痔になりやすい生活習慣とは?

日本語の「命」と「生命」の違いはなんでしょうか

A 回答 (3件)

「命」と「生命」はほぼ同様の意味で使われるのがふつうです。

「生命」を「いのち」と読むことさえあります。
 ところが、「命」はかなずしも「いのち」だけを表していませんでした。漢和辞典を引けば分かることですが、「命」はまず「みこと」と読んで、神や人の命令を表しました。「みことのり」という言葉もあります。「ノル」は言葉を口に出す意味で、「祝詞」(のりと)も関係があります。
 ということで、人は(人よりもむしろ天子)が「天命」(天帝の命令)によって、この世を治めるのが、人の世の姿であり、時には「革命」(天帝の命が変わること)も起きたわけです。
 「命」は本来こういう中国の思想(天命思想)から生まれたことばで、後に人間のいのちを表すことになり、「命令」と区別するため、「生命」という言葉が生まれたました。
 結果的に、そういう「天命思想」などが、忘れられたため、「命」は「生命」のことを表すことになったと言えます。
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命、私にととっては息子が命、芸人なら芸こそが命とか、生き物に限りません、人口衛星からの地上の写真、レンズの解像度が命。


その物にとって肝心かなめの存在=命
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「生命」というと、生物学的な肉体です。



「命」というと、肉体と心、あるいは心だけの場合です。
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Q「夢中」と「熱中」の違いについて教えてください

中学1年の息子からの質問です。同じ様だけどニュアンスが少し違う様に感じます。「夢中になる」と「熱中する」と使い方も違いますよね。だからと言ってどう違うのか?と聞かれると詰まってしまいます。

Aベストアンサー

違いはと言えば、
「夢中」は我を忘れている、つまり周りが見えてない状態。
また範囲が物事だけでなく、人や動作にも及ぶ所ではないかと思います。

一方「熱中」は周りが見えてないわけではなく、熱心に集中して取り組んでいる様子。
また範囲が物事や作業に限定されるのではないでしょうか。

「夢中で走った」「夢中で逃げた」と言えば、何かにビックリして周りも見えない状態で走った事を想像させます。

「熱中で走った」とは言いませんが、「走る事に熱中している」とは言います。この場合は「今走っている」というより、マラソンや短距離などの競技か趣味などの事柄に「集中して取り組んでいる」と取れます。ただし周りが見えてないわけではないと思われます。

「〇〇に夢中」は「周りが見えてない状態」。または「それほどに好き(周りが見えないほどに)」と言う意味で使われてそうです。
「〇〇に熱中する」は物事や作業に、「熱心に集中して取り組んでいる様子」と言う意味に取れそうです。

「好き」という事については「熱中」も使いそうですが、「熱中=好き」と言うよりは、むしろ「熱中する=楽しい」という、その事柄・作業を楽しんでいると言う意味合いを含んでいそうです。
なので「好きだから熱中している」と言う文は成り立っても、「熱中する」自体は「楽しんで集中して取り組んでいる状態」と取れそうです。

違いはと言えば、
「夢中」は我を忘れている、つまり周りが見えてない状態。
また範囲が物事だけでなく、人や動作にも及ぶ所ではないかと思います。

一方「熱中」は周りが見えてないわけではなく、熱心に集中して取り組んでいる様子。
また範囲が物事や作業に限定されるのではないでしょうか。

「夢中で走った」「夢中で逃げた」と言えば、何かにビックリして周りも見えない状態で走った事を想像させます。

「熱中で走った」とは言いませんが、「走る事に熱中している」とは言います。この場合は「今...続きを読む

Q「云う」と「言う」の違いは?

小説で多分作家さんによってだと思いますが、
「~と云った」「~と言った」と使い分けられていますが、
これってどう違うんですか??

