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誤解しないでもらいたいのが、
私はヒュームの知覚の束のような還元主義の立場を肯定している訳ではありません。
問題は「世界を開闢する場としての我」を「私」だと所定することは出来ないという点です。
ここでの「世界を開闢する場としての我」とはウィトゲンシュタインの独我論や永井の〈私〉、いわゆる非還元主義のことであり、
ここで言う「私」とは、質問文でも書いた様に、私達が素朴に私だと信じている私、
世界の中に存在する登場人物としての私、経験的な私のことです。
なぜ我々が、私というものを世界の中の登場人物として認識出来ているのかと言うと、それは私というものが常に経験的なものとして存在しているからに他なりません。
それは「世界を開闢する場としての私」とは明らかに異するものです。
回答ありがとうございます。
>つまり私の存在は経験によって証され、経験のないところに私は無いと言えます。
この辺りについてはイギリス経験論の研究で議論し尽くされてるところなのです、
経験が有るからといって、その根底に基体や自我のようなものがあるというのは推測にすぎません。
ましてやそれを、世界の中の私だとする考えは、自我を実体だとしたデカルト二元論の二の舞です。
経験する主体とその客観としての対象とを二分して、私を実体だとする考えもナンセンスです。
>その劇の幕が上がる前に、その観客になる事は出来ません。観るという経験があって、はじめて私と言う主体が生まれる。
経験があるからといって、何故それが「観ている」ということになるのでしょうか?
経験があるからといって、何故「観客がいる」ということになるのでしょうか?
今ここには経験と言えるものしかありません。