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 こんばんは。

 遺跡発掘ではいつも疑問に思うのですが、宮跡などはどうして地中から発掘されるのでしょうか。

 例えば、斉明天皇の両槻宮と推測される遺跡。酒船石遺跡。その山の麓には亀形遺跡が見つかり、空前の話題となったものです。

 他の宮跡も皆地中から発掘されています。

 あまり詳しくないのですか、その宮を建てた天皇が崩御したときに、その宮をそのまま残すのではなく、何らかの意味があって地中に埋めたのではとも考えられますがどうでしょうか。

 奈良、明日香の地では、どこを掘っても何かしら出てくるようだとも云われているほどで、興味ある地、また行きたいと思いますが、推論でも分かる方がいましたらご回答をお願い致します。

A 回答 (5件)

>どうして地中から発掘されるのでしょうか。


>何らかの意味があって地中に埋めたのではとも考えられますがどうでしょうか。

私も詳しくは知りませんが...

まず遺跡が地上にあったとします。すると目につきますよね。だから今どき"発見"というのは少ないと思います。
地上にある遺跡は例えば法隆寺とか奈良の大仏、ピラミッド、どっかの地上絵などがありますよね。

地上よりも"上"にあることはないので、残るは"地中"になりますよね。だから
>他の宮跡も皆地中から発掘されています。
となるのではないでしょうか?

埋まる理由というのは
何らかの意味があって埋めるのかも知れませんし、土砂崩れや火山の噴火、洪水などで埋まってしまっているかもしれません。
また、何か建物があってその建物が火事になって新しいのを建てるときを考えてみます。このときに埋めてから作るよりもそのまま整地して建てた方が楽ですよね。しかし、前の建物に使われていた柱などはある程度地中深くに埋めていたでしょうから火事にあった建物の柱穴を完全に掘り返していない限り、掘れば地中から見つかりそうですよね。
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この回答へのお礼

  こんばんは。回答ありがとうございます。残っている建物と完全に地中に中にあるものの違いについても検証ができれば面白いものですね。聖徳太子についはかなり書物を読みましたが、法隆寺の謎は興味あるところです。すべての宮跡が自然災害だけでは片付けられないと思います。参考になりました。

お礼日時:2004/11/14 22:54

こんばんは。



全くの推論でしかないのですが今般の新潟や京都北部の様な風水害が繰り返すうちにだんだん埋もれて行ったのではないかと思うのですが。
水害に遭われた方々にはお見舞い申上げます。

奈良盆地ですと平城宮跡や藤原京など開けた所にありますが建設現場などの基礎工事の土砂を見ますと泥ばかりで盆地の出口の川は大和川一本だけです。

もともと土砂が溜まりやすい地形
そんな気がするのですが。

他には黄砂や火山の粉塵とかの塵。
マンションの高層階でも何処からともなく塵がたまって雑草が生えたりしていますから千年、二千年となると塵も積もれば何とか。

以上推論です。
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この回答へのお礼

  こんばんは。アドバイスありがとうございます。自然災害という理由ですが、何も調べていないので、今度いろいろな宮が出来た年代推定やその宮を作った天皇の在位、そして、その宮が自然災害で壊れたということでしたら、土の成分、地層を調べればいつくらいにどこの地層かが分かるかと思います。
 個人的に興味があるので、回答者さんの仮説一つの理由として考えて調べてみたいと思います。参考になりました。

お礼日時:2004/11/14 22:58

以前テレビで同じ質問をしていたのですが、都が遷都されたりすると、古い都は取り崩されて、埋め戻されるそうです。


なぜそんな面倒くさいことをするのかは聞いてませんでした。
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この回答へのお礼

  こんばんは。回答ありがとうございます。私も遷都で古い都は壊されて埋め戻されるという説にはある程度納得します。ではどうしてなのかというのには興味あるところです。自分なりに調べたいと思います。参考になりました。

