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音便について!

動詞の音便形を元の形に直すときは
その動詞を連用形に

形容詞は イ音便のときは連体形
ウ音便のときは連用形
撥音便のときは連体形
に直せばいいんですか?

合ってますかね?

A 回答 (3件)

合っていると思います。

(古文の話ですか?)

>動詞の音便形を元の形に直すときは
その動詞を連用形に

 例:咲いて →咲きて  書いて→書きて  
   読んで →読みて  立って→立ちて    

>形容詞は イ音便のときは連体形

 例:美しい→美しき   良い→良き 
 
>ウ音便のときは連用形

 例:美しう→美しく  おもしろう→おもしろく  悲しう→悲しく

> 撥音便のときは連体形

 例:新しかんなり →新しかるなり 
   多かんめり  →多かるめり

インターネットで検索して調べてみましたが、実は私もよくわかりません(特に撥音便)が、具体的にはこんな感じなのかな?と思いました。

(書いているうちに何時間も経ってしまった・・・)
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>形容詞は イ音便のときは連体形


形容詞のイ音便?。
通常、形容詞の連体形の活用語尾は「イ」のはずですが、例 美しい花。
音便の理解そのものが確かなのかな?。
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そんなこと、考えたことありません、(そんな決めつけしていません)。


勝手に頭に浮かんできます、そのあとで活用形はなにかな?、と考えることはありますが。
普段日本語に接していない外国人なら、そんな理解も必要かもしれませんね。
個人的には、そんなことを知識にするのは「勉強する」に該当しません。
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Q【が】についての質問です。 外国人の友人からこのような質問があり、答えられずに悩んでおります。 ☆質

【が】についての質問です。
外国人の友人からこのような質問があり、答えられずに悩んでおります。

☆質問
1.〔答えは、100円ですよ〕と〔100円が、答えですよ〕とは言えますが〔答えが、100円ですよ〕とは言えま…すか?
〔もし、次の標的が自分だったらどうしよう〕とかは言えますが、何ででしょう…?
【が】が使える理由についてご教示ください。

〔答えが100円ですよ〕
〔明日の天気が雨だったらどうしよう〕

Aベストアンサー

■1■
「〇〇が△△」は、△△という述部の主格が〇〇であることを示している。
つまり、主と述が直接的な関係にあることを表現していることになります。
「直接的な関係」なので、

【「〇〇が△△」は、あるひとつの状態を表したいとき に使う】

と定義することができる。

A.
〔100円が、答えですよ〕は、「100円が答えという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何(円)が答えですか?
という設問に対応している。

B.
〔答えが、100円ですよ〕は、「答えが100円という状態であること」を表わしたいときに使う。
・100円は何ですか?
という設問に対応している。

A と B はどちらもあり得るシチュエーションなので、どちらも間違ってはいません。
ただ、B のように「100円は何ですか?」と問われるようなシチュエーションは稀であるため不自然に感じられるだけです。
稀なシチュエーションとは、たとえば、
・100円を私にくれると言ったのですか?
・いえ違いますよ。〔答えが、100円ですよ〕と言ったのです。
といった会話の場合など。

■2■
「は」の基本的用法は「主題提示」です。
「〇〇は△△」は、〇〇という主題を提示した上で、それに関して△△であると述べている。
「〇〇についてコメントを述べる」という構造なので、

【「〇〇は△△」は、〇〇について△△という コメントを表明したいとき に使う】

C.
〔答えは、100円ですよ〕は、答えについて「それは100円だ、というコメント」を表明したいときに使う。
・「答え」について、あなたのコメントを述べてもらえませんか?
という設問に対応している。

■3■
〔明日の天気が雨だったらどうしよう〕
〔明日の天気が雨〕(+条件)という構文。

「明日の天気が雨という状態であること」を表わしている。
・いつ(何日)が雨ですか?
という設問に対応している。

■4■
以下の比較がわかりやすいかも。

[ 桜がきれいだ ]
「桜がきれいという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何がきれいですか?
という設問に対応している。

[ 桜はきれいだ ]
桜について「それはきれいだ、というコメント」を表明したいときに使う。
・「桜」について、あなたのコメントを述べてもらえませんか?
という設問に対応している。

