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時空の問題については、このカテでも幾度も質問が立てられていますし、
私自身も質問をしたことがありますが、私はいまだに時間と空間は独立し
た絶対的な存在であるという認識から脱却することができておりません。

相対性理論の解釈として次の文章があります。

≪空間は時間を基準にしてのみ考察、測定でき、逆に時間は空間を基準に
してのみ考察、測定できる。つまり、空間も時間も、それが実在するにせ
よ、または単に人間思考の錯覚の範疇にすぎないにせよ、いずれにしても
不可分の統一体だということになります≫

この文章を手掛かりに再度考えてみたいと思います。なんでも結構です、
ご意見をお寄せください。

A 回答 (11件中1~10件)

お応えをいただきました。



★(№7お礼欄) ~~~~~~~~
 >世界は 場から始まった

ということは、「無」からの「創造」が行われたということですね?
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ この命題は 仮説のひとつにしか過ぎません。仮説を出せると
いうほどでないのを承知で 話としてすすめています。

問題は:
★ 「無」からの「創造」( creatio ex nihilo )
☆ というとき その《無》とは何か? になるはずです。

そういう問題を棚に上げています。

つまり 有限で相対的な経験世界における《有る無い》という場合
の《無い》ではないはずです。なぜならもし有る無しの概念で《創
造》の以前の世界(?)を表わしたなら 《無し》としては 以前
と以後とがつながっていることになります。

時空間が 創造の以前から――部分的に?――あったことになりま
す。

《無からの創造》というときの《無》は 誤解を生む表現だと思い
ます。






★ ビッグバンという自然現象? なのか、創造神の手によるもの
なのか、どうお考えなのでしょうか?
☆ そこは お茶を濁しています。言いかえると モノでありコト
でもある場が ビッグバンなどの自然現象として始まったというと
きには そこに《無い神》のチカラがはたらいたといった想定を添
えます。

場ないしモノ(いわゆる物質)が まったくそれ自体のチカラで自
己運動するのだという場合 やはりその自己運動の始まった以前の
世界(?)は どうだったのか? といった問題が つねにのこさ
れていると考えます。

場ないしモノの有る無しを超えたナゾの世界だった・・・というよ
うな想像が あくまで人間の想像として 提出されると思われます。

つまりは ひとことで やはり――有限なる人間にとっては 絶対
なる――普遍神の想定が つねについて回って来るものと思います。


というとき
★ 絶対的な時空間があるという理解でいいのでしょうか?
☆ といった仮説が提出されて来ると わたしも思います。
(ほかにあるかどうかは いま 分かりません)。





★ 空間の「ユラギ」によってモノ(物質)が生じ、コト(事象)が起
きる、と。
☆ すでにもともとユラギなるコトを起こす場ないしモノがあった。

★ この「ユラギ」というものを、他の言葉で表現するとどうなる
のでしょうか?
☆ コトです。ウゴキです。つまり 空間(場)に 時間が ふく
まれている。あるいは 時間の要因を持つ空間が始まった。




★ 灼熱の地球が冷えたときには「無生」の世界であったはずです。
そこに「生命」が、(始めはアメーバのような単細胞生物だったと思
いますが) 誕生したということをどう考えるかということについて
は、「無」から創造されたとすると、考え方に飛躍が、無理がある
と思います。
☆ 素材は 場ないしモノであることは分かっているのでしょうが。

むつかしいですね。それと この場合の《無》が 曲者であるとい
うことになるかと。




★ 「空間」に生命を生み出すパワーが内包され、それが何らかの
条件により「発現」したと考えるほうが自然であると思います。
☆ ええ。まづ 素材としてそのような自然現象として捉えられる
のだと思います。

そして チカラについても 経験科学で認識することのできるもの
であると ふつうは 考えるものと思います。

あとは なおナゾがあるとしたら 自然科学者の哲人に解いてもら
うしかないのでは?



★ ~~~~~~~~~~~~~~
 >時空間は この生命の問題に包含されるのではないだろうか

おそらく、そうであろうと思われます。
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ と同時に わたしたちは 生命についてまだ何も知らないと言
わねばならないかも分かりません。
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#3の者です。



>「空間」は客観的に認識されるものですし、

本当ですか!? 私はまだ、網膜表面でとらえた光量子(=無の射影)
しか「見た」事はありません。
脳内で、過去の五感の相関した経験の蓄積(記憶=過去)を励起した
結果=そこへ行けばどんな生理的感受があるか(予測=未来)として
存在は仮想されているのです。
その実体は、五感の感覚器官表面や脳との感受システムの表面ですが、
それ自体が「経験(過去)による予測(未来)」としての時空に広がりを
有しており、存在の根拠としての「現在=時間的原点」はありません。
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この回答へのお礼

