映画のエンドロール観る派?観ない派?

天気というのは もちろん 人びとの心やその行ないのことですが

たとえふつうに自然に好ましく望ましいことを言っている〔だけだ〕としても 

この同じ問いを問いつづけそれへの相づちを求めつづけることは 

好ましい人間性をむしろ貶めており または

ふつうにのぞまれる公序良俗についての人びとの思いを見下している。

このたぐいの問いの積み重ねは 哲学の冒涜ではないでしょうか?

その重ねての問い続けを みとめ ゆるしていることは 

やはり哲学の放棄ではないですか?

A 回答 (16件中1~10件)

誰もそんな難しいこと考えていないかと・・・。

(-_-;)
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この回答へのお礼

そうですか。

わたしは 考えて欲しいです。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/06/20 11:24

今日は、月が見えませんな。

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この回答へのお礼

ん? つまり きょう11時11分の時点でですか?

昼間にも月が見えることがありますが きょうは見えないという
意味でもないでしょうし。


あすは うちの地域では 雨らしいです。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/06/20 11:27

好ましい人間を〜見下してる、あたりのくだりがよく分からない。


それがなんで哲学への冒涜なのかも不明。

そんな、論理性のない議論で哲学を語る方が哲学への冒涜かもしれませんぜ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 好ましい人間を〜見下してる、あたりのくだりがよく分からない。
それがなんで哲学への冒涜なのかも不明。
☆☆ ~~~~~~
この同じ問いを問いつづけそれへの相づちを求めつづけることは 

好ましい人間性をむしろ貶めており または

ふつうにのぞまれる公序良俗についての人びとの思いを見下している。
~~~~~~
☆ 好ましい人間性であるなら いちいち重ねて 心の天気がよいわるいを
問い続けることは ないのではないか?

あの人びともこの人びとも 心の天気が 早く晴れて欲しいですねといつま
で掛け合い漫才をつづけるのでしょう?

――こういう趣旨ですが 説明になりませんか?




あるいは こうも考えられます。

つまり 世界には心の晴れない問題や文字通り悲惨な出来事が 次から次へ
とと言うまでに起きている。

ところが このわたしは それらについてそのつど確認しその非人間性を指
摘し何とかならんのか みなさん何とかしましょうとうったえ続けている。

だから きみたちも わたしに従って少なくとも同じうったえを合唱すべき
ではないか?

――という質問とそこでのやり取り。

これは 果たして人間性に見合った志向であり 思想でしょうか?

もし見合ったことであるとしたら どうすればよいかを考えて行くはずです。
何も出来ないと認めざるを得ないとしたら そのように いまとしては 確
認してはいるのですが・・・と言って話をすすめるのが ふつうです。

お礼日時:2017/06/20 11:43

そのとおりです。



一般人は哲学を放棄しています。

語彙の用法を少し間違ってますよ。冒涜は別にしていません。哲学を無視してるのです。

あなたにとって、哲学が大事なのは文面から、ある程度推察されます。しかし、一般人にとっては、哲学はそんなに大事なものではないんです。残念ながら。

なので、普通は哲学を無視しています。つまり放棄してるんです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

あなたは間違ってますよ。勘違いですかね。

ここは 哲学カテなんです。

お礼日時:2017/06/20 11:45

勘違いは、あなたの方ではないんですか?



哲学カテだろうが、何処だろうが、あなたは、一般人の天候に対する言説のことを話してるんですよね。

一般人には冒涜してる意識はありませんよ、ということを伝えたかっただけです。

無意識や、無視こそ冒涜だと主張したいのならば、それもけっこうですが、哲学的な議論だとは思われません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 勘違いは、あなたの方ではないんですか?
☆ そのこころは:
★ 哲学カテだろうが、何処だろうが、あなたは、一般人の天候に対する
言説のことを話してるんですよね。
☆ 趣旨説明で《問い》と言っているのは ここ・哲学カテでの質問のこ
とです。

ですが あいまいな表現でしたので このカテやあるいは質疑応答の場に
限らず 《一般の人びとの天候をめぐる話し合い》として言っているとみ
とめます。


★ 一般人には冒涜してる意識はありませんよ、ということを伝えたかっ
ただけです。
☆ ううーん。どうですかね。

《きょうもどこそこで戦争が起きている。
きのうも あちこちで起きていた。
きのうのことも それは問題だと言い あなたに問いかけましたが 
きょうの出来事についてもやはり同じく話題に挙げ 
あなたの思いと考えをしっかりと表明して欲しいと思っています。
どうですか?》
――というふうに引っ切り無しにしゃべり続ける。

こういう行為は 事件にかかわっていない人間は そのような事件として
の戦争の悲惨に遭い続けている人間をないがしろにしているのではないか? 

と あたかも決めつけて質問を投げかけている。何もしない・何も出来な
いからと言って その人たちの人間であることを単純に言って 冒涜して
いる。

のではないですか?

その《意識が無い》としてもです。


★ 無意識や、無視こそ冒涜だと主張したいのならば、それもけっこうで
すが、哲学的な議論だとは思われません。
☆ ぢゃあ 哲学の定義が互いに異なっているのでしょう。仕方がありま
せん。




★★(回答№4) そのとおりです。
☆ と趣旨説明に対して 賛成してもらっていることを――感謝もうしあ
げましたが―― 無視する傾きのある応答であったとしたら それは本意
ではありませんでした。ごめんなさい。

お礼日時:2017/06/20 12:15

そもそも哲学的な対話をしたいと考えてはいない一般人に対して、言説の哲学性をアレコレ思索するのは、ナンセンスだと思います。

哲学的な姿勢だとは思えません。
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この回答へのお礼

ところが ほとんど哲学ということに無縁な人びとは――その
ような人びとこそがと言ってよいほどに―― 自分が・そして
世の中の人びとが それぞれふつうに自然に人間であることを 
ねがっているし のぞんでいるし いつも思っている。・・・

――と言ってよいのではないでしょうか?


★ 哲学的な姿勢
☆ は われわれ日本人のあいだに――哲学としては意識して
いないとしても―― じゅうぶん見受けられるのではないでし
ょうか?

そのまま当てはまる人びとはほんの一割くらいだとしても こ
の姿は 多くの人びとの基礎と成っていると見てよいのではな
いか。

この姿勢は つねにそこから逸れる別の姿勢とせめぎ合ってい
る。といった情況が考えられます。

という見方に立って 問い求めています。(質問を挙げていま
す)。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/06/20 12:25

一般に天候に対する問いはコミュニケーションを円滑にはかりたい、という意思の記号のようなものとして、認識されてると思います。



ま、確かにQ&Aを使って、それをする人の気持ちは、ちょっとわかりませんが。

発してる側は、質問の内容に対する回答を求めてるというより、声をかけた返事を求めてるだけなので、元来、内容など、どーでもいいんです。

例えば、サウナで、外見が怖そうな人と2人だけになってしまった。怖い!でも見かけだけなのかもしれない。中身というか、声だけでも聞いておいた方が、つまり、相手に対する情報を何か得た方が良さそうだ、こんにちは、と言ってみようか、いや、もっと自然な対話開始方法があったはずだ、

とでも瞬時に考えて、「最近、よく雨降りますよねえ。いったい、いつ迄続くんですかね?」と切り出す。

哲学を冒涜してる意識なんて無いのは明らかではないですか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ~~~~~~~~~
一般に天候に対する問いはコミュニケーションを円滑にはかりたい、
という意思の記号のようなものとして、認識されてると思います。

ま、確かにQ&Aを使って、それをする人の気持ちは、ちょっとわか
りませんが。
~~~~~~
☆ 違いは:
1. ☆☆(趣旨説明欄) 天気というのは もちろん 人びとの
心やその行ないのことです