因みに、以上で申し上げてきた「設問」は「暗黙的な設問」の場合も多い。
特に聞かれなくても、そういう設問があったという前提で答える形になる場合も多い、という意味です。
あくまで、構造をわかりやすくするために想定された「設問」、というふうに捉えていただければ。

■1■
「〇〇が△△」は、△△という述部の主格が〇〇であることを示している。
つまり、主と述が直接的な関係にあることを表現していることになります。
「直接的な関係」なので、

【「〇〇が△△」は、あるひとつの状態を表したいとき に使う】

と定義することができる。

A.
〔100円が、答えですよ〕は、「100円が答えという状態であること」を表わしたいときに使う。
・何(円)が答えですか?
という設問に対応している。

B.
〔答えが、100円ですよ〕は、「答えが100円という状態であること」を表わしたいときに...続きを読む

Q国文法の助動詞と日本語教育文法の接辞と語尾について

国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)とされています。
ナ形容詞(国文法の形容動詞)の場合はいずれにしても語尾(スフィックス)ですが、
イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、語尾でしょうか。

Aベストアンサー

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

  丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思うのですが、日本語文法
  では何に位置付けられているのかを知りたいのです。

というところで、「丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思う」とありますが、ここも「繋辞ではなく」なのでしょうか。

大事な用語が違っていては、何が何だかわからなくなります。

ああ、もっと後の「コメント」で、

  この形容詞(イ形容詞)に用いられる「です」は形容詞(イ形容詞)の語尾(sufix,
  суффикс)なのか、繋辞(copulă, связка)なのかという質問です。

とありますね。「語尾(sufix」ということは、「語尾=接辞(suffix)」ですね。これではっきりしました。
しかし、この「です」はどう見ても、二つの名詞を「繋いで」はいないので、「繋辞」ではありえないでしょう。

井口厚夫の説明がわかりやすくていいですね。コピュラでなく、活用語尾とも言えない。形容詞普通体の、独立できる形にくっついているだけですから。
しいて分類するなら「接辞」でしょうか。

それにしても、

  いろいろな考え方のご紹介は結構ですので、「赤いです。」の「です」を助動詞
  という用語を使わずに外国人にどう教えるのかについてだけご存知の方のご説明
  をお願いします。

という最後のコメントは強烈ですね。

「どう教えるか」という観点から言えば、この「です」の品詞論・形態論的位置づけをごちゃごちゃ考える必要はない、でいいんじゃないですか。そんなことを学生に言う必要もないし、教師も悩む必要はない。
「形容詞の後について「丁寧」の意味を加える」、と言えば終わりです。

日本語学としてこの辺の形態論を教えるなら、何か適当なことを言わなければなりませんが、「日本語文法」での定説・通説などないし、例外的な用法なので例外として扱うのがいいでしょう。

そう言えば、初めの「日本語(教育)文法」とは何を指しているのか、という問いへのお答えはないのですね。まあ、いいですけど。

saburoo

まず、初めの質問の、

  国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)
  とされています。

で、「接辞(コピュラ)」は、「繋辞(コピュラ)」の間違いだったということですね。
その後の、

  イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、
  語尾でしょうか。

のところも、「繋辞でしょうか」となるはずだったのですね。
わかりました。
それなら、話はいくらかわかりやすくなります。

次に、「質問者からの補足コメント」の中で、

...続きを読む

Q繋がる の可能形

繋がる の可能形は何ですか。繋がられるですか。

Aベストアンサー

何だかいろいろ錯綜していますね。

まず、可能形(可能動詞・可能構文)というのは、すべての動詞についてあるわけではありません。

   可能構文は意志的な行為について述べるため、通常、主語は有情物であり、
   動詞は意志動詞に限られる。
                『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

例えば、自然現象である「雨が降る」「雷が鳴る」は、
   ×雨が降れる  ×雷が鳴れる
とは言えません。

人間の非意志的な動作、例えば「財布を忘れる」も、
   ×財布を忘れられる
で、可能形は使えませんが、「嫌なことを忘れる」なら、「忘れよう」と努力して、
    嫌なことを忘れられた/忘れられない
のように可能形が使えます。

