プロが教えるわが家の防犯対策術!

 東海地方の大きな地震が懸念されていますよね。
 私が住んでいる地域にもその地震の影響があるかもしれませんし、日本という地震大国に住んでいる以上は地震対策は宿命なように感じます。

 そこで、阪神淡路大震災の経験をされた方のお話をお聞きしたいんです。私が今想像している範囲では図りきれない惨劇が待っていると思います。非難する時はどうでしたか?。非難後の生活はどうでしたか?。前の生活に戻れるまでの復旧までどのくらいかかりましたか?。知人やご家族を失った方のお話もお聞きしたいです。
 不謹慎な質問かもしれませんが、差し支えなければお聞かせください。

A 回答 (4件)

この前の地震、久しぶりに時間が長い地震だったのであの地震のことを思い出しました。


私の地域は震度4ぐらいでしたので、家にひびがいったぐらいで大きな被害がなかったのは本当によかったです。
あのときも長かったです。布団の中で起きていましたが、声なんてでなかったです。
おさまってから下から父の声がして、私たち姉妹は無事であることを伝え、電気、水道がとまり、家族4人で居間でコタツの中に入って夜までずーっとじっとしていました。
食べたり飲んだりしたらトイレに行きたくなるので我慢して。
何が起こったのかぜんぜんわからなくて、昼前にやっとついたテレビをみていったいこれはなんなのだろうとぼーぜんとしてしまいました。
一日中空が灰色で、でも静かで、時間が止まったようでした。
電車も止まってしまい、会社に行くこともできず、電話も通じず、おとなしくしているしかありませんでした。
水の配給にならび、コンビニでおにぎりを買うのに長蛇の列。
電車がやっと動いた3日後の金曜日になんとなく普通の生活に戻ったような、現実に戻れたような気がしました。
新聞で死亡者の名前を見て、妹は英語の先生(外国人)が亡くなっていることがわかり、急いで連絡をとり、本国に帰る手前で会えたそうです。

テレビに映し出されたあの状態を体験された方とは違い、被害からしたらほんとに少なくすんだ私でさえ、あの時の怖さ、忘れる事はないです。
地震、停電のたびに記憶がよみがえり、とても息苦しくなります。
あの同じ年の3月にサリン事件がありましたね。
あの事件を会社の昼休みに聞いたとき、「またか」とめまいを起こしかけました。

この夏、水害が多くてよく非難された話がニュースになっていましたね。
実際なってみないとわからないつらさってあるとおもうんですが、なにが起こっても動じない強い人になりたいと思っています。
モノを失うのはとても辛いですが、家族だけは失わないようにがんばりたいと思っています。
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私は阪神大震災の被災者です。

マンションの6階で震源地から10kmの場所でした。私は長野県西部地震も経験しています。両者とも震源地の近くでした経験等をお話します。震源地に近いと揺れはかなりのものではっきり言ってまずその場から一歩も移動することができません。阪神ではベッドで寝ていましたが起き上がることは不可能で、長野では立っていましたが机にしがみつくのが精一杯でした。テレビ等で言っている机の下へもぐりこむ事などは100%不可能です。また、高層ビルなどでは揺れが長く続きます。超高層ビルなどは上部の振幅は5mほどにもなる場合があるため、地震後の当然立って歩くことなどは不可能です。このことから、せめて寝るときは周りのタンス等が倒れないよう対策を行うことだと思います。東海地震は阪神などと異なり、沖合いで発生するため、津波による被害が主です。したがって、海岸部に住んでおられるなら、大きな地震が発生したら自らの判断で地震警報に頼らず速やかに高い場所へ逃げることです。先日の地震でも警報が発せられない箇所が大半でした。役所を過信しないほうがいいと思います。地震後については、皆さん水に困りました。No.2の方は1週間で復旧されたそうですが実際には、1週間で復旧したのは電気だけでその他は1ヶ月以上になりました。皆さんはお風呂に困られて遠くの銭湯通いが大変でした。南海東海地震の場合は高知県から静岡県までの広範囲で10m程度の津波が発生しますから被害が出た場合、鉄塔、電柱や、ガスタンク、浄水場は当然なくなっているでしょうから、復旧には数年かかるのではないのでしょうか?
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こんにちは。



天災には何もできないので対策は・・・と、やはり思いますよね。
私は幸い、家族・知人・家を全て失う事はなかったですが、今回の震度1でも未だにあの時の恐怖がよみがえってきます。最近「いつまで被災者と悲観?」と言った事も聞きますが、実際に経験していない人にはわからないと思います。(確かに被災者だから・・と甘えている人もいますが)

復旧までには、土地や場所にもよるかと思います。私の地域では電気・ガスは結構早かったです。ただ、水道も早かったのですが、それでも1週間はかかりました。

あの震災後、寝室にはお布団以外何もない部屋と決め(箪笥や何かが合った場合、倒れてきて下敷きになる確率が高いので)、非難袋は常にあり季節ごとに中の物も入れ替えています。あとは底の厚めのスリッパ。地震で食器棚や置物が倒れた場合、何も履いていないと逃げ出すまでに足を怪我してしまうので。
また、災害ダイヤル等ありますが、祖母が地方に住んでおりますので、「生存確認」の連絡を兼ねて夫が仕事に出て離れていた場合には祖母に連絡をお互いに入れるように話し合っています。

被害の少なかった私ですら、こんな感じですので『本当の』被災者の方は、もっとかもしれません。私が心配性で「そこまでしなくても」と思われるかもしれませんが。
参考までに・・・
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