引越しでおトクなインターネット回線は?>>

これは、冷静で気長で理知的な人は必ず持つ宿命なんですか?

やはり「仏の顔も三度まで。」「出る杭は打たれる」なら、
誰よりも冷静で理知的で気長で貫禄で、真面目で優秀な人こそ、
いつかは堪忍袋の緒が切れる極限まで追い込まれて、
堪忍袋の緒をいざ切らしたその時には、「君のレベルも大した事ないね。」、「幼稚」、「大人げない」だのと謗られる破目になる、
これはやはり必ずある宿命ですか?
だとしても、滅多に腹を立てない人を怒らせる事それこそが、言語道断ですよね?


また、「光が強まれば影も濃くなる。」であるなら、
誰よりも男らしくてしっかりした、強くて優秀な人には、
そのような人が我慢出来ない極限まで追い詰めてやろうとする輩も現れるならやはり、生きていれば結局は何をしても同じ事なんですか?

A 回答 (3件)

「誰よりも冷静で理知的で気長で貫禄で、真面目で優秀な人」なら、極限まで追い込まれる前に対処するでしょうね。


極限まで追い込まれるまで耐えるばかりで何も対処できないなら、少なくとも「優秀な人」ではないと思います。
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「これは」てのが何を指すのが不明です。

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この回答へのお礼

読解力とかをもっと磨きましょう。

お礼日時:2019/02/26 12:12

もう哲学でもなんでもないね。


生きていれば結局何をしても同じかどうかなど、周りの人間を見ればわかるだろう。


>堪忍袋の緒をいざ切らしたその時には、「君のレベルも大した事ないね。」、「幼稚」、「大人げない」だのと謗>られる破目になる、
>これはやはり必ずある宿命ですか?
>だとしても、滅多に腹を立てない人を怒らせる事それこそが、言語道断ですよね?

「人は内容ではなく、その言い方に反応する」
腹の立て方が悪いのだよ。
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そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を優先すること」と言われても何か分からないでしょう。ですから分かり易く言えば愛や思いやりや慈悲心などですと説明しています。これはキリストが説いた愛です、孔子が説いた仁、つまり思いやりです、そして釈迦が説いた慈悲の心です。そしてこれらに内包、共通しているのが「私より公を優先する心、行為」です。

「私より公を優先する」とは分かり易く言えば「私欲という自分の思いを少し抑えて公の為とみんなで考え行うこと」です。自分の私欲の心を少し抑えて、一人一人がみんなの為と考えることです。これは民主主義を示しています。そして「みんなの為」と考えるということは皆さん一人一人がリーダー、その群れのトップの立場に立って考えると言うことです。それは強い責任感をもって考えると言うことです。そのような心を一人一人みんながもって、みんなで考えれば最も正しい答えに辿り着ける確率が高くなるよ、ということです。これ以上に優れた方法が何かありますか? これが私の言う絶対善なのです。

その群れ社会にとって絶対的に正しいことは社会の安寧秩序であり、そのために最も優れた方法が「私より公を優先する事、つまり愛や思いやりや慈悲心」なのです。もちろんこれは最高の方法を示しているので一般的にはなかなかできないことです。しかしそれを目指す事こそが最もより良い社会が創れるのだ、と言う事なのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

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いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式組の人がいっぱいいます。そうした方々は、言葉の使用法の形式の方に興味が優先してしまい、たとへそこで使われている言葉が不完全でもそこで言っていることの内容や実態をなんとか理解しようという方向に興味を向けない傾向にあります。

「あんたの言いたことはなんとなく判るんだが、そのような言葉の用法はその内容と矛盾しており、間違っている」

などと言って、言葉の使い方が間違っているから、あなたの言う内容も間違いだ、などと考えてしまう人もいくらでもいます。だから、芯木さんが言いたいことの本質を論じようとするのではなくて、絶対の意味などの言葉の使い方がこだわった回答が多くなっているのです。

そのような人たちは、左を指差しながら、「右、右」と言っている人の心を察することができず、その間違いを言いつのる傾向があります。この場合、常識的に見て、指を差している方向をその発信者が言いたいのは明らかですのに。