「聞く」が「訊く」となっているのも気になって
調べてみるとちゃんと意味があるみたいですが、
こっちはわかりませんでした。

Aベストアンサー

はじめまして。

1.「いう」は以下のような、使用区別があります。

言う:
(1)心に思うことを言葉で表します。
(2)「~と呼ぶ」「~と名づける」の意味で使います。
(3)物が音を立てる(戸ががたがた言う)時などに使います。
例:Aが~だと言った。

云う:
(1)「伝える」が語源です
(2)人から聞いたことを「云う」
(4)伝承・伝説として伝わることを指して「~と云われている」
例:昔から~だと云われてきた。

謂う:
(1)「謂」は「理由、わけ、事情」という意味があります。
(2)「謂れ」=「因縁」「由緒」と考えるとわかり易いです。
例:この家の謂れは~


2.「きく」は以下のような、使用区別があります。

聞く:
物音や人の話を耳でとらえます。
例:人の話を聞く。

聴く:
「(限定的に)身を入れて聴くこと」を言います。
例:音楽を聴く。国民の話を聴く。

訊く:
(1)「訊ねる=問いただす」から来ています。
(2)意味は「尋ねる」ということです。
例:道を訊く。詳細を訊く。

以上ご参考までに。

はじめまして。

1.「いう」は以下のような、使用区別があります。

言う:
(1)心に思うことを言葉で表します。
(2)「~と呼ぶ」「~と名づける」の意味で使います。
(3)物が音を立てる(戸ががたがた言う)時などに使います。
例:Aが~だと言った。

云う:
(1)「伝える」が語源です
(2)人から聞いたことを「云う」
(4)伝承・伝説として伝わることを指して「~と云われている」
例:昔から~だと云われてきた。

謂う:
(1)「謂」は「理由、わけ、事情」という意味があ...続きを読む

Q“最近”と“この頃”の違い

“最近”と“この頃”という言葉の違いについてレポートを書くのですが、違いがよく分かりません。明確な違いはありますか?
教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
先ず、「最近」と「この頃」はまったく同じ意味で使うことが出来ます。
NHKみんなのうたに『山口さんちのツトム君』という有名な歌がありますが、その中でツトム君は友達の女の子から次のような指摘を受けます。
「このごろ少し変よ」
この場合「このごろ」は、歌の雰囲気に合うかどうかはともかく、少なくとも意味的には「最近」に代えてもまったく支障はありません。

次に、ツトム君が変になった原因はママが田舎に里帰りしたからですが、それは長くともせいぜい数日間の話だと思われます。もしも彼がここ1ヶ月くらいずっと塞ぎ込んでいた場合には、友達は「この頃」とは言わなかったでしょう。このように、「この頃」が表す期間はかなり短い日数に限られると言えます。
一方「最近」ですが、例えば会社の業績検討会議で「最近業績が下がってきている」などと言う場合、普通は過去数ヶ月間の話です。

さて、そこで「明確な違いはありますか?」とのご質問に対する回答ですが、上で述べたように、同じ日数でも「最近」と「この頃」の両方が使用可能な場合もあります。また、「この頃」は短期間専用とは言え、何日未満が「この頃」で、何日以上が「最近」というような客観的な基準は何もありません。両者における明確な違いと言えば、「この頃」は次のような具体的な時間表現を伴った使い方が出来ないという点でしょう。
「このごろ3日間の天気」
「最近」は、「最近朝の目覚めが悪くって‥」のように単体使用も出来る一方、「最近12時間の気象情報」などと明確な時間表現を伴うことも出来ます。しかもこの表現は、現在を基点としていくらでも遡ることが可能です。
- 例 -
「最近10億年の間に出来た比較的新しいクレーター」

なお、「この頃」は時間の概念のみしか表しませんが、「最近」は時間だけでなく “最も近い” という距離の概念を表す場合もあります。ある意味、これが両者の最も大きな違いと言えるかもしれません。ただし、その意味で使われることは稀で、「最近のガソリンスタンドはここから1km先です」などと言うと意味が通じない可能性があります ( ^^

こんにちは。
先ず、「最近」と「この頃」はまったく同じ意味で使うことが出来ます。
NHKみんなのうたに『山口さんちのツトム君』という有名な歌がありますが、その中でツトム君は友達の女の子から次のような指摘を受けます。
「このごろ少し変よ」
この場合「このごろ」は、歌の雰囲気に合うかどうかはともかく、少なくとも意味的には「最近」に代えてもまったく支障はありません。

次に、ツトム君が変になった原因はママが田舎に里帰りしたからですが、それは長くともせいぜい数日間の話だと思われます。...続きを読む

Q「ゆく」と「「いく」の違いは?