お礼日時:2004/11/14 23:01

いくつかの可能性があります



(1)自然災害によるもの
比較的古い時代に多いとおもますが、地震や洪水とうが起こり、そのまま埋まってしまった場合です。代表例としては登呂遺跡(静岡県)などがあります。

(2)その場所に他の建物を建てるために埋めた
よく2層にわたって(重なって)遺跡が発見される場合がありますがそれです。たとえばある都があった場所を建て替えたもしくはしばらくしてまったく別の都を建てた場合です。

(3)その遺跡が放棄されたのち、水田などとして利用された。
ある宮の跡地が使われなくなり、長い年月がたつと誰も整備などをしなくなりますからただの荒地になります。そこを開拓して農耕用地などとして利用している場合です。木造建築ですし、時間がたてば朽ちて建物はなくなります。今みたいに遺物なのの保護という概念はないと思いますから。

(4)地理的理由
たとえば森の中だと葉っぱ等の堆積物も多いので埋まる可能性も高いと思います(その方面詳しくないのであまりよくわからないのですが…)。あと水中は地中、土中と比べて保存状態がよい場合が多いので、水中に沈んでいたものが何らかの事情(地殻変動等)で地上に出てきた場合など・・・

(5)仮説ですが、禊のため
これは私の仮説ですが、その宮殿で天皇が崩御した場合、その宮殿は穢れたものとなり、遷都をする。廃棄された宮殿は禊のために埋めた… でも、埋めた場合、どこかから土を持ってくる必要があるので近くに池や沼があるとおもうのですが、その点を考えるとどうなのかと思いますが…

とりあえず思いついたのはこんな感じです。他にもあると思います…。
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この回答へのお礼

  こんばんは。回答ありがとうございます。いつくかの仮説を出していただきいずれも興味あるところです。二重になって遺跡が発掘されるというのは聞いたことがあります。
禊という説も興味あるところですね。当時の天皇の扱いや崩御したときにはどのように宮城を取り扱ったのかの記録が何かに記録として残っていれば良いのですが難しいようですね。墓は古墳として残っても、宮跡は土の中というのも埋めることによって、過去の政治の中心から切り離したいという思いがあったのかもしれません。参考になりました。

お礼日時:2004/11/14 23:09

 遺跡が地中から出土する理由については、No.4の方が要領良くまとめられているので、ちょっと違う視点のみ。



 遺跡、これは宮跡に限らず、神社・仏閣、官庁や屋敷跡まで、全て地中から出土します。しかし、この出土する建物が歴史上の全て、というわけではありません。
 これは見方を変えると「地中に埋もれた遺跡のみが出土できる」と考えることも出来ます。
 つまり、その建物が使われなくなった後、何らかの理由で埋まっていかなかったもの、極端な話その後地表を削られてしまったようなものは、出土のしようがありません。最早その痕跡を確認することは全く不可能になってしまうわけです。実は古墳でもそうした運命にあったものはいくつもあります。古墳の場合、地中部分までその痕跡が残っていて、まだ推測が可能なものはありますけれど。
 また、大きな建物の場合、その後も有効利用しようとするケースが多いでしょうから埋土されて残っていくことは多いと思われます。
 しかし、柱穴など深く跡を残すものがあることである程度面影を残すことができるものはあるにしても、歴史の中で完璧に消えてしまいもう確認することもできない、そうした遺跡も数多く存在していることは間違いないでしょう。
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この回答へのお礼

 こんばんは。回答ありがとうございます。おっしゃる通りだと思います。埋められる前に破却されたりすれば何も残らないですね。
 今回は宮跡が地中から発掘されるという観点で疑問に思った次第です。政治的や祭祀的にあるいは禊なのか前の天皇が崩御したあとの宮城が埋められたのかが知りたかったためのものです。
 奈良では無残にも国道建設のために真っ二つになっている古墳を見てきました。また、黒塚古墳はブランコなどがあったりして子供の遊び場と化していました。遺跡保存は難しいものだと思います。参考になりました。

お礼日時:2004/11/15 20:06

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