物事を論じるためには、その内容も、その言葉の使い方も、両方とも重要です。しかし、その両方を同時に論じることにどれだけの生産性があるか、自明ではありません。大論文でもない限り、それを意識せずに両方とも同時に論じてしまうと誤解を招き、混乱さえ起こしかねません。ですから、何かを論じる場合には、内容か、形式か、そのどちらにより重点を置いているのか、文面から明確にわかるように書いておく方が、生産的な議論のやり取りができます。

ここでの主題は「公に対する奉仕」なのだと思いますが、例えば、「公」という言葉一つとっても、人によってその意味がだいぶ違い、芯木さんが言いたい意味では受け取ってくれない場合が散見されます。いわんや、「絶対」などという、一神教の影響を受けた西洋文化大好連中が好んで使う言葉は、哲学好みの人たちには刺激的すぎて芯木さんの言いたい内容よりも、その刺激的な言葉に拘ってしまう人がいくらでもいます。

出来るだけ刺激的な言葉を避けてご自分で言いたいことを表現することを工夫すると、芯木さんのご主張に賛同する方も増えるのではないでしょうか。また、どうしても「絶対」と言う言葉を使いたいならば、論述を始める前に、ここでのこの言葉は、、、、を意味するものとして特殊な使い方をしている、などと一言を入れておくと、読者もそのつもりで読んでくださると思います。

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Qやはり、知恵のある人間はいても、 全ての面で賢い人間、全知全能な人間はいませんし、 また、男らしい人

やはり、知恵のある人間はいても、
全ての面で賢い人間、全知全能な人間はいませんし、

また、男らしい人間、しっかりした人間はいても、
100%強い人間や完全無欠な人間はいませんね。


どんなに知識や知恵があって優秀な人に遭遇していても、
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なら本当、困ったものですよね?

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リベルテさんの一連の質問を読んでいて、ある疑問を持ちました。リベルトさんの質問は一貫して他人からの評価をどう解釈したら良いかという質問です。私の疑問と言うのは、どうして、リベルトさんは他人の評価にそこまで執拗に拘っているのかと言う疑問です。

他人の心の中や振る舞いをリベルトさんが制御することは不可能です。その不可能なことにどうしてそんなに拘っているのか、それが私には理解できないのです。

人間の性として、誰からも評価されない状態は耐えがたいことです。しかし、たった一人でも自分を認めてくれる人がいると言うことは、その人に最大級の幸せ感をもたらしてくれます。ですから、私は、他人の評価を全く無視せよと言っているのではありません。また、リベルトさんが多くの人から評価されるようになれと言っているのでもありません。

リベルトさんが接している人々の中で、リベルトさんがこの人と決めた人を選んで、その人から善と評価されるように努力をする。そして、それ以外の人からの評価は全く無視する。それなら、不特定多数の人から評価されるように努力するよりも遥かに簡単です。

リベルトさんも、この世にたった一人でも良いからその人を探して、その方から、リベルトさんがいてくれて良かったと言われるように、その方に尽くしてみたらどうですか。その方から、その言葉が聞けたとき、リベルトさんは至極の幸せ感を味わうことができます。他の人があなたをどう評価しようとも、そんなことに全く無関係に至極の幸せ感を味わえるのです。私の経験では、人間が幸せを感じることができるのは、他の方法がないようです。

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Q何の為に生きてるのですか?それとも分からないまま死を迎えるのですか?

あなたは何の為に生きているのですか?

子供の為とか奥さんの為とかそういう気持ちで生きているのですか?

或いは生きて何かしたい事が在るのですか?

それとももう悟りきって不動の心で生きていますか?