「ゆく」と「「いく」はどう違うのでしょうか?
「今、あいにゆきます」
「今、あいにいきます」

Aベストアンサー

古語辞典を引いてみたら、
[「いく」と「ゆく」は、ともに上代から用いられたが、「ゆく」の方が多く用いられた。]と書いていました。

Goo辞書の「ゆく」には次のように出ていました。
〔(1)同義の語に「いく」があり、上代から併用される。「ゆく」と「いく」は一般に同じ語の少し異なった語形とうけとられており、本辞典では、この「ゆく」の項で両方あわせて記述する。なお、現代語では、「いく」にくらべ、「ゆく」の方がより文章語的な感じをもつ。
(2)原則として「ゆく」「いく」どちらの形も使えるが、「立ちゆく」「亡びゆく」「更けゆく」「消えゆく」、「ゆくえ」「ゆく末」「ゆくて」「ゆく春」「ゆくゆく(は)」などは普通、「いく」の形をとらない。
(3)連用形の音便形は、現代語では「いく」の「いっ(て)」「いっ(た)」の形しか用いられない。ただし古くは「ゆく」にも音便形として「ゆい(て)」があった。
(4)平安鎌倉時代の漢文訓読では「いく」の例はまれで、ほとんど「ゆく」が用いられた〕

以上のことから

>「今、あいにゆきます」
>「今、あいにいきます」
ご提示の文章は同じですね。「ゆく」と言っても「いく」と言ってもよろしいかと思います。

ただ、Goo辞書に出ていますように、「立ちゆく」「亡びゆく」「更けゆく」「消えゆく」、「ゆくえ」「ゆく末」「ゆくて」「ゆく春」「ゆくゆく(は)」などは、「いく」と読んだ例を知りません。

ほかにも「明けゆく」、「移りゆく」、「暮れゆく」、「過ぎゆく」、「ゆく秋」、「ゆく年」・・・・いくらでも出てきます。

これらを「いく」と読んだらいけない、という規則はありません。
しかし、言語というものは、その時代の大方の人が読む読み方が正しいものとされ、辞書にも用例として載ります。
ですから、上のようなものは「ゆく」と読んだ方が、教養を疑われることもなく無難だと思います。

まあ、現代語では「ゆく」、「いく」はどちらでもOKの場合が多いです。
しかし、「ゆく春」や「ゆく年」などのように「いく春」、「いく年」とは言わないものもありますので、大方の場合「ゆく」といっておいた方が間違いが少ないと思います。

言葉というものは、時代とともに変化してきました。現代人が奈良時代にタイムスリップしたら、ほとんど通じないでしょう。
このように言葉が変わってきたということは、時代時代で、それまで正しいとされてきた用法と違う新しい言い方が定着するようになり、古い言い方が消え去って、次第に現代語に変わってきたのだと思います。
ですから、今後「ゆく春」、「ゆく年」などが「いく」に変わって行く可能性はないとは言えませんが、現在のところは「ゆく」が圧倒的多数ですので、大勢に順応しておいた方が無難でしょう。

まあ、少し古風な感じがするかも知れませんが、私は大方の場合「ゆく」を使うようにしています。
例外はありますけど・・・。(下のGoo辞書の記述には驚きました。こんなことを辞書に書くんですねえ!)。
「(12)性交において、快感が絶頂に達する。俗語的な言い方なので主に「いく」の形を用いる。」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%E6%A4%AF&kind=jn&mode=0&kwassist=0

古語辞典を引いてみたら、
[「いく」と「ゆく」は、ともに上代から用いられたが、「ゆく」の方が多く用いられた。]と書いていました。

Goo辞書の「ゆく」には次のように出ていました。
〔(1)同義の語に「いく」があり、上代から併用される。「ゆく」と「いく」は一般に同じ語の少し異なった語形とうけとられており、本辞典では、この「ゆく」の項で両方あわせて記述する。なお、現代語では、「いく」にくらべ、「ゆく」の方がより文章語的な感じをもつ。
(2)原則として「ゆく」「いく」どちらの形も使え...続きを読む

Q人の命の重さは同じか?

