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歴史で、外国の方が、日本のことを学んで、昭和天皇を殺さなかったって、聞いたんですけど、誰かわかりますか?戦争の辺りです

A 回答 (11件中1~10件)

マッカーサー?

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ローズベルトかトルーマン。


多分前者。
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少し勘違いがあるのがアメリカは昭和天皇に戦争責任を問い、処刑する手はずでした。



それを日本人が必死に止め無くなりました。

あの時天皇を殺していれば数十万の日本人が玉砕覚悟でアメリカ人を殺したと思います。
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外国人でさへ天皇陛下の偉大さが分かるのに日本人が分からないのであれば、象徴天皇としたマッカーサーの日本国憲法は日本弱体化成功という事でしょうね。


戦後すぐに天皇陛下に手を付けたなら、マッカーサーなど生きてはいなかったでしょう。
その後のアメリカはそれは恐ろしい体験をしたでしょうね、9.11など問題外のね。
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他の方も書いていますが、第二次世界大戦で日本が無条件降伏した時に、連合軍の最高司令官として日本を占領した、アメリカのダグラス・マッカーサー将軍の有名なエピソードです。



日本が無条件降伏して戦争が終わった時、アメリカの国内では昭和天皇を戦争責任者として裁くべきだという世論がわきおこりました。息子や夫を戦場で失ったアメリカ国内の遺族たちにしてみれば当然の思いだったと言えます。マッカーサー将軍も当初はアメリカ国内のこうした世論に配慮して天皇を戦争犯罪者として糾弾する心づもりだったと言われています。

ところが、占領後間もなく、昭和天皇の方が自らマッカーサー司令部を訪れて、「戦争の責任は国家元首である自分にある。自分はどのように処罰されてもかまわないが、命令で戦った兵士たちの罪を軽くしてやってもらいたい。日本の一般国民にもどうか手荒なことはしないでもらいたい」と願い出たのです。

それまで日本軍に対して激しい憎しみを抱いていたマッカーサー将軍が、この天皇との会見を境として日本に対する占領政策をガラリと変えたと伝えられています。

本当の事はマッカーサー将軍本人にしかわかりません。しかし、後世さまざまな歴史家が研究を重ねて、いくつもの事が考えられております。

まず、青年時代にイギリス留学を経験した昭和天皇に実際に会ってみて、事前に予想していたよりもまともな人物だったのでマッカーサーがちょっと驚いたと言われています。戦争中のアメリカでは日本の戦争指導者たちを悪者として誇張して宣伝していたからです。

つぎに、日本の占領政策をなるべくスムーズに行うために、天皇を頂点とする日本人の社会意識をうまく活用してやろうという魂胆もあったと言われます。

さらに、戦争が終わった後に予想されたアメリカとソビエトの対立で、日本をアメリカの子分として利用してやろうという魂胆もあったと言われます。

昭和天皇を殺すよりも、うまく操って日本占領に利用する方が得策だと考えたのだろうというのが今日の考え方となっております。
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まず、戦時中に一国の天皇だとか王だとかを外国の人が殺すのはかなり難しいので、それはおいときます。

さて、第二次大戦が終わると、多くの戦犯同様に昭和天皇にも戦争責任があるはずだという声が高まりました。そして当時、昭和天皇を処刑する権限を持っていたのは、戦後に日本を占領していた組織のトップにいたマッカーサー元帥だけです。なので「殺さなかったのは誰か」と言われれば、答は「マッカーサー元帥」ということになります。

しかし、トップにいる人は一人で何でも決めるわけでは全くなく、いろんな資料や意見を側近たちが吟味して、最終決断をトップがくだすわけで、その決断に沿って、処刑人が処刑をおこなうわけです。つまり、「日本のことを学ん」だのは、元帥のまわりにいた人たちであり、学ぶ材料となったのは世論だったりしたわけです。

そして結果的に、「処刑したら、今、自分が治めている日本が大混乱に陥る」と(一言で言えばだけどね)、マッカーサー元帥は考えて、処刑しなかったどころか、戦争裁判にすらかけなかったのです。

なお、「日本のことを学ん」だというのは、なにも、日本が素晴らしい国だと学んだから天皇を裁くのをやめたとかそういうわけではありません。単に、いろいろなことを踏まえると、裁かないほうが、世界中、とりわけ日本と米国の大勢の人にとって得だと解釈されただけです。
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米国は天皇を処刑しようとしましたが、


以下の理由で存続させることにしました。

1,東京裁判で、米国に不利なことを言われると
 マズイので、天皇助命と引き替えに、不利なことは
 言わない、という約束が出来た。

2,天皇を殺すと、国民が怒って大混乱になる。
 それよりか活かしておいた方が、日本の統治に
 役立つという判断をした。
 当時の米国は、天皇は軍隊17個師団に相当する
 力があると、分析していた。

3,社会主義の防波堤としての意味が強くなった。
 社会主義は平等を理念とするので、天皇を存在
 させることが、そのまま反社会主義活動になった。
 事実、当時の共産党は天皇に戦争責任を負わせろ
 と主張していました。