「つながる」も、
    この路線は地下鉄につながっている
では非意志ですが、
    世界の人とつながろう!
のような用法なら意志動詞です。

「意志動詞」というのもよく分からないところがありますが、ある動詞が意志動詞かどうかというよりも、用法ごとに考えるべきでしょう。

さて、「つながる」の「可能形」ですが、ひらがな単位でやるよりも、形態論の分析はローマ字を使ったほうがいいでしょう。

   可能構文の述語動詞は、動詞の語幹に可能の接辞をつけて作られる。可能構文は、
   動詞の語幹に接辞「-e-ru」(I型動詞の場合)や「-rare-ru」(Ⅱ型動詞、「来る」
   の場合)が付加した派生動詞によって表される。
           『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

「つながる」は五段動詞(I型動詞)ですので、
   tunagar -u → tunagar -eru つながれる (「つながられる」は受身形)
です。
  例 世界の人々とネットでつながれると思ったのだが、なかなかうまくつながれない。

「可能動詞」という言い方は、五段動詞の場合、助動詞「れる・られる」の付加による
   よむ → よまれる
の形ではなく、普通は「よめる」が可能を表す形として使われるので、それを「よむ」とは別の独立した動詞として名付けたものでしょう。(すみません。この辺の事情はよく知りません。)

この「よめる」という形は、ひらがな単位での分析では「よむ」から作ろうとすると無理があるので、可能形とは呼びたくないのでしょう。

上の、ローマ字を使った(つまりは音素表記?)なら、語幹に「れる」ではなく「-e-ru」をつければいいわけです。

なお、大辞林などが「可能動詞」を付記していないのは、「つながる」の多くの用法が非意志的なものだからではないでしょうか。上に書いたように、ある動詞の用法全体が意志的(つまり可能動詞がありうる)あるいは非意志的であるとは言えないので、その動詞の「可能動詞」が[ある/ない]とどちらかに決めることは難しいのです。

以下は補足的なことです。

「つなぐ」「つなげる」の可能形は、
   tunag -u → tunag -e-ru (可能動詞)  (「つながれる」は受身形)
tunage -ru → tunage -rare-ru (元が一段動詞なので「可能動詞」はない)
です。
この二つの「つなげる」は、上は「つなぐ」の可能形(可能動詞)で、「~できる」の意味を持ち、
下は単なる他動詞です。
   恥ずかしくて手をつなげない。(つなぐことができない)
   コードとコードをつなげる。(結びつける・延長する)

可能の「れる・られる」について、いまだに国語辞典などが「五段動詞は未然形に「れる」がつく」としているのはちょっと驚きでした。
   読まれる 書かれる 泳がれる 死なれる 解かれる 持たれる 言われる 切られる
などを可能の意味で使われると、誤解が生じるのではないでしょうか。(もちろん、普通「読める・泳げる」が使われる、とは注記してありますが。)

saburoo

何だかいろいろ錯綜していますね。

まず、可能形(可能動詞・可能構文)というのは、すべての動詞についてあるわけではありません。

   可能構文は意志的な行為について述べるため、通常、主語は有情物であり、
   動詞は意志動詞に限られる。
                『現代日本語文法2』p.278(くろしお出版)

例えば、自然現象である「雨が降る」「雷が鳴る」は、
   ×雨が降れる  ×雷が鳴れる
とは言えません。

人間の非意志的な動作、例えば「財布を忘れる」も、
   ×財布を忘れ...続きを読む

Q新元号 ルーツはやはり中国 ?

令和

万葉集の

[ 初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香 ]

が基であり、はじめて国書から引用したものだと政府もメディアも盛んに喧伝しています。
しかし、それ自体が、実は中国の詩文集である『文選』からの引用らしい。
張衡(78-139)が著した「帰田賦」という書物の、

[ 於是仲春令月 時和気清 ]

という一節。
https://setsuhaji.com/post-5993/
所詮、漢字自体が中国から来たものなのですから、漢字を使う以上、日本の伝統とか自慢げに強調しないほうが良さそうですね。
そこで質問です。