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人生観のヒントになる事があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

命がある限り、もー限界、お迎えが来るまで頑張ります。自分の為です、人の為に働いていても、身体は自分のものです

Q心から信じていれば命さえも懸けられる

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命綱が切れないと心から信じているから命を懸けているではありませんか。この事実があるのに何故、皆さんこの事実を否定されるのか。事実判断を皆さんの価値判断で否定することなどできませんよ。事実そうなのですから。

「本当に信じていれば、全財産や命さえも懸けられる」というフレーズは色んな難しい社会的問題を解決できる魔法の言葉なのです。
例えば 従軍慰安婦問題も「本当に韓国政府が従軍慰安婦問題(少女二十万人拉致、性奴隷)があったと心から信じているなら、もし間違っていたら竹島を無条件で返してもらうぞ」と言えばそれで片が付くのです。何故なら韓国政府は本当は慰安婦の証言など信じていないのですからです。

このようにこのフレーズで多くの難問は解決できるのです。皆さんも「本当に、心から信じていれば命さえ懸けられるだろう」という言葉に嫌悪感を示さずにどんどん使いましよう。あらゆる難しい問題もすぐに解決できるのですから。

「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命...続きを読む

Aベストアンサー

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越されね荒海のおかげで、他の文化とは遮断され、縄文時代から現在に至るまで数千年かけて世界的にも類を見ない特異で独特な文化、すなわち価値観を築き上げてきました。外国で生活してみるとへーって思うことばかり。日本人の考え方ってこの国の人とそんなに違うのかって思い知らされることばかりです。例えば、日本人てこの地球上で性善説を信じている唯一の文化を持った国民なんですよ。そして、話し合えば解ってもらえると信じている人が態勢を占めている。

でも、日本以外の国では陸続きだったために互いに侵略しあい、戦に負ければ男どもは殺され、女どもとその子供は奴隷にされてきた。長い歴史の中でそんなことを繰り返してきた人々に性善説を信じよといっても無理です。

もちろん、日本人の作り上げてきた価値観の中には、外国の一部の世界で作り上げてきた価値観と共通した部分がないわけではなく、その共通項の部分のために、日本人が尊敬されている部分もあります。例えば正直であるとか、約束を守るとか、名誉を重んじ恥づべきことをするなという価値観です。このような価値観は、昔のギリシャや中世の西欧や日本のように、常態が群雄割拠で、いつも小国同士が小競り合いの戦さをしていた歴史を持った国に共通した価値観です。そしてこれは、基本的に武人たちが国を支配してきた世界に生じた価値観です。武人は基本的に理系人間で、技術と合理性を重んじる文化を作り上げてきた。しかしこのような小国による群雄割拠が常態であった地域は世界史的には例外に属しています。

世界史的には、圧倒的に大多数の民族は常態が群雄割拠ではなくて、強大な力を持つ政府による中央集権でした。中央集権国家では、小国同士ような小競り合いもほとんどなく長期にわたって安定して平和が保たれていました。そしてこの安定した中央集権国家の支配者は官僚と呼ばれる文系人間でした。戦さもなく社会が安定しているゆえに官僚が世襲化されるようになる。この世襲化された官僚のことを貴族とも呼んでいました。このような安定した社会の支配層を維持するために必要なのは、技術でも合理性でもなく、前例という伝統を重んじる固定化された価値観です。そのように合理的な根拠もなく支配されている一般民衆の中に、性善説など生じる余地がない。

しかし、安定した社会の内部の発展による富の蓄積や外部の予期せぬ環境の変化によって、この伝統による支配の説得力は徐々に失われて行きます。だから、歴史的に見て腐敗しなかった官僚は存在していません。時代と共に官僚は必ず腐敗します。その腐敗に我慢ができなくなった時に短期間の大混乱が起こって、新たな連中によってまた新しい長期の中央集権の安定期に移行して、そのうちにまた腐敗して短期の混乱が起こって、、、とこれを繰り返してきたのが、上記の古代のギリシャ、西欧、日本という群雄割拠地域を除いた地球上の圧倒的に大多数の民族の歴史です。

上に述べたように、このような文民支配による中央集権制度では、合理性よりも前例に基づいた伝統が重んじられる。もちろん、その伝統は偶然の成り行きで出来てきたために、各民族で全然違っています。そのようなそれぞれ違った根拠で出来上がってきた彼らのそれぞれ違った価値観を、合理的な論拠に基づいて話し合えば解り合えて一つの価値観に統一できるはずがありません。唯一できることは、互いに価値観の違いがあることを認識し、それを認め合って、一方の価値観を相手に押し付けずに、それぞれのやり方に任せることです。