皆さんこんにちは。

人の命の重さは同じなのでしょうか?

例えば、強盗、強姦を繰り返して刑務所から出所してきた
人間と、真面目一筋で生きてきた人間の命は、後者のほうが
重くなければいけないと感じるのですが、どうなのでしょうか?

観光船で遭難したとき、社気的地位のある人が、自分は世の中で
必要な人間なんだから先に助けろ。と、主張したりするのを
映画やドラマで観たことがあるのですが、これはある意味あって
いるようで、そんなことくらいでは人の命はかわらないとも
思えるのですが、どうなのでしょうか?

仮に人により命の軽重があったときの線引きはどこなのでしょうか?
社会的地位、金のあるなし、性別、年齢。。など、考えられると
思うのですが、「人の命は同じではない」と思われてる方は、どの
辺りの線引きでそれを考えられるのか、教えていただけば幸いです。



なお、先ほど「正しい宗教とは? 」という質問をポイントを
入れて締め切りましたら、ポイントを入れた以外の人の回答が
全部削除されてしまいましたー  
どうやら最近システムの変更があったようなのでご容赦ください。

皆さんこんにちは。

人の命の重さは同じなのでしょうか?

例えば、強盗、強姦を繰り返して刑務所から出所してきた
人間と、真面目一筋で生きてきた人間の命は、後者のほうが
重くなければいけないと感じるのですが、どうなのでしょうか?

観光船で遭難したとき、社気的地位のある人が、自分は世の中で
必要な人間なんだから先に助けろ。と、主張したりするのを
映画やドラマで観たことがあるのですが、これはある意味あって
いるようで、そんなことくらいでは人の命はかわらないとも
思えるのです...続きを読む

Aベストアンサー

人の命の軽重を線引きするというのは、まるで神の領域に関わるような不遜な観念になるので、その重さは同じということにしているのでしょう。
しかし、そんなことを悠長に言っていられない場合もあるでしょう。例えば、大震災が起きて負傷者が多数いる際に、医者がこの観念に拘泥してトリアージの際に躊躇していたら、助かる命も助からないでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B8
要は、人命の軽重には普遍的な定理があるわけではなく、ケースバイケースになると思います。
仮に、新型インフルエンザが発生して、急遽そのワクチンを作った場合、医療関係者に最優先で投与するという計画があるようです。医師は一人で何人もの命を救うことができるからです。このように、人命に関わる立場にある人が優先される場面はあるでしょう。だから、人の命の重さは、場合によっては相対的だと思います。

自分が観光船で遭難して救命ボートが足りない場合、まず、自分より年下の人には無条件で譲ります。自分は人生をある程度は経験してしまったし、その人には未来への可能性があるからです。
それから、扶養家族や介護すべき家族がいる人にも、無条件で譲ります。その人がいなくなると他の人の命にも関わるからです。
結局、中年で家族のいない私は、救命の途をみんなに譲ることになりそうです。しかし、そのような人の命が軽いということではなく、あくまで自分だけに当てはめる自己犠牲の基準に過ぎません。
このように、緊急時における自らの身の処し方を考えてみると、わかりやすいと思います。
それから、単なる社会的地位や犯罪歴の有無が、緊急時の判断に影響すべきではないと考えます。

なお、先程の質問では、ポイントを入れた以外の人の回答が全部削除されたわけではありません。質問のフレームの右下にある「良回答のみ表示」がアクティブになっているだけで、「最新から表示」か「回答順に表示」をクリックすれば、元の状態に復帰します。
このことをお知らせしたくて投稿した次第です。

人の命の軽重を線引きするというのは、まるで神の領域に関わるような不遜な観念になるので、その重さは同じということにしているのでしょう。
しかし、そんなことを悠長に言っていられない場合もあるでしょう。例えば、大震災が起きて負傷者が多数いる際に、医者がこの観念に拘泥してトリアージの際に躊躇していたら、助かる命も助からないでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B8
要は、人命の軽重には普遍的な定理があるわけではなく、ケースバイケースにな...続きを読む

Q「じゃない」と「んじゃない」の違いについて

こんにちは。 日本語に関する質問です。日本語の学習者に

Q「じゃない」と「んじゃない」の違いは?

