

No.2ベストアンサー
- 回答日時:
> 食べれると言ったら「日本語の使い方が間違ってると指摘されました。
まあ、頭の古い人々は、「られる」が正解で「れる」は不正解だと答えるでしょう。
でも、最近では「れる」も日常生活にどんどん浸透し、市民権を得つつあります。
「られる」には、可能の他に受け身や尊敬の意味等もあり、使い方によっては紛らわしいのですが、「れる」には可能の意味しかありませんので、誤解することもなく、便利なんですね。
言葉は生き物ですから、昔は100%誤用とされていたものが、いつの間にか当たり前に使われるようになり、ついには辞書にも登場する、といったことも珍しくありません。
というわけで、私は「見れる」「食べれる」を否定しません。
No.8
- 回答日時:
おはようございます。
私も金田一先生がおっしゃった「起こりうべくして起こった現象」というのが最も適切な表現だと思います。
言葉の変遷には大きく分けて4段階があり、1/4の人しか使っていない状態が「誤用」、1/2の人が使っている場合が「ゆれ」、3/4の人が使っている場合が「慣用」、ほぼ全員が使っている場合が「正用」となって、晴れて辞書の見出しにも載るようになるのです。
「ら抜き言葉」も、今までの「見られる」「食べられる」が「可能」「受動」「尊敬」のどれに取っていいかわかりにくかったものをわかりやすくするという点で、変わるべくして変わってきた表現と理解する方が納得できると思います。
今は「ら抜き言葉」は「ゆれ」の時期だと思います。ですから、正しいの間違っているのと賛否両論が出るのです。
たぶん、そんなに長い年月を要せずに「ら抜き言葉」は定着すると思います。
No.7
- 回答日時:
こんばんは!
「ら抜き」言葉ですね。
わたしも先日この件について質問しようかと思ったことがありました。
作家の村上龍氏のエッセイのなかで「ら抜き言葉」が使われていたのです。
確か「見れる」と書かれていたと思います。
びっくりして色々調べてみたところ
「ら抜き言葉」は間違いではない。作家にも肯定して使い始めている人がいる。
ということが分かりました。
理由は、他の方がおっしゃるように
「可能」なのか「受身」なのか「尊敬」なのか「自発」なのか
分かりづらいということでした。
このサイトでも金田一春彦氏が肯定しているという質問がありました。
言われてみれば納得で、目からウロコの気分でした・・・
私も「いつか【ら抜き言葉】が市民権を得る」に一票です。
参考URL:http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1044487
No.6
- 回答日時:
可能を表す表現は、『~ことが出来る。
』です。「食べることが出来ます。」
「見ることが出来ます。」
「食べられる」「見られる」は、受身の表現と混同されやすいので、使い方に注意が必要です。

No.5
- 回答日時:
日本語の使い方が間違ってると言った人と同意見です。
「られる」が正解だと思いますが、話し言葉で「れる」は仕方ないかも知れませんね。メールなど文章を書く時はやっぱりおかしいと感じますが・・・。
参考URL:http://www.tackns.net/word/ranuki.html
No.3
- 回答日時:
「~ない」と打ち消すときにア段音になる動詞なら「れる」
それ以外(イ段音かエ段音)になる動詞なら「られる」をつけてください。
例「笑わ-れる」「食べ-られる」「見-られる」
これが標準とされています。
ただ、よく話題になる「ら抜きことば」では、おっしゃるとおり「見れる」「見られる」の例のように、可能の場合は「れる」それ以外の意味の場合は「られる」をつけるという区別があります。
そのほうが意味がわかりやすいという利点があるのですが、現在は「ら抜きことば」が目の敵にされる傾向があるので、仕事やそのほかの公的な場面や書き言葉では「標準」に従うのが無難です。
No.1
- 回答日時:
「食べられる」が正解ですね。
こちらが参考になると思います。
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/ranuki.htm
参考URL:http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/ranuki.htm
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
おすすめ情報