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真珠湾攻撃について詳しく教えてください。
1,攻撃に参加した軍艦軍機、また、なぜその編成になったのか。
2,アメリカ軍の対応や、それによる日本軍の被害。
3,最終的な作戦の評価
4,回答者様の考えなど…
よろしくお願いします

A 回答 (1件)

1,攻撃に参加した軍艦軍機、また、なぜその編成になったのか。



•空母6隻(赤城 加賀 蒼龍 飛龍 瑞鶴 翔鶴)
◦艦載機399機(零戦120機 九九艦爆135機 九七艦攻144機)
•戦艦2隻(比叡 霧島)
•重巡2隻(利根 筑摩)
•軽巡1隻(阿武隈)
•駆逐艦9隻(谷風 浦風 浜風 磯風 陽炎 不知火 秋雲 霞 霰)
•潜水艦3隻(伊19 伊21 伊23)
•タンカー7隻(極東丸 健洋丸 国洋丸 神国丸 東邦丸 東栄丸 日本丸)
•甲標的5隻

当時第一航空戦隊参謀の源田実中佐が、真珠湾攻撃を成功させるための部隊編成として上記編成を考案したため。

2,アメリカ軍の対応や、それによる日本軍の被害。

アメリカ軍の対応: 

主に対空砲で対応。 日本軍が完全な奇襲に成功した第一次攻撃隊の損失率は4.9%であったが、アメリカ軍の対空砲火が激しくなった第二次攻撃隊の損失率は12%に跳ね上がり、平均では8.3%となった。 また、九七式艦上攻撃機は水平爆撃隊の損失は0であったが、低空を低速度で敵艦船に接近しないといけない雷撃隊の方は米軍の艦砲射撃で5機が未帰還となっており、雷撃隊の損失率は12.5%にもなった。

日本軍の被害:

•艦載機(未帰還29機 損傷74機 戦死55)
•甲標的=小型潜水艇(全滅 戦死9 捕虜1※) ※酒巻和男少尉。太平洋戦争初の捕虜。

3,最終的な作戦の評価

アメリカ側の評価

肯定的な評価

パール・ハーバー作戦に使用された航空部隊は、日本空軍(航空隊)最高の部隊であった。各隊はすでに1940年から十分な訓練をつんでおり、ほとんどすべての部隊から、この作戦のために引き抜かれたパイロットたちで増強されていた。機動部隊が11月に出港したとき、それは、かつてどこの国の空軍も集結したことのない、もっとも危険な部隊のひとつであった。わずかな装甲板を持つか、装甲板を持たず、燃料タンクは防弾式でなく、エンジンは1,000馬力程度、巡航速度150マイル、最大速度200マイルの急降下爆撃機や雷撃機が「このもっとも華麗な、成功した攻撃」を実施したことは、今から思えば、まったく驚くべきことである。攻撃は計画通りに、約1時間間隔で二波にわかれて実施された。パールハーバーの攻撃の結果については詳述する必要もなく、日本空軍は文字通り空前絶後の完成度のピーク時で戦争を開始したといえば十分であろう。
— 米国戦略爆撃調査団報告書


この航空攻撃は見事に計画され、見事に実施された作戦だと言わなければならない。残念ながら彼等(日本軍)の勝ちを認めなければならない。彼等はひとたびやり始めたのちは、すばらしいことをやってのけた。
— アメリカ太平洋艦隊前司令官ハズバンド・キンメル


真珠湾はアメリカが太平洋にもっていた最も強力な軍事基地だった。基地の防衛陣は高射砲陣地、アメリカの持つ最も優秀な航空機、それに高度に防備された飛行場と警報設備を備え、さらにアメリカ太平洋艦隊に守られ、当時私がもっていた不完全な陸海空の間に合わせ部隊に比べれば、お話しにならないほど強力なものだった。従って、ワシントンから(真珠湾攻撃について)電話を聞いたときに私がまず感じたことは、日本軍部隊はおそらく手厳しい敗北を喫したに違いないということだった。私がアメリカ側の大損害を知ったのは、それからだいぶ経ってからのことであり、私は日本軍がハワイ攻撃に成功したことを聞いて驚愕した。
— アメリカ極東陸軍司令官ダグラス・マッカーサー