と聞かれたら、どのように説明しますか。 ご回答・ご意見、お待ちしております。

Aベストアンサー

「じゃない」は助詞「では」の転化で、「ではない」そうじゃない=そうではない
いいじゃない=いいではない

「んじゃない」の 「ん」は「の」の転化

いいんじゃない=いいのではない するんじゃない≒するのではない

となります。

動詞には「んじゃない」で接続する方が多いとおもいますが

Aあのみちをまっすぐ行くじゃない。
Bあの道をまっすぐ行くんじゃない

では意味がちがいます。
Aはあのみちをまっすぐいくと
意志 推定の要素が強い

Bはあの道をまっすぐ行くのではないかしら
仮定 推量の要素がつよい。

兎に角例文を沢山作って類推する様にされたらいかがでしょうか。




例えば 笑うじゃない 笑うんじゃない

どちらも推量の意味のだとおもいますっが、んじゃないの方が柔らかい言い回しだと思います。

Q「~という」「~といった」は口語ですか?

論文では口語を使ってはいけませんよね?

そこで,質問なのですが,
以下の文章は口語ですか?文語ですか?

1,「~といった課題がある.」
2,「~という課題がある.」
3,「~ということが課題である.」
4,「~が課題である.」

日本語にお強い方,教えてください.
よろしくお願いします.

Aベストアンサー

先ず答えは、論文に使えます。

>「口語体としての文語」とは,どういうことでしょうか?

国語には、口語と文語が在ることはご存知でしょう。

話すときに使う言葉が口語。文章を書くときに使う言葉が文語。


では、論文に「~という課題がある」と言う文章を見付けました。さて、これは口語ですか、それとも文語ですか?

答えは、文語ですね。何故なら、文章の中のに書かれている言葉ですからね。もし、貴方が、会話の中で、「~という課題がある」と言った場合には、今度はこれは口語になります。

ところで、日本語の文語には大きく分けて二種類あります。それは口語体の文語と、文語体の文語です。口語体の文語とは、文章に書く場合の言葉の表現と日用会話で使う表現を出来るだけ近くしようという、明治以降に始まった文言一致と言う運動から出て来た文語のことです。

それに対して、文語体の文語は、所謂日本の古文のことで、その文体は今の日常会話とは全然違いますね。実は、文語体の文章は平安期位まではその当時の口語に近い、口語体の文語だったのですが、書き言葉は話し言葉と違って何時までも残るため、時代による変化が口語と比べてずっと遅い。さらに、文語体独自の美しさが認識されて来たので、文語と口語が大きく乖離してしまったのです。事実、今でも文語体の文語は歴史が長いために、口語体の文語より簡潔で遥かに洗練されていて美しいんですが、今の人達は古文を読む機会が殆どなくなってしまい、その美しさを味わい辛くなってしまいましたね。

ところで、口語体の文語は、口語とは全然違うことに思い当たりませんか。以下に口語体の文語と口語の例を載せておきますのでそれを見て下さい。

口語体の文語の例は、
「山道を登りながら、こう考えた。知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
です。

これを口語で言うと、
「えーと、山道を登りながら、こう考えたんだよね。そう、山道を登りながらね。知に働けば角が立つだろう。情に棹させば流されるしね。それに意地をねー、意地を通すと窮屈なんだなんてね。まーとにかく、人の世は住みにくいよねー。」
となります。

口語では、言っていることがどんどん消えて行ってしまうので、話している人は本当に相手に通じているかどうか不安です。だから、この例のように同じ言葉を何度も繰り返したり、言葉の終わりに「ね、さ、よ、じゃん、べー、んだんべ、、、、」などの余計な物を付けて、念を押しながら話しますね。それが、普通の口語です。それに対して、文章ではそんな不安が無いから、口語体の文語では、そんな諄い繰り返しや、余計な物を付けずに文章を書きます。

だから、口語体の文語で話すと、何か不自然な印象を受けます。そんな安っぽい例が見たかったら、今度、テレビドラマを見ていてご覧なさい。下手なドラマでは、「私は昨日会社に行った。そこで社長さんに会った。、、、」てな文語体の口語で俳優達が不自然に喋っていますから。

先ず答えは、論文に使えます。

>「口語体としての文語」とは,どういうことでしょうか?

