No.2ベストアンサー
- 回答日時:
御家人という名前は、徳川幕府に直属している武士、いわゆる旗本の中で最下層の、特に役職についていない小禄の人たちを指していたようです。
小普請などという名前で知られています。しかし、組織としてはそれを束ねる役職の武士もいたわけで、自由にどこにでも居を定めることが出来たのではないようです。お話のようなことがあれば、代官として知行地に赴任した旗本、つまり役付きの、比較的高禄の武士に仕える「家人」となり(それがどのくらい自由に出来たのかわかりませんが)、一緒に赴任して、その後、御家人の家柄(株と言います)を、その名義だけを別の人に売り渡して(そういうことが行われていた、と歴史書にあります)、自分は士籍を捨て、農民としての地位に甘んじて暮らすことにした、ということなのでしょう。その頻度はともかくとして、あり得ることです。
No.1
- 回答日時:
縁戚関係にあるといえ、各旗本・御家人は将軍に直属していました。
その進退には将軍直々の命が必要で、「分家なのだから来い」というわけにはいきませんでした。
縁戚の縁をつてに「加役」として一緒に行く場合はありました。
しかし、これはあくまで一時的なものです。
旗本に任務が与えれたように御家人にも将軍から直々に授かった命というものがあり、いつまでもというわけにはいきませんでした。
なお、暮らし向きはともかくとして、旗本・御家人は「将軍直属」という非常に格式と名誉のある家柄です。
その禄を離れて地付になるということは考えられませんしできませんでした。
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