真木さんの言う、死の覚悟を持って、とか、名誉を重んじ恥じた行為をしない、とか、公に尽くす、と言う価値観は古代のギリシャ人や群雄割拠で戦争に明け暮れた西洋人や源平以降戦国時代を経験した日本人には理解できるでしょう。しかし、このような武人支配を長年続けてこず、文系の官僚支配を続けてきたにこの地球上のほとんどの国の人には理解できない価値観だと思います。そのような国とうまくやってゆくためには、日本人独特な価値観を相手に強要するのではなくて、某元防衛省大臣がおっしゃったように「丁寧に無視」しながらお付き合いが最善の方法だと思いあますが、どうでしょうか。

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越...続きを読む

Q哲学カテ界隈で話が噛み合わない現象が起きるのは何故だと思いますか?

タイトル通りです
自分で色々考えてますがたまには
他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

そういった輩と、真摯に何かを探求しようとする人との違いは、論理的な根拠を示しつつ持論を展開しているかどうか、という点。
賛同を求める乞食の輩は、論理的な根拠が提示できなくなると、強引にかぶせてきますからすぐに判別できる。
どうでも良い箇所では物分かりの良い顔して猫なで声を出すのが得意ですが、いざ本丸に攻め込まれると見境も無く髪を振り乱してあたふた大声で怒鳴り散らす。
おだてられての木登りも大得意。

それでも論理を辿ることさえお互いできれば、そんなに大きな齟齬は生じないものです。
で、そういう輩に限って、自分の質問に回答がひとつもつかなかったりすると、自分の頭が良すぎて他人には理解できないのだ、などと妄想に浸りつつ、ひとり悦にいったりする。
ダダを捏ねる赤ん坊みたいなもので、誰か面倒を見てくれる人がいると世の中は平和で助かる。
見解の相違だね、とお互いに質疑を保留できる余裕があるうちは、可能性がまだある。

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃな...続きを読む

Q<大衆は 絶対的に愚かか?>などの投稿をされた常連さんは、今後、この愚かな大衆を相手にして投稿をされ

先日、このカテである常連さんが<大衆は 絶対的に愚かか?>などの投稿をされていらしゃいました。そのことについては、私にはわかりません。
ところで、この常連さんは、今後、このような愚かな大衆を相手にして投稿をされることはない、と思われますか?

Aベストアンサー

ありますよ。
釣り堀りの住人が一生懸命撒き餌していると思えば良いです。

<大衆は 絶対的に愚かか?>
こういう質問の仕方が撒き餌効果アリと考えている。
で、エサを撒いている限り自分のほうが魚より賢いのは確かだと悦に入っているわけです。
他人を貶めることでしか自分の価値を確認できない憐れな輩です。
ま、逆切れして実社会に迷惑かけても困りますし、暇な人が相手してやれば良いかと。
無駄・無意味・不毛につき、賢人は寄り付きません。

Q哲学とは何か?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学とは何かということについて、野矢氏は、次のように述べています。

ごく簡単に哲学史を述べれば、アリストテレスは哲学を学問として捉えていた。
トマス・アクィナスにとっては、哲学は宗教であった。
デカルトは、哲学は学問の基礎であると考えていた。
現代においては、哲学者の数だけ定義が存在すると言って過言ではない。

私(野矢氏)にとって哲学とは、人間の言葉を使った複雑な思考の中の問題として
1.思考の全体を見通せていない、2.思考を支えている多くの暗黙のものを自覚し
ていない、3.全体の曖昧さ、矛盾を分からないでいる、これらの問題を解決する
ことである、と。

確かに、哲学というものの定義は、様々であることは実感していました。だから、
「さあ統一しましょう」といったところで、そううまくはゆかない。せめて、各々
の定義を理解し合えたら、もう少し意義のある対話ができるかも知れません。

さて、あなたの「哲学の定義」はというと、どういうことになりますでしょうか?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学...続きを読む

