遅刻の「言い訳」選手権

●ドラヴィダ人の信仰では、四国の金毘羅様がガンジス河の「鰐」、毘沙門天(多聞天)が土俗神クベーラだと言われます。
●バラモン教やヒンドゥー教からは、自在天(シヴァ神)、大黒天(シヴァ神の化身)、弁財天(ブラフマー)、吉祥天(ラクシュミー)、歓喜天(ガネーシャ)、羅刹天(ラークシャナ)、夜叉(ヤクシャ)、鬼子母神(ハーリーティー)、帝釈天(ヴェーダの雷神)、水天宮(ヴェーダの水神)、金剛夜叉明王(インドラの持つ金剛杵)、閻魔(ヤマ)、阿修羅(ヴィローチャナ)などが仏教の神様として紛れ込んでいます。
●瞑想やヨーガはドラヴィダ人の慣習であったし、日本のお寺の卍の紋章も、もともとインダス文明が起源だと言われています。
●また、真言密教の護摩(ごま)祈祷は、アーリア人が持ち込んだ聖火信仰(ホーマ)由来のものだとされます。
(1)これらのものの内、どれが日本で紛れ込んだものか、あるいは中国で紛れ込んだものか、もともとインドで紛れ込んだものか、それがわかるでしょうか?
(2)また、それぞれが時期的にいつぐらいに混入されたのか、また混入の形跡が残っている経典は何でしょうか?
●大乗仏教の布教の際に、やむなく紛れ込ませたとは思えるのですが、部派仏教(上座部仏教)でも混入したものがあるのでしょうか?
●つまりは釈迦の原始の教えに様々なものがどんどん付加されて、思想や仏像が量的に巨大化し、分裂してきたわけですが、どこで何がいつ混入されたのかが知りたかったのです。
●原典がほとんど残っていない様子ですし、漢訳ではかなり恣意的な訳をしているとかで、そもそも特定が困難なのでしょうが、ご意見をお聞かせください。
よろしく、お願いいたします。

A 回答 (2件)

なにしろ大乗仏典群ですら確かな成立年代がわからないのだから、これを特定するのは困難極まりありません。


これは、アジア人がローマを発祥とするヨーロッパ人のように年代記録に熱心でなかったことが大きな原因と考えられます。

ブッダ自身がバラモンの教えを引用した可能性は大いにあります。
ブッダの説法は対機説法で、その人の機根に応じた説き方だったからです。
バラモンに深く帰依している人に対しては、バラモンの教えを使って仏教の原理を説きます。
そのようにして説かれた説法俗に八万四千。
第一結集によりこれらを集めた説法集が後世に伝えられる仏教の元となったのですから、すでにこの時点でバラモンの教えもその他の教えもある程度含んでしまっています。

原典がほとんど残っていないとのことですが、第一結集でまとめられたもの自体が口伝でした。
これは、当時は口伝の方に重きが置かれていたこと、記録媒体自体がものすごく高価でしかも手間のかかるものだったこと、などの理由により当時の世相を反映したものです。
なので、いちばん古いとされる阿含経でもブッダの死後数百年たっているのです。
大乗仏教群ですら「紀元前の数百年の間に、インドのどこかで誰かが書いたもの」くらいしか分からない現状です。
その間の消息は、碑文や遺構などが発見されないとつかめないでしょう。

法華経については、鳩摩羅什はものすごく慎重に漢訳したと伝えられています。
知恵者を集め、それらが効率的に持ち味を発揮できる組織を作り、とにかく原意を損なわないように一行一文字慎重に吟味していったと言います。
もちろん言語が違えばどうしても何かは違ってしまうので、原文に完全に忠実に、というのは不可能ですが。
(純度を保ちたいと思えばユダヤ教のように「ヘブライ語に限る」とするしかない)

ただ一つ、葬式仏教は江戸幕府が創始したということだけは確かです。

あと、仏教における経典というのは「参考書」「解説書」というくらいのものです。
世に出回っている受験向けの参考書のように、原理を自分なりの言葉で噛み砕いて述べたものにすぎません。
般若心経の「色即是空~」とは、何のことはない「諸行無常」「諸法無我」のことです。
世に数多経典はあれど、行き着くところは「仏教の根本原理」です。
「唯識」などかなり後世の成果が取り入れられ独自の味を発揮していますが、そういうものも聖典として認めるのが仏教の姿勢です。
なにしろブッダ自身が唱えた基本原理からして「諸行無常」「諸法無我」です。
教義の解釈とは絶対的なものでなく時代やところにより移り変わっていくものだ、としたところが仏教のキリスト教などとの違うところです。
大正時代に日本で編纂された「大正大蔵経」も「経典」として認められています。
経典は今なお増え続けているのです。
(キリスト教でも今なお聖書の解説書が新たに出版されています。それを「聖典」に含めるか含めないかの違いです)

