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No.10
- 回答日時:
西郷さんについては、海音寺潮五郎氏の伝記「西郷隆盛」をお読み下さい。
朝日新聞社から14巻文庫本で出ていました。あと、色々な随筆で氏が「西郷どん」について語っています。
西郷どんは、幕府を倒し、道義のある国家を夢見ていましたが、井上馨、山県有朋等など、汚職大官ばかり跋扈するありさまを見て、維新に失望し隠棲します。(彼の隠棲癖は有名。)ところが、周囲の状況がそれを許さず、西南の役になってしまうのですが、西郷どん自身、半分どうでも良い心境になっていたのだと思います。
これは、全く愚見ですが、自分が滅んでも、敵対する大久保一蔵を一番良く知っているのは西郷どんですから、たとえ描く日本の姿は違っても、ちょっとは安心だったのかもしれません。もし、先人で、同じことを言われた方がいらっしゃるようでしたら、ゴメンナサイ。
それから、西郷どんが馬に乗らなかったのは、馬の大きさに問題があるのではなく、(それが問題なら、大きい馬に乗りかえればいい訳です。)島流しの時に風土病にかかってしまい、キンタマが、以上に大きくなり、馬に乗れなくなったと、海音寺氏の本にあります。 頓首謹言
No.9
- 回答日時:
中3の厨房が言うのもなんですが正直言って新撰組は嫌いです。
まぁ、それはおいといて、西郷さんは新政府ができてから浪人や武士の不満が高まり反乱で政府が倒れるのを恐れて浪人や武士で韓国を攻めようと主張します。これが「征韓論」です。しかし結局は岩倉具視などの反対で、新政府を去ります。故郷の薩摩で浪人たち相手に私塾を開くのですが、そこの生徒が新政府の武器庫を襲ってしまいます。それでやむ終えず出兵したといわれています。ちなみに西郷さんは馬に乗れませんでした。
薩摩の馬では小さすぎたらしいです。
No.8
- 回答日時:
北海道に住んでます。
実家は東京にありますが、北海道にいると地域格差は感じます。
TVにしてもなんでも東京中心。
それに対する反感はありますね。
もっと地方分権というか、それぞれが主張してもいいですよね。
No.7
- 回答日時:
>年配の沖縄の方だけじゃなく、京都や北海道の方も、本土の方を嫌ってたりするんでしょうか?
それはわかりかねますが、先週のテレビで会津には未だに『ふぐ料理屋』がない、と言っていました。なぜか?それは、現在の山口(昔の長州藩)の名産品だからだそうです。本当にそうなのかはわかりませんけどね。
私、先祖が長州藩(武士だった)ですけど、新撰組好きです。今はそういうのあんまり残ってなさそうですよね。
>大河新撰組見てます。おかげで、薩長(九州・四国)の方が嫌いになりそうです。
新撰組にも薩長にもそれなりの信念があったハズ。どちらが悪いわけでもないんじゃないでしょうか。それに、大河ドラマはかなりの脚色入ってるので、鵜呑みにするのはどうかと…。もっと多角的に見ましょう。
No.6
- 回答日時:
西郷隆盛の役割は、幕藩体制の幕引きをするところで終わっていたというのが観念的には言えるのではないでしょうか?
坂本竜馬や桂小五郎(木戸孝允)と接触し、また海外の窓口である薩摩藩に所属していたことで、旧来の日本のままでは欧米列強に伍して行けないということは肌で感じ、幕府を倒して中央集権的な国家を作るべきというのが漠然とはわかっていたのでしょうが、いざその幕府がなくなってみると新たなビジョンを打ち出せないまま、不平士族の情にほだされてしまったというのが・・・。要するに、新たな時代を築きあげるにはあまりにもやさしい気持ちの持ち主でありすぎたというところではないでしょうか?
No.5
- 回答日時:
新選組ねぇー
ありゃフィクションだらけだからな。勇と龍馬が顔見知りだったりとか・・
第一、西郷は何をした人物なのかすら怪しいよ。
わざとデマを流して相手を撹乱させたりしてそれがそのまま現代に伝わってるなんてのもザラだろうしね。
不思議いっぱいなところがいいんだろうけどね。
No.3
- 回答日時:
西郷吉之輔が西南戦争で自決するに至ったのは、
明治新政府下における武士の存在意義がなくなり、
「士族」と言う名に追いやられた武士達の気持ちを
酌んで立ち上がる事になってますね。
対立した新政府軍が西郷討伐を命じたのは皮肉にも
討幕の盟友であった大久保一蔵(利通)。
義に厚い西郷は自分を頼ってきた者たちを見捨てる事が
できずに、死を覚悟して戦いに向かったようです。
それと薩長が嫌いになりそうだということですが、
元々、新撰組は殺人集団で、ある程度話を美化させて
いるストーリーだと思いますが。
No.1
- 回答日時:
新撰組関係で言うと激戦地会津の方は歴史上の
わだかまりというのが 色濃く残っているそうですよ
西郷さんが破滅した理由は 明治維新を成功させた
ものの 新しい政府に対して不満をいだく薩摩の
人は多かったので 建白書を出すというのが
最初の目的だったと記憶しています
それが 段々第二の維新を興そうという気運になってきて
代表に祭り上げられた感じではないでしょうか。
歴史小説ではありますが
翔ぶが如く をお読みになるといいでしょう。
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