例えば、私の自宅からJRの最寄りの駅まではとても近くて、直線距離にして
約250メートル。
これは、誰がいつ計っても250メートルであるはずです。そして、その間の
空間は誰にでも認識することができます。

このことを、客観的に認識される、と言って間違いではないと思いますが…

もちろん、それが人間の意識が作り出したものにすぎないという可能性は否
定できないのですが、現在の私の感覚では、どうしても「そう思えない」と
いうことです。

お礼日時:2018/02/04 22:10

高速で移動する物質には2つの変化が起こります。

「物質変化の遅れ」と「ローレンツ収縮」です。このために、高速移動すると「時間と空間の座標」が変化します。

 先ず、前者から説明します。物質は、光速に近づくほど加速し難くなります。これは、カウフマンの実験で実証済みです。また、加速器の実験で普通に見られる現象です。

 これは、何故でしょうか。
 物質を動かす重力・電磁力・強い力・弱い力の4つの力もケージ粒子が物質間を光速で往復することで生じます。物質自体が高速で移動すると、ケージ粒子の往復に要する時間が伸びます。光速では無限大となり力は働きません。

 この様に、物質が高速になるに従って、物質を動かす力は働き難くなるので、動かし難くなります。
物質の質量増加  これを相対性理論では、m=m0/√(1-V^2/C^2)と表わします。m=V㎞/秒で移動する物質の質量・m0=静止時の物質の質量です。
 V㎞/秒で移動する物質は、質量が1/√(1-V^2/C^2)倍に増えた様に振る舞うと表現します。但し、実際に質量が増加する訳ではありません。静止時に比べて√(1-V^2/C^2)倍しか動かなくなったので、その様に表現するのです。
 V㎞/秒で移動する粒子を、進行方向に向かって上下左右方向へ動かします。その方向へ動かせる限度は√(C^2-V^2)㎞/秒までです。この時、粒子の速度は、√{V^2+(√(C^2-V^2))2}=C㎞/秒となります。これ以上粒子が、上下左右方向へ動けば、その速度は光速を超えてしまい矛盾します。
 静止時には、その方向へはC㎞/秒まで動かすことが出来ました。従って、V慣性系では、静止時の√(C^2-V^2)㎞/秒÷C㎞/秒=√(1-V^2/C^2)倍しか動かせないことが分かります。

 この通り、高速で移動する時計を構成する粒子は、静止時に比べて√(1-V^2/C^2)倍しか動かないので、この時計は1秒間に√(1-V^2/C^2)秒を刻む様になります。これを、相対論では
①t’=t*√(1-V^2/C^2)
と表します。

 次に「ローレンツ収縮」です。
 V㎞/秒で移動すると、物質は進行方向へ√(1-V^2/C^2)倍収縮します。
 電子は、原子核の周りを高速で回転し、その遠心力と原子核に引き付けられる電磁力の釣り合う一定距離を保っています。原子が高速で移動すると、電子は回転し難くなりそれに掛る遠心力は弱まります。その為に、電子は原子核の電磁力に引き付けられ小さな軌道を回り、原子自体が収縮します。その為に、物質は「ローレンツ収縮」します。

 Vm/秒で移動する慣性系では、定規が進行方向に√(1-V^2/C^2)倍収縮します。この定規を使うと、距離は逆に1/√(1-V^2/C^2)倍長く測定されます。観測者自身が、その間にVtメートル移動しているので、距離はその分短く測定されます。
 従って、
②x'=(x-Vt)/√(1-V^2/C^2)
です。左右上下方向の変化はありません。ですから
③y'=y、④z'=z
です。

 また、静止系は存在します。
 少し前に、ヒッグス粒子が発見され話題になりました。空間は何もない入れ物ではなく、そこにはヒッグス場があります。そして、物質がヒッグス場上を移動すると、ヒッグス粒子が生じ物質にまとわり付きます。その為に、物質は動き難くなり質量を与えられます。
 即ち、この「ヒッグス粒子のプール」が静止系です。物質が「ヒッグス粒子のプール」の中を移動すると質量が与えられ、その中で加速するとGが掛かるからです。

 この静止系を基準にすれば、物質の絶対速度Vを特定することが出来、①から④に入れると、その慣性系の時間と距離を求めることが出来ます。

 時計と定規がこの様に変化すれば、全ての慣性系で生じる電磁力の強さは同じと観測されます。
 V㎞/秒で並走しながら、粒子同士が電磁波を交換し合うと、電磁波の往復距離は横(進行方向)1/(1-V^2/C^2)縦(上下左右方向)1/√(1-V^2/C^2)倍に伸びます。
 しかし、V㎞/秒で移動する物質は、進行方向に√(1-V^2/C^2)倍ローレンツ収縮します。移動する地球全体がローレンツ収縮するので、電磁波の往復距離は横1/√(1-V^2/C^2)倍・縦1/√(1-V^2/C^2)倍と同じになります。
 従って、電磁波の往復時間は、静止時に比べて、横縦共に1/√(1-V^2/C^2)倍となります。