このように、「裏をかいたつもりで、結局は絡めとられている」的な状況を表わす諺や熟語ってありませんでしたっけ。

Aベストアンサー

「文選」から借用したというのは、この元号が発表された時に、岩波文庫の「万葉集」の注釈に触れられていることが話題になりました。この時代に日本人が中国語をすらすら書けるはずは無く、「古事記」は日本式漢文で書かれおり、日本書記では百済あたりの文章博士によって助けられて、やっと漢文らしきものが書けるようになった(と目せられた)時代ですから、それほど時が経っていない、万葉集に立派な漢文が存在するはずも無く、大伴旅人も和歌の作者としては有名だが、漢文を自在に書けたとも考えられない。
だから「文選」から拝借してお茶を濁したのです。
751年「懐風藻(かいふうそう)」
814年「凌雲(りょううん)集
818年「文華秀麗集」
827年「経国(けいこく)集」
810年「文鏡秘府論」空海/漢詩・漢文論
などの「漢詩文集」に目をやることはできなかったのか。私は不思議に思う。日本の書物を「出典」にしたい、そういう気持ちが先走ったのでしょう。「万葉集」は如何にも日本的です。しかし、そこにあるのは「万葉仮名」(あくまでも「仮名」です)で書かれた和歌です。わずかに目についた漢文に目が行ったのですが、それが「文選」由来であった。一体「有識者」は何を考えていたのか。
 回答になっていませんが、私の気持ちを述べました。

「文選」から借用したというのは、この元号が発表された時に、岩波文庫の「万葉集」の注釈に触れられていることが話題になりました。この時代に日本人が中国語をすらすら書けるはずは無く、「古事記」は日本式漢文で書かれおり、日本書記では百済あたりの文章博士によって助けられて、やっと漢文らしきものが書けるようになった(と目せられた)時代ですから、それほど時が経っていない、万葉集に立派な漢文が存在するはずも無く、大伴旅人も和歌の作者としては有名だが、漢文を自在に書けたとも考えられない。
だ...続きを読む

Q『教会の時計台が見える。』という文、主語は『時計台が』でしょうか。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10988196.html

この質問に私も回答したのですが、出された結論に誤りがあるかとも思われます。中学生が質問主だったのですが、私自身間違った回答をしたのかもしれません。その謝罪も兼ねて再度質問いたします。ご自由にご回答下さい。

Aベストアンサー

#9です。

>元の質問の中心である「主語」のことです。

可能用法と考えた場合は、『私は教会の時計台が見える。』だと思います。
もっとも、

『私は目が良いので、夜でも 教会の時計台が見える。』

という文を「見ることができる」という能力可能の意味に解釈できると考えた場合ですけどね。
大辞泉の語釈、
2 見ることができる。「猫は暗やみでも―・える」
を素直にと言いますか単純に信じるとそうなるかと。

Q音便・・・・・

古典の動詞・形容詞・形容動詞の音便って、
100%現れるんですか????
なんか規則性があるんですか??
教えてください。。テストが近いので
なるべく早く答えていただきたいです。。

Aベストアンサー

〔動詞の音便〕

音便とは、語の一部の音が、より発音しやすい音に変化する現象を言います。動詞の音便は、主に四段動詞、ラ変動詞、ナ変動詞の連用形語尾が、接続助詞「て」、完了の助動詞「たり」に続く場合に起こり、次の四種類があります。

◆イ音便
四段動詞の連用形語尾「き」「ぎ」「し」が、い」に変化する現象です。
例) 書きて→書いて  泳ぎて→泳いで  渡して→渡いて

◆ウ音便
四段動詞の連用形語尾「ひ」「び」「み」が、「う」に変化する現象です。
例) 争ひて→争うて  呼びて→呼うで  頼みて→頼うで

◆撥音便
1、四段動詞の連用形語尾「び」「み」、ナ変動詞の連用形語尾「に」が、撥音(はねる音「ん」)に変化する現象です。
例) 飛びて→飛んで  読みて→読んで  死にて→死んで
2、ラ変動詞の連体形語尾「る」が、助動詞「めり、なり<伝聞・推定>、べし」に続くとき、撥音「ん」に変化する現象です。この場合、「ん」は表記されないことが多いですが、音読するときは「アンメリ」「アンナリ」「アンベシ」と読みます。
例)あるめり→あんめり・あめり    
例)あるなり→あんなり・あなり
例)あるべし→あんべし・あべし

