プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

人は願いを叶える為に生きているとも思います。
8人の幼い命を奪ったあの鬼畜が願いをかなえました。

奴は死刑を望んでいました。
あんな極悪人の望みどおり死刑にさせる事が法律ですか?

無論あんな奴は死刑になって当然ですが、それでも奴の望みどおりの方法で死ぬのがどう釈然としません。
遺族の気持ちとして、この世から存在がなくなっただけで良かったと思えるのでしょうか?

分かりません。

A 回答 (21件中1~10件)

思えば、あんな悲惨な事件から死刑判決、そして、死刑執行、あっという間の出来事といえば簡単ですが遺族の方から見ると地獄のような数年間だったでしょう。


さて、今回の死刑執行で色々と議論されていますが、もちろん賛否両論あっていいと思います。私としては死刑には当然賛成でした。しかし、執行の時期には疑問符がつきました。色々と考えてみましたが、もしかすると、宅間が手がつけられないほど暴れまわって、刑務官も手におえず、早期執行に至ったのでは?とも思いました。しかし、死を望んでいるものに死を与えるというのはいかがなものかと思います。死を間近に迫ったときには多少の恐怖はあったかもしれませんが、やはり、贖罪の念をもって執行されるべきだったのでは?と私は考えています。質問者に読んでいただきたい本があります。角川文庫の著者が大塚公子 死刑囚や死刑執行人についての本がありますので読んでみてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

早く死刑になりたくて裁判をしてくれとまで言ってたそうですが、
と、するなら、奴の嫌がることは拘置所で生きながらえることになります。
死刑は決まっているのですから、ジワジワと死の恐怖と向き合わせて生きながらえさすのも一つの刑罰だったかも分かりませんね。
遺族の方にとっては生きていること自体許されないことでしょうけどね。

ありがとうございました。
推薦の本も探してみたいと思います。

お礼日時:2004/09/23 20:35

近代刑法学の立場(専門家ではありませんが)から述べさせていただく。



死刑を含む刑罰の目的は、あくまでも抑止力と本人の更正です。死刑の場合は特に刑務所の外に出ることがないので、更正の目的はありません。

では、通常の素朴な感覚である報復はなぜ近代の刑罰に含まれないか?

報復は、被害者と社会一般が「すっきりする」という後ろ向き、過去向きの処理である。この「すっきりする」という感情をもっと重大に評価すれば、犯罪者に対する報復的な取り扱いが法的にもなされる可能性も十分にあります。しかし、近代刑法では、そうした「すっきりする(釈然とする)」という感覚を野蛮として退けてしまったわけですね。

あと、私的報復については、報復の連鎖を社会的に抑えるのが望ましいとみんなが思ったため、一応刑罰をする主体を、圧倒的な武力を持つ国家に限定して、私的制裁を一切禁止することにしたわけです。


なので、はっきり申し上げて、ご質問の件に限らず、およそ多くの判例で、通常の感覚からは釈然としないような刑罰が課されているものと思います。


しかし、とりわけ、池田小学校の事件が特徴的なのは、死刑が将来の宅間に対してまったく抑止力を持たないことです。したがって、刑法学的な刑罰の目的もまったく果たしていない。

宅間のような性格異常者や精神病患者に対して、近代刑罰はまったく抑止力を持ちません。こうした人々が増加している今日においては、刑法学の基本的なパラダイムの基礎が問われていると思います。

これを説明すると長くなりますが、
簡単に言うと、刑法における犯罪者の人間観というのは、普通の人が道を外れたという感覚。
なので、原則としては、普通の人が道を外れないだけの制裁を考えています。

なので、ある意味では、現実に法律を知っている故意の犯罪者が発生してしまったという事実は、すでに刑法学的な刑罰の理念の破綻を意味するわけです。時折見られるような、数千円の泥棒をしてしまうような限定合理性などは対処できませんが、大半の犯罪予備軍に対しては、一応の抑止力を保ち、実際、犯罪者は、犯罪をしたいと内心で思っている人たちのごく一部だと思われます。正確な推定は、内心の犯罪未遂者の質の良いデータが多分ないので、無理だと思いますが、おそらく1%をきるでしょう。

しかし、例外もありました。たとえば、飲酒運転です。毎年、飲酒運転による交通事故が異常に多かったのは、飲酒運転に対する罰則がゆるかったことが原因であるといえます。こうした領域では、従来の判例における刑罰が不十分であるとして、なんらかの形で厳罰化が検討されてきたでしょう。


ところが、宅間のケースというのは、従来型の厳罰化では対処できないのです。つまり、もともと宅間は異常だし、しかも死刑以上の現状刑法における重い刑罰はありません。

なので、これは私の意見ですが、
やはりこれからは、
1)犯罪者の性格を刑罰の設計で加味する
ことと
2)死刑以上のいじめ的な刑罰
の両方が必要であると考えます。

1)については、従来型の犯罪者に対しては、従来型の刑罰を課せば十分に抑止力を持ちます。
しかし、宅間のような異常者に対しては、そういった連中が特に嫌がるような刑罰を別に模索していく必要があるでしょう。

