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精神的に病んでいます。アドバイスください。
起こったこと、感じたことそのまま書きます。
高校生の時に自分の願望や感じているありのままの自分を否定され、自分の中で自分を否定してしまいました。自分は幸福になるために大学受験に意識を傾けた生活を送ったのですが、大学卒業に至った後に感じることは一体それは何のための幸福で、私が空虚である心の場所を満たすために存在する幸福でないような感じがします。

結果、私は。抑うつと診断されました。今、過去に感じていたありのままの自分をどうやっても満たすことができないと感じる時の中で生きていくしかないと思っております。
また、そうした歪みの中で変化してしまったのは鬱になっただけではないと思います。
変わったのは、私の①対人意識②生きる気力の枯渇③過去を消化できないが、薄らぎもしていかない、毎日が不満を感じる日々④失った時間とエネルギーは全くの無駄であったという認識。⑤希死念慮の発生。⑥②〜⑤から来る将来に渡って私が私らしく生きていける、心を取り戻すだなんて夢のまた夢だ、、という諦め
これら①〜⑥が折り重なって、今日も過去のことを悔やみ、残りのどうすることのない、人生なんて良かれ悪かれ巡り合わせで、ただそうやって過ぎ去るのも人生かなと思い、帰宅してきました。ただ道に転がったセミの死体を見て自分も死んでみた方が楽なのかなという感情もありました。

大学は地方ですけど、国立の大学に進学しました。卒業後は専門学校に通って取り戻そうとしていますが、厳しいです。失った気力やエネルギー、時間は私にとっては大きく、上手く頑張ることができません。

↑ちなみに上の①ですが、対人意識は高校生位の時から私は私の願望を打ち砕くような場所や人に当たったことから、他人と距離を感じるようになりました。特に年齢が近い人ほど。私は狭苦しい場所にいて、何の努力も苦労もしていないやつのが、伸び伸びと生きているような感じで、妬ましく見ていますし、今もそういう風に見ている部分があると思います。人付き合いに関してはこういう感情が強く渦巻いてしまっているので余程境遇が似ている人でない限り、私のことを話さないで、差し障りのない会話で残りの人生を終えていくと思います。

こんな風になってしまいましたが、回復の手段や失った時間や気力、人生は取り戻せるのでしょうか?脱出の糸口が見えません、年齢的にもかなり狭苦しい思いです。24歳、今年で25歳、専門学校生です。はっきり言ってこんなこと言っていること、認識していること、全然未だに整理が付かずに受け入れられないです。抗うつ剤を飲んでも効かないし、好転しないです。
よろしくお願い致します。脱出したいです。

A 回答 (5件)

貴方の文書を読んで、先ずは意識の高い人だということが分かります。


自分の考えをこれだけの長文で理路整然と述べられる人は相当にレベル?が高いと思います。

それ故に、他者への対応が上目線になって、意識が低いのに自分より優遇されている現実に納得できずに無力感と劣等感を募らせているように見受けられます。

また、最悪なのは、自分が上記のような悪い処を自身でここまで認識できている、という他の人への優越感は無いですか? 
さらには、その優越感を持っていることさえも認識しているという他者に対する優越感・・・

詰まりは自分の現状の位置(世間の扱い)への不満が精神的に限界にきつつあるような感じを受けます。

先ずは、人生を取り戻すのではなく、新規に始めてみませんか?
学歴やら、過去の経験等は気にしないで、やりたいこと、やれそうなことを少しずつ始めてみることで、考え方が少しでも前向きになるような気がします。

先ずは難しいことは何も考えずに「Let’s Try!」かなり古い言い回しですがご容赦。
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まるでバックミラーを見ながら運転しているかのようだ


時間は前に進んでいるのに貴方は後ろばかり見ている
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病気になってしまうぐらい頑張ってると言う事はとても頑張り屋さんと言う事。

私の友達で大学を2回通った人がいます。法学部の大学を卒業した後、短大のデザインの大学に通っていました。みんな進路は迷うんですよ。だから、きっと大丈夫ですよ。不運な出来事が幸運を連れて来る。辛い事の後には楽しい事が待ってますよ!質問者様を応援していますね!
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本文から感じることは、あなたはちゃんと生きているし、正視すべきものも見ているということです。


確かに抑うつの症状とかはあるとは思いますが、例え抑うつがない人でも悩むようなことも、あなたの悩みの中には入っている。
蝉の死体を見て人生を考えたり、死を考えたりすることは、感性が鋭い人ならば十分ありえることでしょう。
また、他人が羨ましく思えたりとか、それが出来ない自分が悔しいとか、そういうのも当たり前にあることだと思います。
ただ、そういった境遇に至らない人もいて、そういう人には理解できないことだとは思いますね。

時間はかかります、きっと。
でも、あなたは間違ってはいないのです。
基本、精神病を治癒させるのは薬の働きではなくて、自然の、人体が持つ「エネルギー」のなせる業です。
あなたはそれが不安定で、バランスよく働いていないわけですが、人間はとても複雑なプロセスの上で成り立っているわけですから、それが正常化していくのにかかる時間は、決して短くはないはずです。
しかし、治らないというものではありません。

近道を探さないようにしてください。
希死念慮もまた、病気のなせる業。
症状が出たときに過剰に反応しないことが大事です。
そして、症状の振幅を抑えるため「適切な」服薬も必要になります。

いつの日にか、もっと楽に生きられる日も来ます。
なるべく日々の振幅が少なくて済むような生活を模索し、淡々と生きていくことが重要です。
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私も何度か自殺未遂をしたり抗うつ剤を飲んだり、仕事を変わったりしました。


だからと言ってあなたの苦しい現状がわかるとは言いません。

私の体験が役に立つかはわかりませんが、とりあえず書きます。
私の脱出の糸口は、バイクの免許でした。
突拍子もない話に聞こえるかもしれませんが、幼い頃から漠然と興味があったけど、学生時代は親から危ないからダメだと絶対反対され、そこを押し通すほどの意欲もなく、そのままでした。
色々あって仕事を辞めて、死にそうなくらい辛い時期を経て、少し落ち着いた時に、どうせ死ぬなら、やってみたかったことをやってからでも遅くないと、教習を受けました。車は普通に免許を持っていて不自由なく運転出来ましたが、当時の私は体力も落ちて、精神的にもボロボロの状態だったので、たかがバイクの免許でも教習をこなすだけで精神的にも肉体的にもギリギリの状態でした。
免許を取って自分のバイクを手に入れた時は、不思議な感動がありました。
今思えば、そこから始まっていたと思います。
幸福とか人生とか目的、夢とか、漠然なことは全部後付けなものです。最初にあってそこに向かうものではないです。
何でもいいから、今、ちょっと心が動くもの。昔から漠然と興味があったこと。そういうことを何も考えずにやってみる。ちょっとやれた。次はこれ。失敗したけど、またちょっとやれた。そんなことで大義もなく、気づいたら時間が過ぎていく。そうやってふと、何だか充実してる。それでいいんです。
目標とか何も考えず、些細でくだらないことでいいから、死ぬ前に一度はやっておきたかったことをやってみたら?
案外、広がるかも。
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