◆促音便
四段動詞の連用形語尾「ち」「ひ」、ラ変動詞の連用形語尾「り」が、促音(つまる音「っ」)に変化する現象です。ただし、この「っ」は小書きされずに「つ」と書かれることが多いです。
例) 立ちて→立つて  習ひて→習つて  ありて→あつて

*ウ音便・撥音便に伴って、本来清音である「て」「たり」は、濁音「で」「だり」に変化します。

〔形容詞の音便〕

ク活用・シク活用ともに音便が起こることがあります。

1、連用形語尾にあらわれる「く」にウ音便が起こることがあります。
例)つれなく→つれなう(ク活用形容詞の例で、「く」は連用形語尾です)
例)うつくしく→うつくしう(シク活用形容詞の例で、「く」は連用形語尾の一部です)  

2、連体形語尾にあらわれる「き」にイ音便が起こることがあります。
例)つれなき→つれない(ク活用形容詞の例で、「き」は連体形語尾です)
例)うつくしき→うつくしい(シク活用形容詞の例で、「き」は連体形語尾の一部です)

3、補助活用連体形語尾にあらわれる「る」が、助動詞「べし・めり・なり〔伝聞・推定〕」を下に付けるとき撥音便が起こります。このとき撥音「ん」は表記されないことが多いです。
例)無かるべし→無かんべし・無かべし
例)無かるめり→無かんめり・無かめり
例)無かるなり→無かんなり・無かなり

〔形容動詞の音便〕

形容動詞の連体形語尾にあらわれる「る」が、助動詞「べし・めり・なり〔伝聞・推定〕」 を下接するとき撥音便を起こして「ん」になることがあります。さらに撥音「ん」は表記されないことが多いです。
例)あはれなるべし→あはれなんべし・あはれなべし
例)あはれなるめり→あはれなんめり・あはれなめり
例)あはれなるなり→あはれなんなり・あはれななり

動詞、形容詞、形容動詞は上記のケースで音便をおこします。しかし上記の条件に該当すれば100%音便になるわけではありません。

〔動詞の音便〕

音便とは、語の一部の音が、より発音しやすい音に変化する現象を言います。動詞の音便は、主に四段動詞、ラ変動詞、ナ変動詞の連用形語尾が、接続助詞「て」、完了の助動詞「たり」に続く場合に起こり、次の四種類があります。

◆イ音便
四段動詞の連用形語尾「き」「ぎ」「し」が、い」に変化する現象です。
例) 書きて→書いて  泳ぎて→泳いで  渡して→渡いて

◆ウ音便
四段動詞の連用形語尾「ひ」「び」「み」が、「う」に変化する現象です。
例) 争ひて→争うて  呼びて→呼...続きを読む

Qこのカードはどこででも使えない

このカードはどこでも使える。
の否定は
このカードはどこででも使えない
でしょうか。

Aベストアンサー

No.9でコメントした者です。

 連投の形になりますが、まったく別の考え方が浮かんだもので……。
 詳しくは下記をご参照ください。
【どこでも どこででも 教えて!goo】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12442791113.html

 ことば会議室の識者がやり取してもよくわからないのだから相当のな難物、と諦めかけていたのだが、妙なことを思いついてしまったんでメモを残す。ツッコミはやさしくお願いします。

 まず、品詞分け(めったにしないんだけど)から考えるべきなのでは。
「どこでも使える」の「どこでも」は、2種類ある。ひとつは、「どこ+で+でも」の「で」が省略された形。もうひとつの「どこでも」は「どこ+で+も」という考え方をするべきでは。
 で、まず辞書で「でも」をひいておく。
(略)

⬛︎「どこ+で+でも」の「で」が省略された形
 まずはこちらから。
 説明の都合で「どこへでも行ける」「どこにでも貼れる」をあわせて考える。

1)どこででも使える → どこでも使える
2)どこへでも行ける → どこでも行ける
3)どこにでも貼れる → どこでも貼れる

 3つを比べてみるとわかるが、これは「同音脱落」ではない。「助詞の省略」だろう。
 助詞を省略することで意味やニュアンスがどうかわるのかを考える気はない。両方とも同じように使える、以上のことはお好きな人がどうぞ。あえていえば、省略したほうがカジュアルでな感じで話し言葉っぽい。それ以上はパス。
 個人的には、フォーマルな感じで書き言葉っぽいほうがいいと思うが、それもケースバイケースだろう。「どこへでもドア」だと相当おかしい(笑)。
「助詞の省略」に関して詳しくは下記をご参照ください。
【学者の言葉〈1〉──無助詞文あるいは助詞の省略】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2295.html
 簡略版は下記?
【日本語の無助詞の文についての質問です】
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1091194150

