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いわゆる境界例といわれる成人の人の、小児期、学童期を振り返ると、当時からその言動の違和感や対人関係の問題などを抱えていたケースがあります。
 今であれば、児童精神科の受診を必ず勧められるようなケースがあり、当時でもその患者さんの両親は、学校の教師から児童相談所へ相談に行くようにしばしば勧められていたそうです。
 発達障害の観点から見た軽度のAutistic disorderと、成人期の像としての境界性人格障害とはどのような関連が有るのでしょうか。
 境界例の人対して、親の育て方の問題もあるのだという精神科医もいますが、発達障害で有ればまた見方も変わると思います。
 ちなみに質問者は精神科医でも精神保健関係者でも有りませんが、そのような人と多く接しています。

A 回答 (1件)

はじめまして。

境界例と思われる症状を持つ成人女性です。発達障害という言葉は当時は知りませんでしたが、今から考えると自分自身、離人感というのでしょうか、自分が自分でないような感じ、頭の中がぼーっとしてるような感じでした。ただ幼少期や小学生の頃の他の人のことは分からないのであいまいですが。
私自身、自分が異常性を感じ始めたのは、中学生に入ってからの思春期です。小学生とは違い、自主性がある程度求められ、また自我が芽生える時期から今まで、私は精神的な発達は小学生のころから大して変わってないと自分でも思います。
何でも与えてもらい、自分を認めてくれる、それが自分にとっての味方であり、気を許せる人物。そんな自分を鋭く見抜き、言葉や態度で自分を否定する人は全てが自分にとって脅威であり敵とみなしてしまいます。
挨拶や普段からなじんでいる常識はマナーとして理解しており困りませんが、普段あまり知らない儀礼、冠婚葬祭でのちょっとした気遣い、その後の細かいフォロー、そういうのは絶えず失敗して人に怪訝に思われますし、やはり人間関係が小学生のように平坦化、あまり幅広く人脈を広げたり、人の心を癒したり、人間的な付き合いが困難です。私から言えば、やはり発達障害の領域に入る幼少時代だったと思いますが、親がずぼらだったせいか、時代か、そういうことを言われた覚えはないです。ただ父親も似たような感じで少しアスペルガー風味があります。
親の育て方に関しては今更言ってもどうにもなりませんが、私の場合あまりにも親が厳格すぎて、それを回避するあまり、表面上取り繕い、ただただ言われたとおりのことをこなしていました。親の機嫌に一喜一憂したり、全て親の言いなりでした。苦痛を感じていましたが、どうすることもできずその結果このような自我がない人間になってしまったのかもしれないです。
参考になったらいいのですが。。
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