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カントは意志についてなんと言及してるのでしょうか?
ここで言う意志とは、「何物にも依存せず、自らがその行為の第一原因となりうること」を意味します。

デカルトの実体であるコギトを否定し、先験的哲学を展開したカントとしては、当然意志の存在を否定していると、個人的には思っているのですが、カントは何といっているのでしょうか?

A 回答 (3件)

カントは意思をあまり重視しなかった。



意思は人間の個性であるのに対し、カントは人間どもに普遍的な理解(=悟性と言います)や理性、それに基づく判断力を吟味したように思います。
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なお、質問文の意味する「意志」を、カントは、人間が実践理性において、自然法則によらず、自らの道徳規範による定言名法による道徳的行為を行う意志として表現しています。

(これが、他律によらない「自由意志」の実在を意味します)
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カントは、「純粋理性批判」において、コギトの実在性は、純粋理性においては、決定不能と批判しました。

(決定不能なだけで、実在しないとしているわけでは無い事に注意してください)
しかし、「実践理性批判」においては、善意志が存在するならば、精神の永遠性と神の存在が要請されるとしています。
つまり、カントにおいては、その「実践理性批判」における善意志が人間に存在するならば、コギトも存在しうると言う事です。
「要請」としたのは、論理的に証明不能だと言う事を誠実に表現したわけで、カントはコギト自体の存在は信じていたのでは無いでしょうか?
なお、カントにおいては、論理的(コギトが実在する理由を明示する事)な形式では、コギトの実在は説明不能ですが、Cogito =sumという、同一命題と解釈するのが妥当だとしています。(つまり、Cogito ergo sumは、経験命題では無く、分析命題と解釈しています)
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