2)死刑というのは、近代以前の刑罰の中では、ぜんぜんもっとも重いというわけではありません。昔の刑罰では、殺し方に工夫があります。たとえば、江戸時代ののこ引きというのは、地中に頭だけ出して犯罪者を埋め、頭を生きた状態でのこぎりでひく。ジンギスカンは、生きている人の耳に融けた銀を流し込んだそうです。
私は、拷問みたいに目をくりぬいて、刑務所で生かしておくとか、何かとんでもない刑罰を提唱したいですね。そうすれば、さすがに宅間のような殺人は犯さないようになると思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

論理的な回答ありがとうございました。

端的に言うと刑罰は親が子供に悪いことをした後の、お尻ペンペンだと思います。
「もう二度としません!」
と言う言葉が欲しいのですが、あの犯人の場合の死刑は子供に欲しい物を与えてやるご褒美みたいになってしまいました。
犯罪者の嫌がる刑でなければ刑罰の意味合いが無いですね。
死刑を望む物には、あなたの仰るとおり拷問の刑でもなければ抑止力にはなりませんか。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/23 20:24

こんにちは。

#14のmimosukeです。
お礼ありがとうございました。
お礼に、
>あんな重罪を犯しておいて、自分の望み(死刑)が叶ってしまった事が釈然としない

とあったので、
ああ、そういう意味か・・・と考えていました。

私は法律には詳しくありませんが、
あれだけの事をしたら死刑、と法律で決まっていたのなら、
彼はその辺も分かっていて、望みに添う行動をしていたのではないでしょうか。
これは予想ですけど、
死にたくてもできなかったから、
死刑になるような犯罪を犯して、死なせてもらおうみたいなことではないかなと思いました。

生活苦で、まともに暮らせないから犯罪を犯して刑務所に入るという話もテレビで見たことがあります。
刑務所だったら無償で食事できるから、というような理由だったと記憶しています。

なぜ彼の願いが叶ったかと言えば、
彼は、自分の望みを叶えるような行動を取ったから、
願いが叶ったのだと私は思います。

小さな子供が、すでに、あるいはいつか持つであろう将来の夢を叶えることなく人に殺されたことと、
死ぬために犯罪を犯して(仮定ですけどね)死刑になった人のことを比べても、
もう取り返しがつかない事になっている以上、
負の気持ちが沢山つのるばかりでしょう。

もう人が人を殺すようなことは無くなって欲しいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

>生活苦で、まともに暮らせないから犯罪を犯して刑務所に入る

法治国家としての抜け道で暮らしているようで情けないですね。
日本の刑務所は待遇が良すぎるから不埒なやからが出てくるのでしょうね。
刑罰も軽く外国人犯罪者が日本では捕まっても、本国より刑が軽いので平気で犯罪を犯しに入国しているのが現状です。
私の持論は犯罪者に人権不要と言うことです。

お礼日時:2004/09/23 20:07

…私も本当に釈然としません。

TVでニュースを見たとき本当に驚きました。信じられなかったというのが正直な気持ちです。もちろん死刑に反対とか言う意味でなく、これほどの重大事件なのにろくに調べもせず、死刑を執行していいのかと。
今日、彼の最期の様子が伝えられましたが、それを読んでなお、憤りとやるせなさを感じます。どうしょうもなく甘えた心のような気がしたのです。亡くなった子供たちはいったいなんなのか。
結婚された方と彼の間に一体どんなやり取りがあったのかはわかりません。たぶん、まだ時間はあるものと、お相手の方も思ったのだと思いますが…

もっと、もっと調べるべきで、彼の言葉はちゃんと聞くべきだった、本当にそう思います。その上で死刑を望んでいました。この事件の背景を色々と読んでみる度に、この国は親子関係、引いては、ひょっとしたら男女の関係の根本からやり直さないとこういう事件は後を絶たない。そんな気がします。。
亡くなった子供たちが哀れで…。司法はどうしてこの事件の追及を投げてしまったのでしょう。わかりません。
肝心な時に向き合わないと…またこういう事件は起こるのではないか…そう思います。

手塚冶虫さんの、火の鳥<鳳凰編>をよろしければ読んでみて下さい。手塚冶虫さんはすごいです…。漫画と思わずに是非。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
あの犯人もあんな育て方をしたらどういう怪物が育つか父親に知らしめたいことを言ってました。
親子関係で性格が変わりますね。

火の鳥は読んだこと無いですが、
先日病院の待合にあった、ブッタを読見ました。
続きを読みたいのですが、あれ以来病を気しません。
機会があれば是非火の鳥を読んで見たいと思います。

