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ナメられるのを卒業したい…
こんばんは。高校生です。
私は穏やか、優しい、真面目、面白い、天然(作り物じゃ無いガチな)と良く言われるのですが、ナメられていてとても困っています。
むしろ努力は人一倍している方なのだと思いますが、時々朝寝坊しちゃったり、三日坊主になってしまうことが原因なのかな〜と思います。
私は部活に所属していて、そこの部活は学校の可愛い子や充実してる子ががたくさん集まるところで、(雰囲気が、ですが。)最初は上手くやれるか不安だったのですが、なんとか2年間続けてこれました。
私が部活にいながらも部活の子たちを上に?見ちゃってるせいなのか、特に部活の子からナメられたり、面白いといじられたりします。
ただのいじりでしたらまだ良いのですが、時々度がすぎるというか…上から目線の態度に心が折れそうになります…
後輩からもナメられてそうで怖いし…
精一杯やる事は頑張っているのですが、いまいち完璧にやりきれてないというか。そういう所があり結果が出てないからなのかもしれませんが。

長々とすみません。
どうしたらナメられない人間になりますか?
それともこれも個性だと受け止めた方がいいのでしょうか…?

A 回答 (3件)

努力を人一倍してる人は寝坊や三日坊主はしませんよ。

それも努力でなんとかしますから。

イヤなことをされたときはハッキリ「それはヤメて!されても許せることとイヤなことがある」と断るようにしたらなめられませんよ。
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この回答へのお礼

そうですよね。
きちんと結果が出せるように上部だけの努力はやめてしっかりしたいです。
嫌なこともきちんと言えるようになりたいです!ありがとうございました。

お礼日時:2017/04/18 23:56

それを望むのはとても良くないことですよ。



とはいえ、その理由が分るまで私も大分時間が掛かりました。

おそらく、大人になっても対処に困る話ですね。



どんなに年を取っても、

「自分は舐められている。みなの扱いがゾンザイである。

 そんな状態であるため、色んなものが不利に働き、効率が落ちている。」

と感じてしまうときがあります。

一過性の病気と言うか、錯覚です。

一定の時間がたつと、急にそういう感覚が消えます。

ですので、自分のその感じ方を信じてはいけません。


晩年になって、

自分にも他人にも、その錯覚がおきているのがわかり、

不思議に思いました。

例えば、普通の人生相談ならば?

傷を癒すように助言ができます。

めでたしめでたしですね?

しかし、ちょっと待ってください。

どこか変です。

「ああそうか。

 どうして傷ついたのか?

 そこに関して、良くある事としてスルーしてた。

 良く考えて見れば可笑しいぞ?」


どうして人は傷つくのか?

どうもその時だけは、

(その人にとっても、何時もは平気なのに)

「何故か余計に傷ついている」

んです。



本人の望みとは関係なく、余計に傷つく状態になっているようです。

可笑しいなと思って、他の人を観察して見ました。

意外と多くの人がこの錯覚に囚われるようです。

しかも一定期間経つと別の人に移動するんです。

「ああ、あっちに移ったか。xx君お疲れ様。結構長かったね。」

と言う具合です。


どう言うときにそうなるのか?

その共通項はなんだろうと。

ずっと考えてきました。

一つ分ったことがあります。

共通していることは、

「なんでわざわざ自滅をするようなことをやるかな?

 順風満帆だったのに。」

と見えるんですね。


そこで、”天分”と言う言葉を浮かびました。

これらの不思議な現象は、

その人が分不相応な成功をしそうなとき、おきているという事です。


多くの人が努力を重ねて真面目に生きています。

凡人の域を超えて、偉人と言う領域に達するまでの努力と言うのは、

実はそんなに大変じゃありません。

なので、一定期間まじめが続くと、あっけなく世界一になります。


ところが人間と言うのは社会的な生物です。

体内組織と同じように、個々人は細胞のようなものです。

今の自分の役割が、皮膚みたいなものであったら、

それ以上の能力やスキルを獲得することは、役割として望ましくありません。


そこで、自分自身の無意識の部分が、

自分の努力を台無しにするための行動に誘います。

「ちっとまて、それはオーバースペックだから。

 そんなにやる気を出すな。

 おおう、どうしても望むか?

 それやっちゃうと、努力が実っちゃって、君の位置づけが上がっちゃう。

 そういう約束にはなってないんだ。

 俺の立場が無いだろう。

 んじゃ、仕方ない。

 周りの人間がお前を舐めていると、感じさせてやるか。

 んで、君は突然、仲が良かった仲間に喧嘩を売る。

 相手はイチャモンがついたので、驚いて引かない。

 最後は大喧嘩になり、君は悔しくてここを出て行く。

 でまあ、ここでのスキル獲得に終止符が打たれ、

 まあ、これが俺の目的だが、

 与えられた定め程度の凡庸さを維持できるわけだ。

 という事で、

 『お前は舐められている』

 ぞと。」

こんな感じですね。

努力を重ねて、自信がついてくると、誰かとも揉めてしまう人がいます。

誠実を尽くして、他人から愛されたり、人気が出てきた場合も、同様ですね。

その人の天分に対して、必要以上の能力の獲得、成功体験ができる場合、

自分自身の無意識が自分を妨害するようになります。


万人が凄いと、全体が上手く動かないからです。


この錯覚以外にも多くの対策が講じられます。

天分以上のスキル獲得や成功体験を妨害しようとします。

そのため、

・環境を破壊する(仲間割れを誘う)
・環境から離脱する(辞める)