日本が戦略的にはばかげた行為であったが戦術的には大成功をおさめたことを私が知ったのは、その日の夕方になってからであった。(当初、スティムソンはハワイの部隊が反撃して、日本の攻撃部隊に大損害を与え得るだろうと考えていた)日本軍部は唯一の終局の結果しかない戦争をはじめたのであるが、日本のすべり出しは明らかにすばらしいりっぱなものであった。
— アメリカ陸軍長官ヘンリー・スティムソン


小さな日本が強大なアメリカに対して攻撃をかけること自体は、根本的には狂気の沙汰であったかもしれないが、ひとたびそのことが決すると、攻撃はすばらしいやり方で実行された。最初に敵の心臓部に対して大胆に攻撃を加えるやり方は軍事作戦の最高の伝統にかなうものである。
— Lewiston Evening Journal[158]

否定的な評価


アメリカ側の観点から見た場合、真珠湾の惨敗の程度は、当初思われた程は大きくなかった。真珠湾で沈没した二隻の旧式戦艦は、アメリカの高速空母と行動をともにするにはあまりに速力が低かった。旧式戦艦を失ったことは、他方、当時非常に不足をしていた訓練を積んだ乗組員を空母と水陸両用部隊に充当することができ、決定的と立証された空母戦法を採用させることとなった。攻撃を艦船に集中した日本軍は、機械工場を無視し、修理施設には事実上手をつけなかった。日本軍は港内近くにある燃料タンクに貯蔵されてあった450万バレルの重油を見逃した。この燃料がなければ、艦隊は数か月にわたって、真珠湾から作戦することは不可能であった。アメリカにとってもっとも幸運だったことは、空母が危難をまぬがれたことである。その上損害を受けた巡洋艦や駆逐艦は、きわめて少なかった。このようにして、もっとも効果的な海軍兵器である高速空母攻撃部隊を編成するための艦船は、損害を受けずにすんだのである。
— アメリカ太平洋艦隊新司令官チェスター・ニミッツ


日本の開戦が決定されると、開戦時に合衆国海軍を無力化するベストな方法について、山本は天才的頭脳を働かせはじめた。事実、山本はこの問題について1941年1月以来、研究を続けていた。パールハーバーに停泊中の太平洋艦隊に奇襲航空攻撃をかけることが解答だと、山本が決定してからのことだった。山本ほど知能のある人が、このような決定をしたことは奇妙だ。この決定は、戦略的に間違っているだけでなく、破滅的なものであった。
— サミュエル・モリソン海軍少将


我々海軍士官のものの考え方が、1941年12月7日の敗北を可能にしたことに関係があったと言える。真珠湾攻撃の前には我々は、日本海軍を我々と同様に名誉を重んずる海軍と考えていたが、彼らは開戦を宣告して堂々と海上で戦う代わりに、ヒット・エンド・ラン戦法で背後から突き刺す策に出たのである。
— 元アメリカ海軍作戦部長ウィリアム・プラット大将


日本の攻撃の成功は、勇気や技量によって勝ち得たものではない。それは欺瞞と偽りによって生まれたものである。
— アラバマ州選出の下院議員サム・ホッブス

戦後にGHQで戦史研究の責任者として、多くの日米両当事者と面談・事情聴取したアメリカの歴史学者ゴードン・ウィリアム・プランゲは以下の評価を著書に記述している。


客観的な物の見方をするアメリカの人たちはみな、例え世論に驚かされても、日本の真珠湾攻撃が輝かしい海軍作戦であったことははっきり認めた。それは、独創性、不断の訓練、技術的な知識、そつのないタイミング、正確無比な実施行動、非情な勇気、それに途方もない幸運を要する作戦であった。数えることができないほどの困難や大変な障害にもかかわらず、日本海軍は広範な規模の独創的な計画を立て、それをいささかの支障もなく実施したのであった。しかし、戦術的にいかに輝かしいものであったにしても、日本の真珠湾攻撃は、政治的にはまったく比較するものがないほど愚かしい行動であったと言わなければならない。アメリカ国民を、ルーズベルト大統領の下に鋼鉄のように堅く結束せしめるのに、これ以上確実な方法はなかったからである。

4,回答者の考え

ルーズベルトの仕掛けた罠にまんまとはまってしまったんだろうな。
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