⬛︎「どこ+で+も」
4)A店で(も)使える。B店で(も)使える……どこで(で)も使える
5)北海道へ(も)行ける。海外へ(も)行ける……どこへ(で)も行ける
6)金属に(も)貼れる。ガラス面に(も)貼れる……どこに(で)も貼れる
 ※右側のように(で)を入れると強意だろうか。(で)がなくても意味は通じるが、あるほうが語呂がいいかもしれない。
 
〈2)どこでも行ける〉と〈5)どこへも行ける〉を見比べれば、違いはすぐにわかる。
〈3)どこでも貼れる〉と〈5)どこにも貼れる〉を見比べれば、違いはすぐにわかる(当方の知識だと簡潔に説明するのはむずかしいが)。
 ところが、〈1)どこでも使える〉と〈5)どこでも使える〉は形が同じなので見分けがつかない。これが混乱のものだろう。
 まあ、「どこででも/どこでも」の場合はどちらも同じように使えることにかわりはないけど(泣)。

 ちなみに、1)〜6)を見比べていると、もうひとつ妙なことに気づく。
 下記のような使い方が自然なのでは。

 どこへも行けない  ……否定文
 どこ(へ)でも行ける……肯定文
 どこにも貼れない  ……否定文
 どこ(に)でも貼れる……肯定文 
 
 つまり、質問者が最初に考えた肯定/否定の考え方が復活している。あれ? 肯定/否定の関係が逆になってる?
 いずれにしても、「どこでも/どこででも」の場合は「で」が重複しているので、語感が働きにくいのでは。

 もうひとつちなみに、個人的な語感で書かせてもらうと……(たまにはいいよね)。
「どこ(で)でも使える」の否定は……。
 全否定なら「どこでも使えない」になる。↑の肯定/否定の考え方をするなら、否定文で「どこででも」を使うのはおかしい気もするが、実際にはどちらももOKだろう。個人的には、こうは言わない。
「このカードは使えるところがない」くらいじゃないだろうか。
 部分否定なら「どこででも使えるわけではない」だろうか。個人的には、こうも言わない。
「すべての店で使えるわけではない」「使えないところもある」くらいじゃないだろうか。
 このあたりは個人的な語感の問題なので、強く主張する気はない。

No.9でコメントした者です。

 連投の形になりますが、まったく別の考え方が浮かんだもので……。
 詳しくは下記をご参照ください。
【どこでも どこででも 教えて!goo】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12442791113.html

 ことば会議室の識者がやり取してもよくわからないのだから相当のな難物、と諦めかけていたのだが、妙なことを思いついてしまったんでメモを残す。ツッコミはやさしくお願いします。

 まず、品詞分け(めったにしないんだけど)から考えるべきなのでは。
「どこでも使える」の「...続きを読む

Q敬語で人を罵倒することについて

日本語を勉強中の中国人です。昨日このサイトから敬語で人を罵倒することもできるようと知りました。ちょっとよく理解できないのですが、会話の例文を見せていただけないでしょうか。

また、質問文に不自然な日本語の表現がございましたらそれも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

何をおっしゃっているかわかりかねます

というのは敬語の侮蔑

Q「一人」は訓読みで「ひとり」 「二人」は訓読みで「ふたり」 では「三人」やそれ以降は訓読みでなんと言

「一人」は訓読みで「ひとり」
「二人」は訓読みで「ふたり」
では「三人」やそれ以降は訓読みでなんと言うのでしょうか?やはり「みひと」?
平安時代どの様に人を数えていたのか知りたいです。

Aベストアンサー

>では「三人」やそれ以降は訓読みでなんと言うのでしょうか?
みたり、よたり、いつたり、むたり、ななたり、やたり、ここのたり


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