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ヨーロッパにおいて、キリスト教が歴史上果たした役割について、その功罪を教えてください。

A 回答 (7件)

マイルドな回答に努めました。



この問題で、アジア・アフリカなどの非ヨーロッパ圏の出来事や、ユダヤ関係の出来事を罪の例として話してしまうと、罪しか残らない勢いになりますので、功罪のバランスを5:5にするためそれらの問題は除外して回答します。





キリスト教の罪は、ヨーロッパ文明を衰退させた事です。

時代で言うと、ローマ帝国末期~30年戦争当時もキリスト教の事です。その当時のキリスト教は「異教徒は殺さなければならない」という常識でした。

「心の自由」も禁止していました。「汝姦淫すべからず」とは、心の中でも淫らな事を考えてはいけないという事です。司祭に「お前、今心の中で淫らな事を考えたな」と言われたら、潔白を証明する事はできません。司祭の思い一つで民衆を処刑できる時代でした。これを悪魔の証明ともいいます。

また、「全ての知識は聖書にある」と言う事で、それ以外の学問を禁止しました。その結果、ローマ帝国の時代では世界最高クラスの水道技術も、「聖書にはない」と言う理由で禁止され、数学も悪魔の学問として禁止されます。

それと、「汝 隣人を愛せよ」を誤解している人がいますが、これは同じ宗教の信者に限定した話です。異教徒は人間ですらありません。因みに、カトリックとプロテスタントも当時では別の宗教です。異教徒ですので「殺さなければならない」とする対象でした。(現在は、異教徒も含めて誰でも分け隔てなくと言う意味です。当時とは違います。)



このような思想がヨーロッパ中に拡散しましたので、ローマ帝国末期~30年戦争当時までのヨーロッパ文明は急速に退化していきます。




キリスト教の功は、人権思想の発見や近代思想です。

「異教徒は殺さなければならない」と言う常識でしたが、その様な野蛮な宗教価値観から抜け出そうとする勢力も誕生しました。その総決算が30年戦争です。結果的に、野蛮な宗教価値観から抜け出そうとする勢力が勝利したので、宗教の近代化の道が開かれました。それが人権思想に繋がっていきます。

また、信仰の自由、思想の自由や人文主義や政教分離という概念も夥しい殺し合いを経て定着していきます。「全ての知識は聖書にある」という野蛮な考えも放棄します。それが合理主義へと繋がります。






要するに、キリスト教の罪は、そもそものキリスト教が、異教徒は殺さないといけないという、野蛮な宗教でした。それを世界に拡散させてしまった事が、キリスト教の最大の罪と言えます。功は、野蛮な宗教を、まともな宗教に改革できた事です。

キリスト教的に言えば、「イエスは正しかったが、それを伝える者が過ちを犯した。正しくイエスの教えを伝えなかった事が最大の罪。それを改善し、イエスの正しい教えにキリスト教を改革できた事が最大の功。」と言う事でしょうか。

ここで考えるポイントは、現在のキリスト教とローマ帝国時代の末期~30年戦争までの「宗教の近代化をする前のキリスト教」は別物と言う事を理解する事です。「昔からキリスト教は、基本的には変わらず、今のような穏健な宗教だった。」と言う価値観では、この問題は見えてきません。




はじめに言いましたが、アジア・アフリカなどの非ヨーロッパ圏や、ユダヤ関係についてキリスト教が行った事については、除外した回答になります。
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<功>


1.キリスト教の言う「人間」とは、キリスト教信者で奴隷ではない者のことでしたので、植民地政策と奴隷貿易では悪逆非道の限りを尽くし、莫大な利益をもたらしました。

2.神との契約の実態は、本人が神の意志だと考えれば神の意志になってしまうしろもので、なんでもありの世界のため、みんなが自分にとって都合の良いことを神の意志として解釈して、植民地政策や奴隷貿易だけでなく、侵略や略奪などやり放題で莫大な利益をもたらした。

3.他人に対する罪は他人に対しての謝罪ではなく、神に対する懺悔によって許される。これが、植民地政策や奴隷貿易だけではなく侵略や略奪やり放題やっても、懺悔一発でなにも反省しない欧米人の実態です。そのため、自身や先祖の他人に対する残虐非道な行いに対して、何も恥じることなく堂々と生きていける。