世の移ろいにしたがって「聖典も移り変わるもの」とするか
教えの純度を保つために「聖典とは神の言葉の『この書』のみである」とするか、
それは教えの質によるもので、どちらが上ということでないと思います。

余計なことも述べた気がしますが、要するに仏教の根本原理とされているのは、
「縁起」
「四諦」
「中道」
「八正道」
であり、それ以外の要素は何らかの方便として導入された可能性があるということです。
(年代は先に述べたとおり特定不可能)
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この回答へのお礼

これほどまでに詳しい解説を、本当にありがとうございます。
私の興味は、教えがどのように変遷してゆくのか、ということにありました。エジプトの「ラー神」がもとになって、旧約聖書のユダヤ教が発生し、
ユダヤ教をベースにしてキリスト教が誕生し、教会の腐敗に反発してイスラム教ができ、最後はプロテスタントが誕生した。このことを知って、宗教に強い興味を持ったのです。しかし仏教に関してはあまりにも複雑怪奇で、お手上げ状態だったのです。
それはともかく、ご意見を聞いて、たまたま偶然に見つけた「ダンマパダ」というものを読んでみましたが、おっしゃる通りバラモン的なもの、ヒンドゥー的なものが含まれていることがわかりました。ご指摘のように、たとえ話として利用したとすれば理解できることですし、後年になって書き加えられたものだとしても、それを確認しようがありませんね。
またダンマパダを読んで、八正道のなんたるかが理解できたように思います。失礼な言い方に聞こえるかもしれませんんが、教えとしてまとめた
ものは、わざと言葉(用語)を難しくして、理解しがたくしているように思えてなりません。対機説法というのは、おそらく繰り返しのわずらわしさがあったのでしょうが、実に単純で、飾り気もなく、素直に聞き入れられるものだったのだろうと、理解できました。
実りの多いご回答に、心から感謝しています。
ありがとうございました。

お礼日時:2018/11/18 07:08

宗教とは、簡単に説明すると次の様な感じだと思います。



最も世界で君臨しているのがキリスト教です。この宗教の人口は70億人中の22億5400万人 33.4%
だと言われています。イスラム教は、15億0000万人 22.2%、ユダヤは、1330万人だろうと思います。

また、これとは別にどの世界の宗教にも「宗派」というものが有ります。

キリストの経典を読んでも考え方が違う。カトリック教会・聖公会・プロテスタント・正教会・非カルケドン派
・アナバプテスト等ですが、他にもまだまだ宗派はあります。

仏教でも同様に多くの宗派が有ります。ご存知だと思います。
では何故このような分裂をするのか?それは、指導者及び信者の解釈が違うからだろうと思います。

そこで、ご質問の.......

>>>仏教にドラヴィダ人の古来からの神様やバラモン教の神様が紛れ込んだのは?

これは、紛れ込んだのではなく、宗教を独自で勉強していく中で矛盾と疑問が発生した時に信者が方向転換した
ことに原因があると思われます。

簡単に表現すると、自分の信じる方向が正しいと主張する信者が居た。
よって、宗教同士の混在が有っても不思議ではないと考える?どうも違う?自分の解釈が正しい?
等と言い出す人が新しい宗教を作る。そこには、他宗教を取り入れたり、解釈を変更したりなどの断捨離と
付加する部分を自己選択及び解釈で拡散する。

この宗教くらい不明確で科学的に解明できない物はありません。明らかな根拠に欠ける?

要するに、信じる者が正しいのですから、信じない人々には、摩訶不思議な世界です。
なので、一般的に宗教が戦争の道具として利用される場合が多い。現在も中東では紛争している。

お勉強する事は非常に良い事だと思われますが、勉強しても結果は有益ではないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
私の興味は教えが、時代背景とともにどのように変遷してゆくのか、ということにありました。エジプトの「ラー神」、旧約聖書のユダヤ教、キリスト教、イスラム教、プロテスタントという変遷を知って、宗教に強い興味を持ったのです。しかし仏教に関してはあまりにも複雑怪奇で、お手上げ状態だったのです。
あはは、まったく無益であることは重々承知の上です。理解することと信じることには何の関係もないこともわかっています。また、この手の話に家族はウンザリしていて誰も聞いてもくれません。引退した者の単なる興味の範囲にすぎません。
ご回答、ありがとうございました。
ご親切に感謝しています。

お礼日時:2018/11/18 07:30

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