お礼日時:2004/09/21 19:57

自分は、少なからず彼には同情の気持ちがあったりします。

正直こう書くことは一般的に考えて躊躇われるのですけどね・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうなんですね、大体こう言った訳の分からない犯罪者に同情したり、理解できると言う方が時折出てきますね。
理解できるところまでは良いのですが、これが、こんな方法があったのかと、後追い行動するやからが出てくると困りますね。

お礼日時:2004/09/21 19:46

No.10です。


なんの根拠もなく、若者と間違えてほんとうにご無礼いたしまして、申し訳ありません。こういうことに怒るのは若い人だと(自分の子供の世代だと)思い込んでいまして、決して文章のせいではないです~~。
ほんとに失礼しました。
極悪非道の死刑囚が悟りを開く?みたいな映画なので、是非どうぞ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
別に若者のように憤慨してるわけでなく、やるせないだけですので・・・。

お礼日時:2004/09/17 20:49

せめて遺族の無念を出来るだけ晴らすにはどうしたらよいか考えてみました。

遺族の気持ちはわからないので。あくまで自分の気持ちに置き換えてみた。

先端医学の威信にかけて宅間を善人に洗脳にし、
激しい自責の念にとらわれ、毎晩油汗を流し悪夢にうなされる事30年の後、ようやく息の根を止めてやる。

 何か違いますね。自分が釈然としなくなってきました。
彼を善人にする事に抵抗を感じるのか…
彼には猛省してもらいたいが、そのために良心を持たす
事に抵抗を感じる。死ぬまでに少しでも反省する事が
彼にとって救いになるからなのか…
 彼には鬼畜のまま無間地獄に落ちていってもらいたい気持ちですね。

 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
遺族の方には奴が生きていること事態が、我慢ならないことだとは思うのですが・・・。

お礼日時:2004/09/17 21:50

望み通りの死に方・・・そうですね、


「無駄に生きたくない」と言っていた部分、
こんなことをした自分が恥ずかしいから、
さっさと死んでしまいたい、という気持ちなのかもしれません。
その点では、遅かりしながら、
自分のしたことに対する後悔の念が
沸きあがってきたのかもしれません。
今さらですけど。

遺族の方の気持ちがいつかやわらぐなんてことは
ないでしょう。
犯人が死んでも、
亡くなられた方は、戻ることはありません。
気持ちだけ、ずっと、残ります。
その気持ちは、お金で払われたり、
精一杯の謝罪があっても、
なくならないと思います。

これは批判ではなく、単なる疑問なのですが、
質問者様は、彼の死に方に釈然としないということですが、
では、どんな風に死んで欲しかったのですか?
ご自身で殺したかったですか?

彼のしたことは残虐で、
人間的に許されることはないけれど、
文章や、他の方へのお礼から、
彼という人間そのものを世の中から排除すべきみたいな、
そんな感じを受けます・・・

犯罪を犯したことで、彼は悪人になってしまったけれど、
そうなるまでの過程があったはずですから、
世の中の不条理さを分からせたいという彼の気持ちは分からなくもなかったです。
方法は一番いけないことでしたけどね。
私個人としては、
自分の気持ちをどうにもできなくて、
結局犯罪を犯して誰から見ても悪い人になってしまった、
かわいそうな人、と思っています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>彼の死に方に釈然としないということですが、
死に方(死刑)は 別に何でもいいのですが、
あんな重罪を犯しておいて、自分の望み(死刑)が叶ってしまった事が釈然としないとのいです。

お礼日時:2004/09/17 20:46

あえて、言わせて貰えば、宅間は自分のしたことは正しいと思いながら死んでいきました。

せめて、間違っていたと思わせてから、死刑をするべきだったと思います。これでは、キリスト教の殉教者や、神風特攻隊の人達、維新の志士たち・・・そういう心境で死んでいったと思います。彼は、この社会の虐げられた人たちの側につき、英雄を気取りました。彼に何の恐怖や反省もさせずに死刑にしてしまったことは、何か釈然としません。子供達は宅間という自然発火の火災にでもあって逃げ遅れて死んだとおもうしかないと思います。人にやられたと思うから、いろいろ考えてしまうのですが、隕石が学校に落ちて事故で死んだようなものです。宅間は人の心はないのですから。うまくいえませんが、今回の死刑は、やはり、根本問題が解決してないように思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

前の回答より哲学的な回答ですね。
奴は人間の心を持たないのですから、あなたの言うように突発的な事故とも取れます。
でも奴は一様人間の形をいていますので、何とかならなかったのかと思います。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/17 20:34

下にもあるように、新薬の人体実験台とか臓器の有効利用とか人道的に問題がありますが、それが一番ベストのような気がします。

なんか、今回の死刑をみて、根本的な問題が解決いていない不惑さを抱きました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

同感です。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/09/17 20:26

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す