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名詞と動詞+こと の意味は同じですか?
例えば、結婚 結婚すること 掃除 掃除すること

A 回答 (6件)

結婚とは?、結婚するとは?、で考えてみました。


【結婚】とは、狭義では、両性の合意に基づき役所に婚姻届けを出す。
結婚するとは、両性の合意に基づき役所に婚姻届けを出す(こと)【結婚】をする。
言って見れば、(結婚)する、ことをする、と言う表現になります。
「こと」動詞、文章の内容の名詞化?。
動詞の名詞化、例 動く→動き、未然形がそのまま名詞に転用。
「こと」で名詞化、その動詞に対応する動きが周囲に及ぼす影響、その動きの結果についても、大げさに言えば責任を持つ言葉、となる。
惚れた、腫れただけでも、婚姻届けを出せば成立→結婚
18歳未満でも選挙権、社会に対する責任、自覚その他・・必要→結婚すること
例のように、極短い内容、動きを含む内容の熟語名詞+こと、の様な場合は実用上大きな差を生じる事は希ではないかと思います。
ネイチャーに載せる論文なんかだと、どうなるか分かりませんが・・・。
巷では、ガソリンが腐る、と言う表現良く耳にします、時と場合によっては、一時が万事他の内容も全く信用する気になりませんね。
以上、但し全く個人的な感覚です。
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名詞と動詞+こと の意味は同じですか?



 文脈がないとなんとも言えません。
 たいていの場合、「結婚すること」は「結婚」にできると思います。その場合は、意味もほぼ同じです。
「結婚」は「結婚すること」にできないことがあります。
 法則がイマイチわからないので、これ以上は書けません。 
 具体例を示していただければ、お答えできると思いますが。
 詳しくは下記をご参照ください。
【「結婚すること」と「結婚」の違い 教えて!goo】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12307419887.html
 以下は一部の抜粋(重言)。

 置きかえ可能なものは、ほぼ同じだろうな。「掃除」も同様。
 大ざっぱに書くと、たいていの「結婚すること」は「結婚」にできる。逆はできないことも多い。
 微妙なニュアンスの違いを主張する人もいるかもしれないが、そんなものは無視する。
 先行コメントのOKATさんに賛成。
〈「動作性」の名詞〉は、〈後ろにスルをつけて動詞にできるもの〉と考えればよいだろう。辞書をみればわかる。
https://kotobank.jp/word/%E7%B5%90%E5%A9%9A-5958 …
===========引用開始
デジタル大辞泉の解説

けっ‐こん【結婚】
[名](スル)夫婦になること。「お見合いで結婚する」「結婚式」「結婚生活」→婚姻(こんいん) 
===========引用終了

「(スル)」と書いてあるのが〈「動作性」の名詞〉。
 もちろん、まったく同じというわけではない。こういうのは、いくら理屈をこねてもムダなことが多い。置きかえられない具体例をあげるべきだろう。
「お見合いで結婚する」は「お見合いで結婚することする」にはできない。「お見合いで結婚することをする」なら間違いではないだろうが、相当不自然。おそらく、この「結婚」が動詞だからだろう。 「お見合いで結婚することニする」ならおかしくないが、意味がかわってくる。
「結婚式」「結婚生活」などの複合名詞も、「結婚すること式」「結婚すること生活」にはできない。
 下記のような例なら置きかえられる。
「結婚は人生の墓場」→「結婚することは人生の墓場」
「結婚がどんなものかは、実際に結婚してみないとわからない」→ 「結婚することがどんなものかは、実際に結婚してみないとわからない」※後ろの「結婚」は動詞なので「結婚すること」にはできない。
 では、なんで、「結婚」で済むものを、わざわざ「結婚すること」にするか。それは言葉の神様に訊かないとわからない。もしくは、こういう言葉を使いたがる人に訊かなければわからない。当方はこのテの言葉はできるだけ簡略なほうを使うことを原則にしている(そのほうがやわらかい文章になる気がするから)。


 ここから先はほぼ余談。「~ことができる」に関しては赤い本に書いた。
「簡略なほう」は少し補足するべきだろう。
「結婚するすること」→「結婚」
「結婚することができる」→「結婚できる」
「置きかえることができる」→「置きかえられる」
※「~ことができる」に関しては赤い本に書いた。

 下記の問題も似たような印象がある。
※この質問をしたかたは、現在は当方をブロックしているようだ。なんでそんな不当な仕打ちをされるのかは不明。
【~てからというものは っていう文法を勉強しました。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9848387.html
===========引用開始
「日本語というものは」は、「日本語は」をややむずかしく表現したもの……くらいの理解でOKです。ということは「というもの」はなくてもいいけど、なんらかのニュアンスを加えるということです(必要なときもあります)。
「日本語は」と言うより「日本語というものは」のほうがなんだか偉そうでカッコイイと思う人がいるんです。当方はできるだけ使わないようにしています。 
===========引用終了
 ↑の例文も「というもの」を加えることができる。当方はそんなホニャララな書き方はしない。
「結婚は人生の墓場」→「結婚というものは人生の墓場」
「結婚がどんなものかは、実際に結婚してみないとわからない」→「結婚というものがどんなものかは、実際に結婚(というものを)してみないとわからない」
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掃除とは部屋を綺麗にする作業を実体的に捉えたものですが、これに抽象動詞「する」を加え動作として表現し、さらにこれを「こと」、つまり事態として捉え直したのが「掃除すること」です。



このように、対象の持つ動的な内容を「こと」として捉えなおした表現です。■
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「動作性」の名詞であれば、その形は成り立ちます。


「結婚」=「結婚すること」
 しかし、「学校」は「学校すること」とは言えません。
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具体性を剥ぎ取るのが役目ですから準体言「こと」が付加されると、当然、概念化抽象化されます。

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基本的には全く別と考えるのが通常です。


と、いうより、とらまえ方が逆のように思えます。
「こと」準体代名詞、と言われ、その前で表現された内容を名詞化します。
掃除って?、乱雑な状態を整理整頓し、ごみくず、埃等を除去してきれいにする「こと」。
この「こと」で乱雑な・・・以降の内容が名詞化されます=掃除(該当する名詞で言い換えれば)。
結婚=男女が役所に婚姻届けを出し、通常は同居して夫婦生活を始める、こと、(この表現ではまだ絵に描いた餅でもあります)。
結婚すること=上の状況を現実のものとするための具体的な行動。
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