私は中学2年生の時に自傷行為をしました。
その時の原因は部活と家族でした。部活は強い人たちと弱い人たちの板挟みになり心身ともに疲れていました。家族は父親が単身赴任で母親も仕事で家に帰って相談出来る家庭環境じゃなく辛くなりました(相談出来ない自分にももちろん原因はあると思ってます)。
そして高校に入り気持ちを変えるんだと思いましたがその時も部活の先輩の影響でまた行為に及んでしまいました。しかし、同級生でこんな私に「自分を傷つける行為は良くない」と言い、初めて私を導いてくれた子がいました。私は自傷行為をそれ以来しませんでした。そんな同級生も家庭環境が複雑で高校3年の時にたばこや酒をするようになり自分の体に根性焼きをする人になってしまったのです。私はその行為をする同級生を実際に目にし人を信用するのが怖い、人を心から信用出来なくなってしまいました。その後も2.3年に1.2回ぐらい自傷行為を繰り返してます。
私は私の事を醜いと思います。職場で上司にもっとみんなを信用しろと言われますがどうしても昔の事を引っ張ってしまいます。学生と社会人は違うという認識はあります、ですがどうしても区切りがつかなく上司とのコミュニケーションが上手く取れなく仕事に支障が出てます。自分じゃない誰かが悪いことしても自分が背負えばいいという献身的姿勢も止まりません。正直疲れてるけど性格を変えるのは難しいです。人を信用するとは一体なんですか?

A 回答 (4件)

上司の言う「人を信用しろ」というのは あまり難しく考えずにシンプルに考えましょう



わからないことや困った事があれば周りに聞く 
業務が多すぎたら早めに助けを求める
仕事を抱え込まない
これだけやればいいのです

仕事全般 できるだけシンプルに考えるように心がけてください
ややこしく考えても答えが出なくなるばかりです 
それができれば その内 私生活にもいい影響がでてくるでしょう
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信用、、、ですか?信頼ですか?


約束を守らない事、例えば「今日の2時にここで待ち合わせ」といって来ない、これを信用ならないといいますよね。
だけど「自傷行為は良くない!」というのは気持ち。自分が断ち切れないけれどそれでも人に伝えるというのは信用とは違います。
ーー
「信用しろ」は可笑しいのですね。有言実行している人をみて「ああ、あの人は信用のできる人だとなる」のであって、あった人が「私を信用して!」なんてそれこそ胡散臭いでしよ?

そうではなく、周りを「信頼」して、つまり「協調」してといく事ではないですか?

一人では持てないけれど二人なら持てる。そのような荷物を運ぶ時に二人が荷物を持って運んでいるその時、お互い信頼しているからこそ出来る。例えばそういう事です。
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人生お疲れ様です。



はい。その悩みは誰人にもある矛盾であり真実であると思います。
人類はいつの時代も欲望と道理の間を行き来していると私は思います。

教育において、何が正しい教育か。
それが私の今の課題であります。
社会性に沿った教育で、もしもその社会性が悪であるならば、その教育そのものが誤りであるように思うのです。

哲学的に論じるならば、まず平和と自由を掲げる法律や思想というものが統一されなければ人を信用したり尊敬したりすることは不可能であるように思います。

私も五年前までは人類に失望していました。
どれだけ人を信じ行動しても裏切られるし孤独を背負っていました。

しかしその後に転機が訪れました。
そのキッカケも人間でした。
たった1人の偉大な人との出会いから学問と出会いました。

哲学に天文学、心理学に生物学、宗教に考古学。とにかく知識を取り込み本を読み漁り何が正しく何が真実で何のための人生であるのか深く考えて今も生きています。

この世の殆どの人間は他者に縛られ他者に悩み、時には離れ時にはくっつき意味のない人生を送っているでしょう。
街を歩く人の目に純粋で誠実な瞳をし、力強く生きている人が何人おりましょうか?

私もずっと悩んでいました。
何でこの人は理解してくれないのだろう?何で傷つけることを平気で出来るのだろう・・・と。

しかしある時ふと気付いたのです。
自分の行動が世界の全てを変えていくことに。

それから私は私の理想の人間らしく他者と接するようになりました。
勿論、冷たい視線を浴びたり、馬鹿にされたりされます。

しかし諦めないことにしました。
他者を変えること。
他者を幸福にすること。

未だに自分自身を正しいと思うことはありませんが、全ての人間があなたのような苦しみの境涯に生きています。

何でも話せる人間を作るには何でも話せる自分であらなければなりません。

それには勇気が必要でしょう。
その勇気を作るには知識が必要でしょう。
その知識を知恵に変え、人々を救い幸福に導いた先には必ず自分自身の幸福が待っていると私は確信しています。

それからの私は家族、友人という括りではなく、出会った人全てに同じように慈悲をおこし共に生きることが出来るようになりました。

一つ断言するならば、その人が悪いのではないこと。
その人を作り出した環境と教育こそが悪であるのです。

そう理解すると、闘う相手は自分自身と社会全体にあります。
しかしそれを諦めてしまったら一生涯幸福にはならないでしょう。

まずは一番近くの人から一人でもいいのです。
何のための人生か。
何のために生まれてきたのか。
その答えを探してみてはいかがでしょうか。
悪い人間などいません。
人は生き延びる為に悪いことをしたり結託したり、多くの過ちを犯します。

しかし一番の犯罪は人を故意に苦しませたり見下したりする心であると思います。
そのような負の連鎖を食い止めるためには自分が正しく生きる以外に道はないと思います。

頑張りましょう。私は全人類を愛します。
皆が正しく生きられる勇気を持った時、初めて世界に幸福が顕現されるでしょう。明健
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人を信用するというのは



まず自分から心を開かないと
何も進みませんよ(^.^)

色んな人間がいるので
裏切られることもあるでしょう傷つけられることもあるでしょう

でも、それで人を信用出来なくならずに
こんな人間とは関わらないと学べます

手を差しのべてくれる
人もいます

人に気遣える人間になると
自然にそんな方達が寄ってきますよ(^.^)

金持ちになりたければ
金持ちと付き合えとか言いますね

自傷行為をする人間には
マイナスな人間が集まります

自分自身プラス思考な人間になると
プラスな人間が集まります。
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