Aベストアンサー

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人間の尊厳の確認であったかのような印象があります。

その旗頭であるソクラテスが牢獄に繋がれ、毒をあおって死ななければならなかったため、何か、陰惨な印象を持っていましたが、何年か前、彼の牢獄であったと伝えられている岩屋を訪れる機会があり、その場所が、アクロポリスを見渡せる、風光明媚な場所であったため、何だか、足元のはしごを外された気分、というか、牢獄でさえ、知的でした。

おっしゃる通り、哲学は、対話によって、曖昧なものや無意識に受け入れていた事柄を、明確にしてゆく役割を担っているのだと思います。中世以降のヨーロッパでは、キリスト教が邪魔になりましたが、現代の日本では、いかがでしょうか。

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

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Q「マウンティング」をする人は「自信家」ではないか。

先の質問で、最後の回答をくださった方が、記事中のいくつかのキーワードを添えて以下のリンクを教えてくれました。

その時の回答をそのまま引用します


<またまたズレているかもしれませんが、おもしろい記事を見つけたので貼っておきます。
https://president.jp/articles/-/26637#cxrecs_s

マウンティング サル 優位に立ちたい 自信が無いから 
デジタル人間 感情の欠落 生きづらい
悪いのはあいつだ わたしには関係ない>

わたしはTVを視ませんし、新聞を読まない、インターネットでは、主にわたし同様、心の病を持った人のブログを読む。それ以外は専ら海外のアート・サイトを渉猟するだけで、WEBニュースもまとめサイトも覗くことはありません。ですから、最近の言葉はほとんど知りません。
「マウンティング」という言葉も初めて知りました。

以下リンクの記事より

「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。そのため、自分よりも格下の人間をつくりだすことで、集団内での序列を少しでも高めて、上位にいるという安心感を得ようとします。」

わたしはブログを通して、自分同様に自己肯定感の極めて低い人たちを知っています。
けれども、わたしの知っている「自信のない人たち」は決して、決して「自分より格下の人間を作り出し」たり「人より優位に立ちたい」などとは露ほども思っていません。ただひたすら自己の無価値を嘆くだけです。わたしもまた同様です。

「マウンティング」とやらいう行動をとる人は、寧ろ、自己顕示欲の強い自信家であり野心家ではないのでしょうか?

「そもそもマウンティングをする人は、自分に自信がありません。」
この記事を書いた人は、如何なる根拠を持ってこのように断言するのでしょうか?

先の質問で、最後の回答をくださった方が、記事中のいくつかのキーワードを添えて以下のリンクを教えてくれました。

その時の回答をそのまま引用します


<またまたズレているかもしれませんが、おもしろい記事を見つけたので貼っておきます。
https://president.jp/articles/-/26637#cxrecs_s

マウンティング サル 優位に立ちたい 自信が無いから 
デジタル人間 感情の欠落 生きづらい
悪いのはあいつだ わたしには関係ない>

わたしはTVを視ませんし、新聞を読まない、インターネット...続きを読む

Aベストアンサー

そうなんですよ!

私も自信のない人、好きです
自信がない、って謙虚であることでもありますもんね
また、丁寧に物事を考えていけば
自信満々にはならないですもん

質問者さまが無力無能とは思いませんが、まあそれは置いておくとして
ある精神科医が
「自分はうつ病の患者さんが好きだし
精神科医は、みんなそうだと思う
うつ病の患者さんは優しいし礼儀正しい人が多い
元気になってくると医者にお礼を言ってくれる」

この言葉を知り
何かあった時に他人のせいにはしないで
自分が悪かったと自分を責めるような人が
うつ病になるのではと思いました

おそらく
「下をつくって、でも上に怯える」ような人が
自慢話で武装するのではないでしょうか?