2. ☆☆(同上) 同じ問いを問いつづけそれへの相づちを求め
つづけること
☆ が哲学の冒涜――人間性に悖る――のではと問うています。




★ 発してる側は、質問の内容に対する回答を求めてるというより、
声をかけた返事を求めてるだけなので、元来、内容など、どーでも
いいんです。
☆ そうです。ということは 発信者はもう別としても そのよう
な質問の繰り返しについてそれをみとめ ゆるし続けること。この
行為は やはり哲学の放棄としての冒涜なのでは?



★ ~~~~~~
例えば、サウナで、外見が怖そうな人と2人だけになってしまった。
・・・[中略します]・・・

哲学を冒涜してる意識なんて無いのは明らかではないですか?
~~~~~
☆ この点もあいまいだったかも知れませんが あくまで《冒涜》
になると見るのは:
☆☆ このたぐいの問いの積み重ね / その重ねての問い続け
☆ です。一回性の出来事というのは おそらくつねに必然性があ
るか・または 当事者にとって必要〔不可欠〕性があるのだと思い
ます。

お礼日時:2017/06/20 13:06

あ、すみません。

お礼の中身をよく見てませんでした。意識がなくても冒涜と捉えてらっしゃるのですね。

それならば、主張は分かります。

ただし、私は、それを哲学的だとは思えません。
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この回答へのお礼

いえ こちらこそ。

ご回答をありがとうございます。


★ ただし、私は、それを哲学的だとは思えません。
☆ その心は? 

と言いますか 哲学の定義が別なようですから いちおう説明が
ないということの指摘までです。

お礼日時:2017/06/20 13:09

天気というのはもちろん人びとの心やその行いのことではありません。

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この回答へのお礼

ん? ん ん ん ん?

質問者の設定した前提が 違うということですかね?

だとしたら どうなるのでしょう?


ちょっと・・・? ですが。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/06/20 21:18

これ自分に対していってるよね。


つまり、この質問に相づちを求めてるんだよね。
そして、自分自身でこれを冒涜だと言っている。
一般的でない言葉をさも一般的なようにして、
問いてくる姿勢はよくないね。
哲学は大衆性のある議題を問わないとね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ これ自分に対していってるよね。
☆ いや。天気の問いについてはその質問者が回答者に対して問いかけ
ています。としてわたし(この質問の投稿者)は 捉えています。


★ つまり、この質問に相づちを求めてるんだよね。
☆ あぁ そういう意味ですか。つまり 回答者に問うているのですが
質問の中身は 相づちを打って欲しいというものではあります。確かに。
天気の質問がですよ。

★ そして、自分自身でこれを冒涜だと言っている。
☆ えっ? そういう問答を想定しているような質問内容は 哲学への
冒涜ではないか? とわたしが問うています。

同じような内容の質問を何度も繰り返し問うというのは 相手に相づち
を打って欲しくて 問うているとしても 内容が内容ですから――つま
り ごく普通にそうですねと応答するような内容なのですから―― か
えって相手の相づち〔の真偽〕をうたがっているのではないかと思えて
来ます。


★ ~~~
一般的でない言葉をさも一般的なようにして、
問いてくる姿勢はよくないね。
哲学は大衆性のある議題を問わないとね。
~~~~
☆ 分かったような・分からないような。いや よく分かりません。

わたしの趣旨としては №3のお礼欄にさらに説明していますので い
ちど見ていただくとよいかも知れません。

お礼日時:2017/06/20 22:13

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