<罪>
 科学の進歩や時代の変化とともに教義の解釈が変化というか進化しています。例えば、天動説や進化論との調和であり、「人間みな平等」の人間は、もともと奴隷ではない白人のキリスト教信者だけだったのに、今では他の宗教を信じる者も人間になっています。
これから、言えることは変化する時代に迎合することができ、俗物的で普遍性がないということです。これは現代にも普遍的な教えとして通用する仏教とは本質的に違うと思います。
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布教することによって未開人も賢くなる、日本民族はごく僅かしかクリスチャンがいない、賢くなれてない。

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〇政治上の権力と対決する所から生まれた


〇また 祭紀的呪術の宗教よりも
 高次元の人間的価値や創造をめざしている
〇実践する弟子達の行動は必然的に民衆救済に立ち上がった
〇原始的宗教の呪術的迷信を打破しようとした
〇既成宗教の祭祀体系を否定した、
 これは パリサイ人を盲人に譬えた
〇民族的に偏狭な観念を克服した、
 イエスはユダの民族主義を乗り越えました

キリスト教にしても 世界宗教に発展した理由に、
普遍的な心理を含むものがあり、
人間の捉え方にしても、事物の本質の掘り下げ方にしても、
万人が納得いくものがあった、と言えます
 もし 人類文明にこの宗教が無かったら、
人間の知恵はいかにも底の浅いものに
なっていただろうと思いますも

罪については
聖職者や教会の堕落、権力者が都合よく利用するところにあります
これ、他の宗教と変わりありません
魔女狩り、十字軍の遠征、植民地主義への協力
更に、二元論的思考法は、唯物思感の台頭を生みました

更に、参考
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage5.html
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出尽くしてますが。

いちおう古代ローマ時代のキリスト教と近代(宗教改革などがありプロテスタントもでてきた)以降ではだいぶ様相が違っていると思いますので。自分の専門の12世紀あたりでお話しますと。

スコラ学という体系ができて、大学教育のシステムができた。
・寺子屋のような子供が学ぶ場であった教会付きの学校がだんだん高等教育の場にもなっていった。(13世紀には大学が成立)
・修道院や大学などで、積極的に古代の英知を取り入れた学問が発達した。(ルネッサンスにつながるムーブメント)

一般市民に対しては、思想統制にちかいような倫理的な締め付け(教会の教義=ドグマ、や信者の教育=カテキスムス)があったが、修道院内などプロの聖職者は古代の英知を学術的に研究する機会があり、実験など臨床的な研究もある程度はおこなわれていたため、近代科学の土台となる研究がなされていた。

ある種の研究機関でもあり、大手製造業者でもあった修道院

・修道院では薬学や医学に当たる分野が発達していまでも修道院の開発した薬草などが市販の薬局で販売されている(ドイツですと、修道院印の健康食品的なお茶やうがい薬や塗り薬などがある)
・ワイン・ビールの製造 ドイツだとシュペートレーゼ以上の等級のワインの発見・醸造は修道院がらみのもの

文化的役割
・音楽・美術の受注者であり、擁護者としての教会
・それらを一般の信徒が無料で拝観・拝聴できることからの公共(社会)教育としての功績

ざっと思いつくところです。
悪いことはたくさんありますが、それは他の方にお任せします。
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下記の掲示板にまとめて書いてありました。

私も同意です。

功罪の功
 キリスト教のもつ平等思想が、より平等な社会を求めていこうとする風潮を強めた。
 戦いよりも愛に価値をおく信仰が、より平和な社会を求めていこうとする風潮を強めた。
 宗教改革以降の信仰の中に、個人としての神への信仰という意識の強まりが、一人一人の人格を尊重しようとする風潮を強めた。
 プロテスタントの禁欲主義や勤勉をよしとする考え方は、西欧の経済発展の力となった。
 キリスト教の愛の信仰は、社会的弱者への救済を良きものとする風潮を強めた(社会福祉の推進の力となった)

功罪の罪
(多くをあげることはできませんが、次の点は非常に大きい罪であるといえるかも知れません)
 キリスト教の信仰(考え方)のみが善であるという非寛容な傾向が、キリスト教以外の地域に対する支配を正当化した。

 記事タイトル:キリスト教の歴史的功罪
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mizuta/situmon/22902 …
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キリスト教の布教が、アフリカ、アジア各地への進出の尖兵になっていた。


時には、採算度外視してまで、僻地へ進出。
新教、旧教と分裂したことによって、各地で小競り合い。
聖書印刷のため、印刷技術の発達。また、翻訳への関心度アップ。
ローマ法王、バチカンの存在が、日本の天皇のような役割。国のトップの乱暴を抑制、、できたかなぁ、、
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