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昔の日本航空は特殊法人でしたが、どのような感じだったのですか?バックに日本政府がついているから、自由に出来そうなイメージがあるのですが。「何かあっても政府がついているから問題ないな。
人員を大量に雇用して、高い賃金を与えよう。また、大量の機材を入手して路線を拡張しよう。45:47体制によって国際線専用になるけど、発展途上国へ行くような誰も乗らない路線にも就航しよう。」といった感じです。

A 回答 (5件)

>バックに日本政府がついているから、自由に出来そうなイメージがあるのですが


「自由にできる」という部分は正しくありません。
確かに親方日の丸の半官半民ですから、会社がつぶれることはない、国が最終的には守ってくれるというおごりが社員になったのは事実です。コストカットの意識が極めて低かったというのも事実です。

ですが、逆に路線開設については国内線はANAと東亜国内(のちのJAS)、国際線はJALという大きな区分けがあったので、採算が悪い国際線の路線でも休止や撤退は容易ではなく(政治家に俺の顔に泥を塗るのかと一括されればそれでとん挫)、国内線の新規路線は採算度外視で政治家の票集めに利用されるというありさまでした。それでもナショナルフラッグキャリアはわが社だという自負だけで空元気だったと思えば哀れさを感じます。

人員を大量に必要としたのはいわゆるバブル景気の前ぐらいです。その時は機材も主流が大量に人を運べるB-747のいわゆるジャンボでしたから、この時代はJALに限らず他の2社もバンバン機材を買ってました。ただ前に述べたよう飛べる路線の大枠が決まっていたので、長い滑走路のない国内ローカル線担当の会社は機材の数も限られたということだけです。

ちなみに昔パイロットがハイヤーだったのはJALだけでなく他の2社でも同じでした。もっとも最後までハイヤーに固執したのはJALでしたが。
CAが高い賃金だったのも、すべて正社員だったのと(契約社員というのがそもそもなかった)今と違い当時の労働法で看護婦とおなじく夜間勤務が許された数少ない職種であり、しかも時間外手当になるので手当分がすごく多かったからです。
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当時のパイロットはハイヤー通勤、当時のスチューワデス(今のCA)でも通勤はタクシーでした。

 勿論費用はJAL持ち。 信じられないかもしれませんが、本当の話。
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かつての日本航空(JAL)はナショナルフラッグキャリア(NFC)と呼ばれた時代がありました。


昔は海外旅行など規制があって、誰もが自由に行ける時代ではなかった。
そこを前回の東京五輪辺りから解禁になり、JALは日の丸を背負って国際便を飛ばせる日本では唯一の航空会社だった訳です。全日本空輸(ANA)や東亜国内航空(TOA)は、チャーター機は飛ばしてましたけど、原則国内線オンリーでした。
しかし、特殊法人としての恩恵が外れ、ANAなども国際線が認可されて以来競争が激化し、JALには85年の御巣鷹山の墜落も大きな痛手になりました。信用が薄らぎ、業績悪化や不祥事も頻発して会社更生法適用まで落ちていった訳です。
日本のJAL、米国のパンアメリカン航空(PAN AM)と言えば、日米を代表するNFCでした。JALは日の丸に鶴のマーク、PAN AMの地球儀のマークは一流航空会社としての誇りでもあり、憧れでもありましたから。
現在は、民間航空会社をNFCとは呼ばないとの意見もあります。
一方で、その国のトップの収益を得ている航空会社NFCと呼ぶとすれば、現在はANAの方が上と言えるのではないでしょうか。
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出資者が政府と言うだけですね。



>地域格差なしで均一料金で
均一料金など有りません、路線ごとの認可運賃で全日空と同一運賃。
国内線は幹線のみで亜幹線の全日空、ローカルの日本国内航空、東亜航空と棲み分けが出来ていました。
>発展途上国へ行くような誰も乗らない路線にも就航しよう。
国際線についても路線ごとに政府間協定が必要な時代ですからそのようなことはありませんね。

政府専用機、天皇特別機などを原則独占していたくらいが違いでしょう。
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日本国有鉄道や郵政省みたいなもので、


日本国民のため、地域格差なしで均一料金で
日夜努力してこられました。
おかげで、いまでもCAはおばちゃん中心で。
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