「上とか下とかでなく
私は私でしかない」
と思える人が「本当の自信」がある人なのかもしれないですよ

Q「とうもろこし」にまつわる世界観

「とうもろこし」と聞くと、焼きとうもろこしやコーンスープを思い浮かべる方が多いと思います。しかし、今やアメリカでは、45000種類の食品のうち1/4以上の食品にとうもろこしが使われていることをご存知でしょうか。日本も例外ではありません。

コーンスターチ(トウモロコシの澱粉)コーンフラワー(とうもろこし粉)に加工され、コーン油も搾油されていますが、食品の原材料表示の中の、ブドウ糖果糖液糖、加工デンプン、デキストリン、キサンタンガム、アスコルビン酸、カラメル色素など。とうもろこしから作られる添加物は何百種類に及ぶといわれます。
ドライミルと呼ばれる製粉所に対して、ウェットミル(湿式工場)があります。
ここは複雑なパイプや機械部品からなる怪獣みたいなもので、毎日大量のとうもろこしを飲み込み、反対側についている蛇口から、さまざまな製品、糖類、デンプン、アルコールや酸、乳化剤や安定剤を流し出す。そのほとんどが食品添加物として、シリアルやスナック菓子、調味料やドレッシング、チキンナゲットや冷凍食品、ありとあらゆるものに使われています。

この中で「ブドウ糖果糖液糖」これは1960年代に日本で開発されたとうもろこしを原料とする甘味料で、安価で甘味が強いので、砂糖に変わるものとして、清涼飲料水、調味料、菓子類、加工食品全般に大量に使われていて、血糖値が上昇しやすくなるという危険性があります。
また、最近よく耳にする「難消化性デキストリン」
これは消化されないデンプン。食べても消化されないので、胃も腸も通り抜けてしまう。つまりカロリーのない究極のダイエット食品。「栄養にはなりません」なんて宣伝したら逆効果ではないか、と考える人もいましたが、昨今のダイエットブームが追い風になりました。これでカロリーを考えずに安心して食べられる。ダイエットに救世主とも言える存在になったのです。いわば、栄養もなくただ人の中を通りすぎるだけという、一見役に立たないことで勢力をさらに拡大しようとしています。

人間の食料だけでなく、牛、豚、鶏の飼料として加工されます。ほとんどがアメリカ産牛肉一億頭分の飼料。
ここで思い出すのが、ケーキを作っていたときのこと。使用していた卵は海藻、青菜、木酢、かき殻、米ぬか、オリゴ糖、パプリカ、にんにくなど20種類以上を配合したえさを食べている鶏で、濃厚で味わいのある卵だったのですが、あるとき、飼料のベースを輸入とうもろこしに変えるということになって受け入れざるを得ませんでしたが、結果はやはりケーキの食味が変わり、業者を替えることになりました。

人間と同じように、食べ物にも個性があって、どんなに栄養のある良いものでも、一種類の食べ物だけを食べて生きる事はできません。主食副食バランスよく食べてはじめて、健康が支えられるように人間はできていると思います。
皆さんはどのように思われますか?

「とうもろこし」と聞くと、焼きとうもろこしやコーンスープを思い浮かべる方が多いと思います。しかし、今やアメリカでは、45000種類の食品のうち1/4以上の食品にとうもろこしが使われていることをご存知でしょうか。日本も例外ではありません。

コーンスターチ(トウモロコシの澱粉)コーンフラワー(とうもろこし粉)に加工され、コーン油も搾油されていますが、食品の原材料表示の中の、ブドウ糖果糖液糖、加工デンプン、デキストリン、キサンタンガム、アスコルビン酸、カラメル色素など。とうもろこしか...続きを読む

Aベストアンサー

米国在住です。

十五年ほど前、ご質問にある、米国人のトウモロコシの食べ過ぎの件について、長女が高校で習ってきまして、それ以来、彼女はトウモロコシを食べることを拒否しています。理由としては、取り立てて料理をして食べなくても、”箱入りの食べ物”には、必ずトウモロコシが使われていて、私達の体内は、トウモロコシだらけだからだということででした。

その後、私の家族の”食事セオリー”はどんどんと発展を続け、現在では、肉食をやめ、一週間に二度のオリーブオイルで調理した鮭・マスがたんぱく源となり、酪農製品も摂らず、ピーナッツバターやアーモンドバターを、全粉のパンに塗り、お茶も、ビーツや生姜の薄切りを煮だしたものを飲んでいます。