日本人はどうして殺さなかったのか。

1,天皇は宗教的存在で、キリスト教の法王
 のような地位にある。
 だから殺せなかった。

2,天皇は国民に慕われていた。

3,欧米の国家観は、国民と支配者が対立するもの
 としています。
 しかし、日本の場合は、国民と支配者が一体的
 になっています。

4,負けたから悪者にされただけ、だから天皇に
 責任を押しつけるのはオカシイ、という考え。
 勝てば官軍、とうい意味を日本人は良く知っていた。
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映画の質問コーナーなので、映画で回答しますね。


昭和天皇に戦争責任があったのか、なかったのか。あったとすればその責任者として、連合軍側としてはどうするべきなのか・・・を描いた作品があります。
「終戦のエンペラー」


もう一本、本土決戦か、それとも終結かを描いた
「日本のいちばん長い日」2015年版(三船敏郎さん主演の旧版は当時昭和天皇がご存命なのもあって陛下がほんの少し、それも後ろ姿でしか出てこないので、平成になって作られた新しい方をご紹介)
https://www.youtube.com/watch?v=LxEWiHiiCkk

この2本をご覧になってはどうでしょうか?
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昭和天皇欧州の旅でイギリス王族と交遊したので

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「天皇を処刑する」という意味は実はいくつかのやり方がありました。


①天皇を処刑して、皇族も廃止して日本の君主制を終わらせる
②現天皇(昭和天皇)は処刑するが、常陸宮(昭和天皇の弟)か皇太子(今上天皇)に皇位を譲る
などです。

ところでマッカーサーは「日本の統治」の際にアメリカ本国から重大な使命を帯びていました。それは「ソ連の膨張を防ぐこと」です。

ドイツが降伏した時に、ソ連が強硬に主張したため、ドイツは東西に分割されて統治されることになったのですが、イギリスのチャーチルとアメリカのルーズベルトはこれを「失敗」と認識しており、日本の占領統治には「ソ連を関わらせない」という大きな条件がありました。

これはドイツより東のソ連に近い地域が、どんどん共産化していったからで、アジア側も中国大陸では日本が撤退した後共産党が勢力を増しつつあり、満州はソ連と中国共産党が膠着状態、朝鮮半島は北に金日成というソ連の傀儡がいる、という情報があったからです。

そのためマッカーサーには「日本を資本主義の防波堤にするために軍事基地化せよ」という命令も受けていましたし、日本が共産化しないように手を打つ立場にいました。

それでもマッカーサーは②の方法を当初は探っていたようですが、#5さんが書くように昭和天皇がマッカーサーと面談してからは態度をガラッと変えました。

理由は他の方も「昭和天皇が『責任は私にある。国民は従っただけだ』と言い、それがマッカーサー氏の心に響いたからだ」と書かれていて、これはアメリカ側の側近もそのように証言しているので、その通りなのですが、実はそれには前段があったのです。

それはまだマッカーサーが見習い将校だった第一世界大戦の敗戦処理で、敗戦したドイツ帝国のヴィルヘルム2世が専制政治をしていてドイツを戦争に向かわせたのに、敗戦したら「私は知らない、部下の傀儡たちが勝手にやったことだ」と言い訳をしたからです。

マッカーサーはアメリカという「君主を持たない国」から来たので「どれほど君主と言うのは立派な人物なのだろう」と思っていたのに、ヴィルヘルム2世の言動は彼をとてもがっかりさせ、だから日本の統治についても「君主制なんて無駄だ」と思っていたようなのです。

しかし、昭和天皇は「すべての責任は私にある」とマッカーサーが思い描いていたような君主像を示し、さらに「私は処刑されてもいいが、皇室財産から金を払うので国民に食料を出してほしい」と懇願したことに心を打たれた、いうことなのです。

とはいえ、司令官であるマッカーサーは戦略的な判断から「天皇を処刑するべき」なら処刑しなければならないし、アメリカ本国からは「天皇処刑すべし」と言う命令が下っていたのです。

しかしマッカーサーはとりあえずもう一度「天皇制の本質」について見直すことにしました。それが「終戦のエンペラー」のモチーフになっています。

結果として「今日本の天皇制を崩壊させることは、日本が共和政を飛び越えて共産革命を呼ぶ可能性が高い」と判断されたのです。

当時の日本は敗戦によって、今までのヒエラルキーがほぼ全部否定されていた状態でした。明治の自由民権運動から続く「リベラル主義」は戦前は憲兵によって抑え込まれていたのですが、戦後になって憲兵が廃止されたため、非常に強い運動が起こっていたのです。

そのため、天皇制を廃止し共和政にして大統領などを選挙で選ぶ余裕はない(その準備の間に共産革命が起きてもGHQだけでは抑えきれない(でも警察も事実上機能しないし、日本軍は解体状態)ということが分かってきて、天皇制を維持する方向性でアメリカ本国を説得したのがマッカーサーだった、ということになります。

だから「誰が天皇の処刑をやめさせたのか」ということならマッカーサーです。
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