国語には、口語と文語が在ることはご存知でしょう。

話すときに使う言葉が口語。文章を書くときに使う言葉が文語。


では、論文に「~という課題がある」と言う文章を見付けました。さて、これは口語ですか、それとも文語ですか?

答えは、文語ですね。何故なら、文章の中のに書かれている言葉ですからね。もし、貴方が、会話の中で、「~という課題がある」と言った場合には、今度はこれは口語になります。

ところで...続きを読む

Qひとり と 一人 と 1人 の使い分け

文字の使い分けがよくわかりません。
1年間 と 一年間,「ひとりあたり」「ひとりにつき」なども迷います。

書き分けの区別だけでなく,なぜそうかも理解できると
混乱に終止符が打てるかもしれません。

詳しい方,よろしくお願いします。

Aベストアンサー

漢数字とアラビア数字、文章中の数量表現の違いですね。

基本的に使い分けの判断は、使用する場面の流れなどで判断します。

漢数字(一、二、三、四)を使う場合は、論文、説明文などで使うことが多く
数量がそれほど重要ではない場合、数字表現が一つで、それが肝要な場合
数自体があいまいだが、おおよその数量を表す場合など
つまり文章全体の中で稀に数字が出るような状況です。

例文)
・ 一年前に僕はこの町に引っ越してきた。
・ 三ヶ月ほどで完成する予定です。
・ レストランに入ると五人くらいのお客さんがいた。
・ その樹には数千枚の葉が茂っている。

アラビア数字(1、2、3、4)の場合は、数式を含む文章や
その数字そのものに重要な意味がある場合、数量が複数出てくる場合、
数量が非常に重要な文章中で使用します。
要するに、事象・事情の「数、数量」を説明したい文章の場合です。

例文)
・ あちらの樹にはみかんが10個、こっちには5個実っている。
・ 今日中に200着生産できる。
・ 私が大学を卒業したのは8年前の2005年だ。
・ あと15分で到着します。

ひらがなで表現する場合は文語的表現、文芸的表現です。
簡単に言えば、見やすい書き方です。
誰にでも平易にわかる文章にしたいときや、ひらがなの柔らかさを使いたい場合
また、その文章を読む対象とする人に合わせる場合ですね。

例文)
・ おひとり様ひとつまで!
・ ふたりともケガはなかったよ。
・ ろくにんがそろってからスタートします。


文章というのは、それを読む人が何を目的に読むのか
また、書いた人が何を目的に書いたのか、ということを考えると
自然と表現の方法が変わってきます。

表現自体に絶対の決まりがあるわけではありません。
中にはこの表現方法ではないとだめだという場合もありますが
(例えば数学のテストで数字をすべてひらがなではあまりよろしくないでしょう)
基本的に、決まりを守ることよりも、読むときのことを考えると良いです。

書く場合はどのような相手に、何を伝えたいのかを主眼にすると
相手によく伝わる文章になります。
数字表現もそのうちの一つであり、上記の法則も「おおよそ」です。
参考にして、自分で法則を作っていき
間違いや分かりにくい、といった点があったときに、都度修正すると
より分かりやすく使い分けが出来ると思います。

漢数字とアラビア数字、文章中の数量表現の違いですね。

基本的に使い分けの判断は、使用する場面の流れなどで判断します。

漢数字(一、二、三、四)を使う場合は、論文、説明文などで使うことが多く
数量がそれほど重要ではない場合、数字表現が一つで、それが肝要な場合
数自体があいまいだが、おおよその数量を表す場合など
つまり文章全体の中で稀に数字が出るような状況です。

例文)
・ 一年前に僕はこの町に引っ越してきた。
・ 三ヶ月ほどで完成する予定です。
・ レストランに入ると五人くらいの...続きを読む


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