 一方、V㎞/秒で移動する時計は1/√(1-V^2/C^2)秒間に1秒を刻みます。従って、V慣性系では、電磁波(光)は静止時と同じ時間で物質間を往復します。その為に、生じる電磁気力の強さは、静止時と同じと観測されるのです。
 これを「特殊相対性原理」と言います。

 高速で移動する球体の物質は「ローレンツ収縮」するので、静止系からは形がひしゃげて見えます。しかし、その慣性系では、ひしゃげた形が球体と定義されます。

 電子の形は一つです。様々な形の電子が存在する訳ではありません。しかし、それぞれの慣性系で距離の定義が異なるので、慣性系毎に異なる形と定義されるだけです。

 この様に、高速移動すると時間と空間自体が変化する訳ではありません。
 時間と空間は、他のより基本的なもので構成することが出来ません。つまり、時間と空間は構造を持ちません。従って、構造を持たない時間と空間が変化する仕組みは、未来永劫に解明出来ません。
 それに比べて、物質はより基本的なもので構成することが出来ます。分子を原子で、原子を素粒子で、素粒子を超ひもでと言った具合です。物質は構造を持つので、回答のとおり、それが変化する仕組みを説明することが出来ます。

 高速移動すると粒子は動き難くなるので、時計が遅れ定規が収縮するのです。その為に、高速移動する慣性系では、時間と空間の座標が変化するのです。

 高速移動すると、時間と空間自体が変化すると主張される方は、是非その仕組みを答えて見て下さい。そうすると、その仕組みは答えられないことが分かります。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://www.geocities.jp/labyrinth125064/kousokud …
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この回答へのお礼

物理学をよく知る人にとっては、とても分かりやすい説明なのでしょうが、
理数系の苦手な私にとっては、分かったような分からないような、しかし、
一つ謎が解けたような気がしています。

ご説明ありがとうございました。

お礼日時:2018/02/04 21:51

空間というものが存在している訳ではありません。

空間は宇宙(スペース)です。

時間はエネルギーの変化のことです。エネルギーの変化が止まれば時間も止まり

エネルギーの変化が早くなれば時間も早く進みます。

相対性理論は間違っていると思います。
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この回答へのお礼

相対性理論を私が理解しているわけではないので、なんとも
言えません。

お礼日時:2018/02/03 10:40

1. 相対性理論は 知りません。



2. 世界の成り立ちについてこう思う あるいは こうであったなら
何となく分かるというような絵を描いたトンデモ科学をつづります。

3. 世界は 場から始まった。

4. 場が 空間であり 始まったというなら 時間である。

5. 場なるモノが ゆらぐ。ユラギは コトである。

6. ユラギで場から切り離されたモノが出来る。場の地と 単体なる
モノの図とで世界をつくる。

7. 地も図も コトを起こしている。時間が流れている。




8. 問題は 時空間のことよりもむしろ その後やがて生命体が生ま
れてくるというとき この初めからの場なる世界も 生命であるのかど
うなのか。ではないだろうか。

9. 生命体は互いに 生命なるチカラをつうじてつながっているか。
と見るとき では 生命体とそれらが生まれる以前の場とは つながっ
ているのか?

10. 生命存在も その素材は 元からの場にあったモノである。こ
のモノないし場に 生命はあるのか?

11. 時空間は この生命の問題に包含されるのではないだろうか。
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この回答へのお礼

>世界は 場から始まった

ということは、「無」からの「創造」が行われたということですね?
ビッグバンという自然現象?なのか、創造神の手によるものなのか、
どうお考えなのでしょうか?

絶対的な時空間があるという理解でいいのでしょうか?

空間の「ユラギ」によってモノ(物質)が生じ、コト(事象)が起きる、と。
この「ユラギ」というものを、他の言葉で表現するとどうなるのでしょうか?

灼熱の地球が冷えたときには「無生」の世界であったはずです。
そこに「生命」が、(始めはアメーバのような単細胞生物だったと思いますが)
誕生したということをどう考えるかということについては、「無」から創造さ
れたとすると、考え方に飛躍が、無理があると思います。

「空間」に生命を生み出すパワーが内包され、それが何らかの条件により「発現」
したと考えるほうが自然であると思います。

>時空間は この生命の問題に包含されるのではないだろうか

おそらく、そうであろうと思われます。

お礼日時:2018/02/02 04:44

物質が基本だという考え方を採ります。




物質の拡散が空間であり、物質の変化が
時間である。


こう考えれば、空間も時間も不可分の統一体だ
と解することが可能ではないですか。
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この回答へのお礼

こういうのを、何主義というのですか?