などの結論へ誘われるんです。

私も一度これに捕まると、中々抜け出せなくなります。


学生の悩みを聞いていて気がついたのは、

「何となくいたら、何となく力がつき、

 特に不満も無いのに、

 急に自分が阻害されていると感じ、部活をやめたくなる」

人が多いことです。


大体において、下級生が上級生になり、先輩になるときに起きます。

質問者さんの場合は、その導入に当たると思いますよ。


これから分る、その人の天分は、

「ええと君の場合は、誰かの上に立って、誰かを指導する立場は、

 君の人生では、与えられないことになっているね。

 まずいな、今の君はそれなりに力もあるし。

 このままだと自動的にそうなっちゃうねえ。

 よし、部活を辞めちゃおう。

 ほって置くと、危ない。早急に手をうつぞ。

 ちっと無理があるかもしれないけど、常套手段でいこう。

 『君は阻害されている。君は舐められている。』

 ぞと。」

こんな感じでしょう。


また、この逆もあります。

本来の天分を持っていた人が、

何かの事件で脱落(もしくは、繰り上がり、別の天命についた)し、

次選の自分が繰り上がることになったときです。


その人は、

急に調べごとがしたくなったり、趣味に目覚めたりします。

すると、そこで得たばかりの知識や経験が、

その後の大事なときに必要になったりします。

まるで先を読んでいたような操作です。


モット凄いと、

本人の実力や実績ではあり得ない(怖いと感じるくらいの)チャレンジを

何故かその人がしてしまいます。

やはり、道理のとおりになり、どうにもならない状態になります。

しかし、可笑しいくらい次々と天啓の様に正解を思いつき、

「あー大変だった。」

程度の感想を言いながら、リアルタイムで解決してしまうんですね。

ドラマティックなサクセスストーリーです。

これは役割を担う人が不足したとき生じる、プラスの操作だと思います。

「えええ。こいつですか?

 ちょっと待ってくださいよ。こいつの人生の予定に無いですよ。

 ああ、不自然にならないように能力を開放するのは無理です。

 ああ、もう、みんな、目を瞑ってくださいね。

 記憶から消してくださいね。

 じゃ、ちょっとだけ、本来はAさんが長い年月で獲得する予定であった力を、

 こいつがw、偶然(ぶw)思いついちゃうことにします。」

てな感じでしょう。

じつはこれ、私には経験があります。


良いほうでも、悪いほうでも、

可笑しいと思える思考や行動の操作が沢山あります。

私は、

「能力が伸びないとか、チャンスが来ない、運が悪いのではなく、

 本人の天分としての制限が事前にされており、

 偶然に力が増すのを、本人の無意識が計画的に避けている。」

と捉えています。


では天分は変えられるのか?

実は意外と間単に変えられます。

と言うか、先に変えませんと努力が実りません。


天分と言うのは、自分が自分にする社会貢献への約束のようです。

自らの無意識は、社会生物としての自分であり、自分の監視者です。

多くの貢献をしたいと望むと、ふさわしい能力が開放されます。

努力の過程と言うのは、本人や周囲の人が不自然に感じないように

するための儀式でしょう。

本来の人の脳の力であれば、一目見たものをそのまま複製できます。

3歳くらいになると、この力は封印されます。

練習や学習と言うのは、その能力を前提とした場合、全く必要ないのです。


では、天分を上げて、能力を開放する儀式、鍵についてです。

イメージとしては、広く、高く、輝く方向です。

嘘でもいいので、頭の中でイメージします。

例えば、

「もし、皆が(ここがポイント)このまま全国大会に出れたら?

 みんなの人生観が変わり(ここがポイント)、

 もっと素晴らしい人に成長する(ここがポイント)んじゃないかな。

 そんな事が少しでも起きたら(ここがポイント)、

 とても素敵だと思う。(ここもwポイント)。

 そんな未来を見てみたい。(決め手がこれです)」

逆にして見ましょう。

「もし、自分だけが皆においていかれ、

 普通の人生すら歩めなかったらどうしよう。

 自分だけ成長しないでいたらどうしよう。

 そんな事はないだろうけど、もしあったら嫌だなあ。

 いや、考えないようにしよう。何も見ない。何も感じない。」

単純に逆にしました。

いかがでしょうか? 意外とこれを普通にやってませんか?

どうして多くの人が凡庸となり、超えられない壁を感じるのか。

殆どの人が天分を下げているからじゃないでしょうか。


では、

「ナメられるのを卒業したいです。」

と言う望みは、どちらになるでしょうか。

かなり危なくありませんか?


考えるのはタダです。

どっちでもいいのですから、

嘘でも、”輝くほう”を頭の中で唱えましょう。

頑張っていると、(だいたい数ヶ月)、仕方ないなとばかりに、

自分の天分が変わります。

このときは本当にわかりますよ。

偉い人が何故、輝かしいことを言うのか分りましたでしょうか?

重責に耐えるため、自分へ能力解法を求めているんでしょうね。

自分で、自分に言っているんですね。きっと。


以上、ご参考になれば。
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舐められない為には、「ここまでたよ」ってきっちり線引きをして、相手に対する態度を決めておく必要があるのだと思います。



接してくる人たちに、ここが境界線だと、時間を掛けて、周知してもらうわけです。

ただあなた様の場合は、公共的に振舞われているようなので、人によって異なる境界線を作ってしったりあると、周りの混乱もあると思いますから、そのあたりは臨機応変に考えて、わたしも、あなたたちと同じ人間なんだと言う事をそれとなくPRしとくのも良いと思います。

特に酷い人たちには一度、ガツンとやってやるとかすると、みんなにドンビキされて、しばらくは孤独を味わえます(汗;)。
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