝心な点は [・・・]超越的他者を直接に見ることができるとい
うことにあるのではなく われわれの認識や経験がすべてを踏破しきれて
はいないということを自覚することの内に つまり認識や経験の自己否定
性の方にこそある[・・・]。
(い) だから キリストは 積極的な存在者としての自己を否定しなく
てはならなかったのだ。要するに キリストは死ななくてはならなかった
のである。神は ここでは 「無」そのものの したがって「無能力」の
直接の具現化でなくてはならなかったのである。
(う) キリストは 死ぬことで神になるのではない[・・・]。反対に
ヘーゲルが強調したように すでに神であるものが――否定神学や偶像崇
拝禁止の原理のもとで神であるものが――死ぬのが キリストである。
(え) 「聖霊」の意味も この文脈において 初めて理解可能なものと
なる。聖霊とは 超越性の極と内在性の極の すなわち神と人間の両極の
融合を示す印である。
(お) 聖霊という形態で 神が信者たちに直接に降臨し 信者と直接に
交わるのだとすれば なぜキリストという媒介が必要だったのだろうか?
聖霊において神と人間が合致するのであれば 神がキリストとして地上に
現われなくてもよかったのではないだろうか? [・・・]
(お) だが 聖霊が機能するためにも キリストがどうしても必要なの
だ。もう少し厳密に言い換えれば キリストが 一種の「捨石」として
否定的に介入しなければ 聖霊はその作用を発揮することができないのだ。
(か) 本来 神と人間は 無限の距離を隔てている。キリストが現われ
ただけでは この距離は埋められない。というより キリスト自身が 神
と人間の直接的な融合を阻む障壁となってしまう。
(き) だが神=キリストが死ぬことによって 超越性は その性格を根
柢から変容させてしまう。要するに それは 端的に無化するのである。
(く) そうなれば 人間は 向こう側に 彼方に 何らかのかたちで交
流すべき超越的な神をもつわけではない。今や 神(超越性)が人間と直
接に合致してしまうのである。これこそ 聖霊が作用している状態である。
(け) この聖霊による融合状態は 結局 ――人間に外在する超越性は
もはや完全に還元されてしまっているのだから―― 人間=信者たちの共
同性(キリストの死んだ身体としての教会)以外のなにものでもない。
( 『現代宗教意識論』2010 pp.54-56)
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ やいのやいのとなじったり あるいは擁護の発言などなどを語ったり
してください。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
絶対性には「否定」性があり、その否定を肯定に転化させる、、、キリスト「教」の捉え方としては、極めて(たぶんプロテスタント的に)オーソドックスと感じます。
ご回答をありがとうございます。
★ キリスト「教」の捉え方としては、極めて(たぶんプロテスタン
ト的に)オーソドックスと感じます。
☆ そうなんですよね。
ただし問題を二点考えます。
ひとつは 必ずしも全部が全部 神の信仰についての説明ではなく
《キリスト「教」》の問題であること。つまりそれは 経験思考とは
別である信仰 この信仰より派生したオシヘの問題だということ。
(け)で 信仰次元の聖霊(それが人間たるわれの自然本性に宿る)
と 信者の共同性(ないし教会)という経験事象とを 平気でつなげ
ている。
もうひとつは 具体的に指摘なさっている次の点が どう扱われるか
です。
★ 絶対性には「否定」性があり、その否定を肯定に転化させる、、、
☆ 絶対性には それが相対世界を超越するからには そのような経
験世界やその現象を《否定している》ように見えます。
ここ(絶対性)まで上がって来い。出来っこないだろう。と言ってい
ると見えるなら そうであるようなことにおいて。
けれども:
▼ (き) だが神=キリストが死ぬ
☆ という意味で《否定性》を持つということを 額面どおりに受け
取ってよいだろうか?