何が体にいいのかよくわからないのですが、キノアやケールやビーツなど、あまりおいしくない食材も、出すと喜ばれるので、頑張って調理しています。あとは、季節の野菜を、組み合わせを考えて、蒸したり、茹でたり、いためたりして、”味付けをしないで”、そのまま食卓に出しています。サラダには、ライムジュースを振りかけるだけです。

基本的に、出来合いのものを使わず、食料品店で、丸のままの食材を買ってきて、それを調理する、というやり方です。体には良いのかもしれませんが、手がかかるし、そして、食費も普通の倍以上はかかります。

これが、行き過ぎた健康志向、アメリカの意識高い系の食事の実態です。もはや、バランスが取れればよい、などという問題ではないところに来ています。

一方、80パーセント以上のアメリカ人は、現在でも、漂白された白いパンを食べ、チーズバーガーをほおばり、ビールにバーベキュー、タコスに山のようなチーズ、トウモロコシだらけのシリアルを毎日食べているような状況です。

私も、食事はバランスさえ取れていて、おいしければ、それが、ベストだろうと考えていましたが、私の家族を見る限り、何が何だか、判らなくなっている現状です。私事で恐縮ですが、お知らせまで。

米国在住です。

十五年ほど前、ご質問にある、米国人のトウモロコシの食べ過ぎの件について、長女が高校で習ってきまして、それ以来、彼女はトウモロコシを食べることを拒否しています。理由としては、取り立てて料理をして食べなくても、”箱入りの食べ物”には、必ずトウモロコシが使われていて、私達の体内は、トウモロコシだらけだからだということででした。

その後、私の家族の”食事セオリー”はどんどんと発展を続け、現在では、肉食をやめ、一週間に二度のオリーブオイルで調理した鮭・マスがたんぱく源と...続きを読む

Q諸問題の解決方法を見つけました。

私は一つの発見をしました。それは「社会的問題は国民みんなの為にある」と言うことです。例えば憲法改正問題は賛成である、反対であると議論されています。しかし何故賛成、反対なのか、その根拠、理由は何でしょうか?それはやはり国民みんなの為なのです。憲法改正すればみんなの為にならないから改正は反対である。また憲法改正はみんなの為になるから賛成なのです。

つまりどちら側の意見もその根拠はみんなの為なのです。消費税問題も同じです。増税しなければ国民が困るから増税賛成であり、逆に増税すれば国民が困るから増税反対なのです。これもどちらもやはり国民みんなの為が根拠、理由なのです。いじめ問題も体罰問題も不正問題などなどもすべて国民みんなの為に解決しようとしているのです。つまり社会的問題の根拠、理由は全て「国民みんなの為」なのです。

そんなことは当たり前ではないかと言われそうですが、そうではありません。このことが良く分かってない、または良く認識されていないから、いろんな問題がなかなか解決できないのだと思います。この発見はいろんな問題の解決の大きな糸口になるのではないでしょうか。

それでは一番「国民みんなの為」になることは何でしょうか。それは社会が平穏であり、秩序が保たれていることです。つまり社会の安寧秩序です。一歩家を出れば暴漢に襲われたり、作物を作ればすぐに盗まれたりすれば、これはもう社会は成り立ちません。やはり国民の為になる一番大切なもの、最高のものは「社会の安寧秩序」なのです。

また正しい、正しくないは問題があるから必要なのです。問題が何もないなら「正しい」なんて必要ありません。つまり社会的問題を解くには「正しい」が必要になります。では正しいとは何でしょうか。正しいを辞書で引けば「あるべき姿があり、それと合致している様」と書いてあります。それでは「あるべき姿」とは何でしょうか。それは正しい根拠、理由です。みんなが正しいと思っている根拠、理由に自分の考えが合致するから「自分の考えは正しい」と言えるのです。