お礼日時:2018/02/02 00:07

物の運動(天体レベルから分子の運度レベルまで)を簡単に記述するために人間が導入した変数が時間。



運動を理解する必要がなければ時間は不要です。
人間が運動を記述するまでは、存在していなかった変数だしね。
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この回答へのお礼

「物の運動」を表現するために必要となった変数が「時間」ですか…

お礼日時:2018/02/01 23:57

学術的で無くて、恐縮ですが・・・・。



言おうとしているのは、「光と影」、「善と悪」みたいに、

時間と空間は、表裏一体で、分離しては認識できない、と言う
意味に思えますが。

光だけの世界があれば、光を光と認識できないでしょうし、
善だけの世界が存在するとすれば、それはすでに、善ではない。

時間は経過するもので、空間の広がりを前提としますが、
逆に空間が広がりを持つためには、時間の経過が必要となる、みたいな
イメージに読めますが・・・。
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この回答へのお礼

私は学術的な知識は乏しく、学術的な理解を必ずしも目指していませんので
全く構いません。

仰るように表裏一体で分離させることはできない、ということでよいと思い
ます。
このことは、時空に限らず、あらゆるものの本質の一つではないかと思います。

お礼日時:2018/02/01 23:51

時間的流れの実体をなしているのは、意識です。


環境に痕跡はあっても、時間の実体ではありません。
時間は記憶=過去です。

空間的広がりは、脳の中の意識に基づきます。
見えている環境の広がりも、突き詰めると網膜表面
での光子による量子相互作用であり、その相互作用
パターンが、脳内で過去の五感の相関した経験に
おける相互作用パターンの蓄積を励起し、『そこに
行けばどんな生理的経験があるか』の予測が空間=
過去です。

相対性理論の4次元ミンコフスキー空間において、
時間軸は虚数軸であり、実数の空間軸との等距離点
で相殺し合い、0の面(界面原点)を生じます。
それが光量子の軌跡=ライトコーンであり、量子は
仮想的な時空的広がりへの無の射影だと言えます。
そこにおいて、超弦理論において、全ての素粒子は
超弦=量子定常波の励起状態として導かれ得る事が
明らかとなりました。(全ての存在は無に還元される)

量子論において、存在的な有限性は認識される事で
派生している事が明らかとなっています。
つまり感じられているこの全宇宙は、自己の内にのみ
存するものなのです。
全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、
無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、
無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の
闇に認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の運動
(時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮=宇宙
膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、
認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、
自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識
するのです。

超弦(量子定常波)において光速に還元される本質を、
仮説的に階層現象を表面的に(いい加減に)捉える事
によって、潜在的認識可能性(現在)から、自我仮説
(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と環境仮説(予測
=空間の広がり=未来=光速下)に相補分化する。
「時間と空間について」の回答画像3
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この回答へのお礼

時間というものは本来は「ないもの」で、人間の意識が作り出したものである。
あるのは、物質(生命)の変化である、と。

おそらく、そうであろうと思います。しかし、「時間がない」と言うことが分か
った訳ではありません。
そして、「永遠」ということの謎が一つだけ解けた気がします。

時間と言うものは主観的なものであるから、意識が作り出したものということは
理解できる気がするのですが、「空間」は客観的に認識されるものですし、距離
という物差しで観測されるものなので、これも人間の意識が作り出したもので、
実体がないものであるということであれば、これは納得できるものではありません。

お礼日時:2018/02/01 23:41

相対性理論においては、観測系で時間軸が異なると言うだけですから、哲学的にどの視点で考えるかの問題でしょう。


少なくとも、他が完全に認識出来ない以上、個の時間軸は一つの観測系に属すので、空間と時間の関係性は、ある程度固定されていると考える事も可能です。
したがって、個においては、相対性理論はあまり考える必要は無いとも言えますし、逆に元々、個と他の時間軸は異なっているのが当たり前とも言えます。(現象の同時性は、個と他においては、その他の尺度(外的知覚対象としての時計など)でしか評価出来ませんし、厳密に同時に認識しているとも言えません)
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この回答へのお礼

時空と言うものが人間が作り出した観念の世界だとしたら、実在の真の
姿と言うものは一体どういうものなのか、と考えたところ私の脳のキャパ
を超えてしまい、知的ショックを受け、しばし思考停止状態に陥っており
ました。

このコメントを読み、少し落ち着きました。

お礼日時:2018/01/30 13:21

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