たしかにキリスト・イエスは 父なる神から見捨てられた。あるいは:
▼ (お) キリストが 一種の「捨石」として否定的に介入
☆ ということも ひとまづそのとおりである。
けれども 《捨石》つまり《隅の親石 ないし つまづきの石》とし
て介入するというのは 人間が 神のことについてまだなお知らない
からである。
律法という倫理規範としては知ったとしても アブラハムが信仰にお
いて知ったようにはなおまだ知らない・・・このことを伝え神を指し
示した。
《否定》の問題が違う(つまり一面的である)ように思います。
十字架上に死んだのは 人間イエスであり イエスがあたかも大嘘の
ごとく自称したその《神の子でありみづからも神であるキリスト》が
死んだわけではない。この両面における一方の《否定性》でしかない
のではないか?
イエス・キリストのあとにやってくる聖霊なる神は キリストつまり
子なる神とまったく同じ霊であり神である。
★ 絶対性〔が〕否定を肯定に転化させる
☆ のは もともとキリストもが《聖霊なる肯定》ゆえである。(う)
が似てはいますが。
No.1
- 回答日時:
まあ、私も昔、新約聖書を行間を読み取るぐらいまで読みこなしましたが(笑)
(といっても、私はキリスト教徒ではありません)
聖書の中で述べられてるキリストの言葉は、それなりの意味と真実あることは明瞭であり、彼が、何かを掴んでいたのは間違いないでしょう。
ただ、キリストの境地(釈迦の境地も同様ですが)に達するには、まず、1日の間に灼熱と極寒の地獄を現出する荒野で、40日40夜、飲食もホトンド制限された中で、自分にどのような変化が生じるのか、経験してみなければ、彼に太刀打ちは出来ないでしょうね。キリストはそれを耐えて、その中で、何がしかの真理を掴み、また、極限下で肉体にある種の能力(霊能力、超能力)が発現されたのでしょうから。
ただ、今、普通の日常生活を送りながら、私にできることは、キリストは(釈迦も)荒野に身を置くことで、過酷な実体験からその境地に達したのでしょうが、私は別の方法、すなわち、直観と思索と知識と知恵によって、そのキリストと同じ境地に達することを目指すしかないってことでしょう。
実は、日常生活下で、キリストの「荒野の試練」を味わうことは可能です。
無論、一気にその「荒野の地獄」を経験することは、非常に苦痛が大きく、死さえ覚悟せねばならないものですが、ただ、徐々にその経験を深めて行くという形は取れると思います。私は、もう10年以上、寝る時に掛け布団をかけません。当初は、朝方、寒さで身震いして目が覚め苦痛が非常に大きかったですが、今は慣れました。もう一つの荒野の疑似体験として「絶食」があります。過去、何度も「長期の絶食」を試みましたが、これは途中で中断した時の「リバウンド」が非常に恐ろしく危険なため、その恐怖から、何度も挫折して来ました。最近、ようやく、自然に絶食が可能なテクニックを発見したところです。このテクニックで、最終的に40日の絶食を目指していますが、果たして、その時の私にどのような変化が現れ、また、その時の私は、世界がどのように見えて来るのか、非常に楽しみにしています。
ん?
まづは ご回答をありがとうございます。
つまり 大澤説については どうなんでしょう? つまり:
★ キリストの言葉は、それなりの意味と真実あることは明瞭
であり、彼が、何かを掴んでいた
☆ というその内容を 大澤はよく言葉にして表現していると
評価しているのだ・・・でしょうか?
それとも:
★ 1日の間に灼熱と極寒の地獄を現出する荒野で、40日40
夜、飲食もホトンド制限された中で、自分にどのような変化が
生じるのか、経験してみなければ、彼に太刀打ちは出来ない
☆ というキリスト・イエスなのだから 大澤ごときに 分か
るわけがない・・・でしょうか?
修行の過程にあるということであっても そのつど・そのいま
現在において 《読み》をあたえてみてください。そのこたえ
が知りたいところです。
ご自愛のほどを。
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