ですから自分が正しいと言うためには正しい根拠、理由がなければならないのです。そしてあらゆる社会的問題の根拠、理由は上記で示したように「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」なのです。
ですから正しいとは、あるべき姿である「社会の安寧秩序の為」に自分の考えが合致していることなのです。つまりこれはあらゆる社会的問題を解決するためのひとつの「方程式」が出来たと言うことなのです。何故なら「社会の安寧秩序」に合致していれば正しいと言えるのですから。

私たちは「正しいとは何ですか?」と聞かれてもなかなか答えることが出来ません。私も多くの人に聞いてみましたが誰も「正しいとはこうである」と答えた人はいませんでした。しかし社会的問題に対する「正しいとは何か?」が分かったのです。それは「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」です。正しいとは何か?それは「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」に道理的、論理的に合致していることが正しいと言うことなのです。

ですから死刑問題なども人権に反するから死刑は廃止すべきであると言うのではなく、また凶悪犯は死刑にすべきであると決めつけるのではなく社会的問題を解く方程式である「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」に合致する方が正しいと考えればいいのである。これにどちらが道理的、論理的に合致しているかと議論すれば、長らく議論されてきてもなかなか結論が出なかった死刑問題もやがて解決に向かうのではないでしょうか。
いろんな社会的問題もすべて正しい根拠、理由である「国民みんなの為、社会の安寧秩序の為」に合致するように考えていけば正しい結論に辿り着けると思います。

どうでしょうか。私の見つけた問題解決の方程式は間違いありませんか?

私は一つの発見をしました。それは「社会的問題は国民みんなの為にある」と言うことです。例えば憲法改正問題は賛成である、反対であると議論されています。しかし何故賛成、反対なのか、その根拠、理由は何でしょうか?それはやはり国民みんなの為なのです。憲法改正すればみんなの為にならないから改正は反対である。また憲法改正はみんなの為になるから賛成なのです。

つまりどちら側の意見もその根拠はみんなの為なのです。消費税問題も同じです。増税しなければ国民が困るから増税賛成であり、逆に増税す...続きを読む

Aベストアンサー

#8です。

>綺麗ごととは「とてもできないようなことを言っている」という意味です。

了解しました。

>あなたはNo6 で「現段階の人類は未だ本能の占める領域が広すぎて、本能の言いなりになる部分の多い自我同士がぶつかりあっている状態」と書いていますが、悪をやるのは理性です。理性のない動物だけの世界に悪は在りません。

はい、おっしゃっていることは非常によくわかります。
おっしゃるところの『理性』は、「本能の言いなりになる部分の多い自我」とお考えいただいてよろしいかと。
本来の理性と、理性と思い込んでいるものとは別物だということなのかもしれませんね。
動物の場合も、単に性欲・食欲以外の自我的本能みたいなものもあったりするらしいです。プライドとか仲間外れとか嫉妬とか、なかなか複雑とのこと。

精神分析の岸田秀だったと思いますが、昔、人間は本能の壊れた動物である、みたいなことを言っていました。
人間が人間である以上、純粋本能にのみ従って、それこそ純粋に生きることは難しいという宿命を背負っているのかもしれません。
理性というか、超自我性をどこまで組み込んでいけるか、といったことになるのでしょうね。

>私たちは人を殺すことはいけないと感じます。このように本能は人を殺すことは悪いことであると知っているのです。
私たちは「善いな~」と感じることがあります。それは本能が快いフェロモンを出しているのです。私たちは本能的に善を感知しているのです、それが正しいの基となっているのです。私たちはすでに本能的に善を感知して生きているのです。

それを妨げているものは何か、ということになりそうですね。
たとえば自分の「善いな~」と他者の「善いな~」がバッティングする場合など。

#8です。

>綺麗ごととは「とてもできないようなことを言っている」という意味です。

了解しました。

>あなたはNo6 で「現段階の人類は未だ本能の占める領域が広すぎて、本能の言いなりになる部分の多い自我同士がぶつかりあっている状態」と書いていますが、悪をやるのは理性です。理性のない動物だけの世界に悪は在りません。

はい、おっしゃっていることは非常によくわかります。
おっしゃるところの『理性』は、「本能の言いなりになる部分の多い自我」とお考えいただいてよろしいかと。
本来の...続きを読む


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