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カントの純粋理性批判についてです

序文に
意思されたことをなされたことがらとみなすなら、形而上学はともあれ格別に重要な対象を扱うのだから、この尊称(万学の女王)にふさわしいものだっ
た。

とあるのですが、
一行目は、
考え自体、正しい前提に基づいていたのであれば
という言葉として解釈して良いのでしょうか?
違うのであれば、どう解釈すればいいか教えていただければ幸いです

A 回答 (2件)

第一版の序ですね。

(第二版では削除と言うか、序は全て書き換えられています)
翻訳により表現は異なりますが、英訳の場合は以下のとおりです。
”if we take the will for the deed, she certainly deserves, so far as regards the high importance of her object-matter, this title of honour. ”
英訳を直訳した場合は、以下のとおりです。
「もし、その行為の意思(目的)のみで判断すれば、今までの形而上学の意志(目的)の対象の重要性の高さにより、形而上学はその尊称に値するであろう。」
つまり、行動(及び結果)やその目的の前提の正しさは問題にしていません。
意味としては、「方法や実践及び、その結果」=行為を問題とせず、その意志(目的)だけを考えた場合と言う事です。
この内容に、「正しい前提」などの意味はありません。(正しい前提があるならば、哲学する必要は無いでしょう)
後段を読めば、カントは今までの「形而上学」は、学の態を成していない事を批判しています。(したがって、その意志(目的)だけでしか評価出来ないと言っているわけです)
裏読みすれば、「形而上学」が学として、きちんと実践されていないと言っているわけですから、本来は「形而上学」がきちんと、学として実践されるべきだとは言っています。(これが、純粋理性批判として、本文で展開されるわけです)
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この回答へのお礼

ありがとう

理解出来ました!
たったのワンフレーズですが、非常に精緻に書かれた本でしたので、理解しないまま先に進むのは抵抗感がありまして…

回答ありがとうございました!

お礼日時:2018/03/11 13:48

形而上学は行動に対する規範ではなくて、脳内で思考するだけでも可能であるので、そうであれば、他の学問の様な現実的制約から解放されるわけであり、万学の女王と言って良い。

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