ギリギリ行けるお一人様のライン

大宰府の歴史について詳しく知りたいのですが知っている方、教えて頂けないでしょうか?
菅原道真との繋がりも少し絡んでいると嬉しいです。
どこかのサイトさんを紹介して下さっても直接教えていただいても結構です。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

 太宰府の前身と言われるのは那津宮家(なのつのみやけ)です。

九州の独立戦争とも言える磐井の乱が起こった継体天皇21(527)年の後乱を制圧した大和中央政権は内政を強化し筑紫の地に那津宮家を設置しました。磐井一族は朝鮮半島の新羅と通じており、百済との強い関係を志向する大和中央政権とは対立する宿命であったといえるでしょう。磐井の乱平定後、那津宮家は朝鮮半島の覇権をにらんだロジスティックの中心的役割を負うようになります。

 日本書紀によると推古天皇17(609)年、「筑紫太宰」の文字が見えます。白村江の戦いに破れた日本百済の連合軍は太宰府を中心とした一大防衛基地をベイエリアから一歩退いた地に水城や大野といった地域を含めて設置されました。今でも水城や大野城といった地名にその名残を見ることができます。

 余談ですが白村江での敗戦がよっぽど深刻な影響を与えたのか、天智天皇(668年即位)の時代に制定された近江令にはじめて「日本」の国号が見られ、この時期、台頭してきた唐に対抗するため「倭国」から強固な民族国家「日本国」への脱却がはかられた大きな変動期にあったのだろうと想像します。そういった背景があり、九州は国防の第一線となり、太宰府は物心両面でその中心となります。

 行政機関としての太宰府が正式に設立されたのはあの大化の改新(645年)の後のことで、これより西海道(九州)における中央政府出先機関としての役割を負ってゆくことになります。7世紀後半になると筑紫だけではなく伊予、周防、吉備の各地に「太宰」は置かれますが、養老令の時代になると「太宰府」は筑紫地方一カ所に統一され「大君の遠(とほ)の朝廷(みかど)」としての役割を強く担うことになります。

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 この辺は日本史の中でも好きなところなので、ほぼフリーハンドで書いてしまいましたが、菅原道真公については

http://www.dazaifutenmangu.or.jp/gaku/kankou.htm
http://www.michiza.net/
http://www1.linkclub.or.jp/~yukos/dazaifu/person …
といったサイトが参考になると思います。
 
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この回答へのお礼

細かいところまで教えていただきありがとうございます。
フリーハンドでここまで書けるなんて凄いですね。
参考にさせていただきます。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/08/30 11:36

 先日、大宰府にお参りに行ったばかりです。


やはり公式HPが役に立ちましたよ。
道真公のお話だと、歌舞伎でも有名ですよね。

参考URL:http://www.dazaifutenmangu.or.jp/home2.htm
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この回答へのお礼

公式のHPがあったのですか。
参考になりそうで助かります!
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/08/30 11:31

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