重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

【GOLF me!】初月無料お試し

管鮑の交わり
「管鮑」とは管仲と鮑叔のこと。二人は春秋時代の斉の人で、若い頃からお互いに良く理解しあった親友であった。嘗て管仲は鮑叔と賈す。利を分かつに多く自ら与う。鮑叔以って貪と為さず。仲の貧なるを知ればなり。嘗て事を謀りて窮困す。鮑叔以って愚と為さず。時に利と不利と有るを知ればなり。嘗て三たび戦いて三たび走る。鮑叔以って怯と為さず。仲は老母有るを知ればなり。仲曰く:我を生む者は父母、我を知る者は鮑叔なり。
管仲は魯に亡命した子糾に仕え、鮑叔は莒に亡命した小白に仕えていた。やがて子糾と小白は斉の君主の座を争い、小白が勝利し桓公となった。管仲は嘗て莒の道を遮り、小白を射て帯鉤に中つ。子糾は亡命先の魯で殺され、管仲も捕らえられた。鮑叔は管仲を重要するよう桓公に進言した。管仲は許され桓公に仕え、政治的手腕を発揮し、そのおかげで桓公は諸侯の覇者となった。桓公、諸侯を九合し、天下を一匡せしは皆仲の謀なり。一にも即ち仲父、二にも則ち仲父とのいう。
この文章を日本語現代語で翻訳して欲しいです。宜しくお願いします。

「管鮑の交わり 「管鮑」とは管仲と鮑叔のこ」の質問画像

A 回答 (3件)

かつて管仲は鮑叔と商売をしたけど、(管仲ってば)利益を分ける時、自分に多くしちゃった。


でも鮑叔は「欲張りだなぁ・・」なんて風には扱わなかった。
管仲が本当に貧しいことを知っていいたから。
かつて(管仲が)謀ごとをして(失敗し)困窮しちゃったけど、鮑叔は「アホや~!」なんて言わなかった。
そう言うのって時の運があるってことを知っていたから。
かつて(管仲が)三回戦って三回とも負けて逃げちゃったけど、鮑叔は「卑怯者!」なんて言わなかった。
だって管仲は、年老いたお祖母ちゃんの面倒を見なきゃならなかったことを知ってたから。
(そんな鮑叔に対し、)管仲は、「俺を産んでくれたのは父ちゃんと母ちゃんだけど、俺を判ってくれたのは鮑叔だ!」と言ったとさ。

そんな管仲と鮑叔は、同じ国の別々の公子(次期王様候補)に仕えて、その公子たちが争い、結局は鮑叔が仕えた方(小白)が王様になった。
負けた方の公子(子糾)は、よその国に逃げたところで殺されちゃったんだけど。
そっちに仕えて、勝った方の王様を殺そうとした管仲も捕らえられた。
管仲ってば、勝った方の王様が城に入ろうとした道を防いで、弓で射殺しようとしたんだよ。
でもその矢は、たまたまベルトのバックルにあたったので、助かったから、王様になれたんだけどね。

だから、まあ普通に考えれば、管仲は死罪だわな。
でも鮑叔は、王様に「管仲は出来るヤツだから、召し抱えて重要な仕事をさせた方がいい!」と進言したので、管仲は許された。
そこからの管仲が、恐ろしいほどバリバリ活躍したおかげで、(小白改め)桓公は覇者(王様の中の王様)になった。
周りの王様を従えて、天下に号令できる様になったのは(「一匡」は「一つの箱に押し込む」みたいな意味)、ほとんどが管仲の謀略のおかげ。
だから管仲は、「一にも二にも、仲父(仲さんは国の父・・みたいな感じのニックネーム)のおがけ」と言われる様になった。

最後は管仲は大成功したんだけど、その影には鮑叔と言う「良き理解者が居たおかげ」と言うお話。
また大成功した管仲も、それを良く理解し、後々まで「俺を判ってくれたのは鮑叔だ!」「今の俺があるのは鮑叔のおかげだ!」と感謝し続けた。
そう言うお二人さんの関係を、後に「管鮑の交わり」と言い、讃える様になったわけ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

谢谢您的帮助

お礼日時:2018/11/30 20:33

こちらのサイト参照。


https://frkoten.jp/2015/11/02/post-308/

文語文に慣れましょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

多谢

お礼日時:2018/11/30 20:34

これは現代日本語で、文語です。

これ以上簡単にはなりません。出典は岩波文庫「史記列伝(上)」第二、晏嬰、管仲列伝。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

多谢

お礼日時:2018/11/30 20:35

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!