出産前後の痔にはご注意!

満蒙は日本の生命線ってどういう意味ですか?少し簡潔にお願いします。

A 回答 (4件)

日本の歴史上、近代以前に異民族と戦争したのは3回しかありません。

白村江の戦い・蒙古来襲(元寇)・秀吉の朝鮮出兵です。これらはすべて対馬から朝鮮半島を経由して、中国大陸のクニと戦っています。白村江は唐・新羅の連合軍と戦い、元寇は中国を支配した元が朝鮮半島から攻めてきて、秀吉は逆に「明を攻める為に」朝鮮まで行ったのです。

だから「朝鮮半島に日本と敵対する勢力が来ると、日本はすごく危ない状態になる」わけです。

松岡洋右がこの言葉をいった時代は、すでに朝鮮半島は日本に併合され、日本本土を守る防波堤になっていたのですが、となると今度は「朝鮮を守るための防波堤はどこなのか」ということになります。

朝鮮を守るためには、満州や蒙古を日本の支配下に置かないと安心できない、と言う状態だったのです。
そのうえ、イギリスやフランスなどが中国を事実上支配していて、ロシアもシベリアから南下をしてきていたのが当時の状況であり、満蒙を日本が押さえておかないと、イギリス・フランス・ロシアなどがそこを占領して、いずれ朝鮮半島もねらってくるだろう、という認識が「満蒙は日本の生命線」という言葉になったのです。
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絶対に手放してはいけない領土。


当時の政府の見解ですけど。
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あそこは、朝鮮半島の裏側です。



つまり、あそこを制されたら、朝鮮半島が
制される、ということです。

それは、日本の安全保障を脅かす
ことになります。

何しろ、半島は日本とは目と鼻の距離しか
ありません。
あそこに、ロシア軍などが駐留されたのでは
たまりません。

つまり、朝鮮半島は日本の生命線でも
あるのです。
元寇は、この朝鮮半島経由で日本を侵略
しました。

日清日露戦争はまさに、朝鮮半島を巡る
争いでした。


近年ではキューバ危機がありました。

米国の隣国であるキューバに、ミサイル基地
など造られたら、米国の安全保障上大問題です。

だからケネディ大統領も、第三次大戦覚悟で
海上封鎖に出たのです。
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「満蒙は日本の生命線」とは昭和6年にのちの外相、松岡洋右が初めて唱え、世に広まったスローガンである。

満州(中国東北部)と内モンゴルは戦略的にも経済的にも、日本の存亡がかかった地域だという意味。

平たく言うと生命線とは食料や燃料等補給が必要なモノが(近くに)有る場所の事。
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Qケイ素をけい素と書いたら間違いになりますか?

ケイ素をけい素と書いたら間違いになりますか?

Aベストアンサー

正解です。
でなければ、いじわる先生といじわる生徒の戦いの結果、になるでしょう。

Q豊臣秀吉は朝鮮半島南部くらいなら支配できたのではないですか?

豊臣秀吉の朝鮮出兵ですが、朝鮮の首都(漢城)はすぐに陥落し、次に明軍との戦争になり、明・朝鮮連合軍との戦争になって最終的に撤退することになります。

でも、いくら秀吉軍が強いといっても、さすがに明を征服できる力があったようには思えません。

明との衝突を避け、目的を朝鮮半島南部の支配に限定すれば、目的が達成できた可能性が高いと思いますが、どうでしょうか。
そして、毛利や島津、徳川といった、後で逆らってきそうな大大名を朝鮮南部に配置すれば、邪魔者を追い出せますし、一挙両得のように思います。

Aベストアンサー

文禄慶長の役は征明嚮導とか仮道入明と言われたように、
朝鮮は通り道で秀吉は朝鮮を支配する意志がほぼ無いので
秀吉が朝鮮南部だけ統治するということはまずありません。
ただし、思考実験としての可能性を述べてみます。



文禄・慶長の役で、日本が明の参戦で苦戦に陥って
不利になったのは事実と言えなくはないですが、
文禄の役では碧蹄館の戦いをはじめ、第一次・二次平壌城の戦い
慶長の役では第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天の戦い等々
ほとんどの戦いで明(と朝鮮連合軍)には戦術的に勝っています。
ちなみに、文禄の役の時に碧蹄館の戦いで大損害を出した明は、
以後は朝鮮の意向を無視して講和に方針転換しています。
さらに慶長の役が終わった後、明史では

  (前略)喪師數十萬,糜餉數百萬,
  中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息
 (明史 朝鮮伝(320巻)26年11月)

  10万の兵を失い、100万の糧食を浪費したけど
  中朝(中国)と属国(朝鮮)には勝算が無かった。
  関白(秀吉)が死んだから終わってくれた。

と書かれていたくらいです。
このように、明とはそれなりの勝負はできているので、
本格的に準備をすればいい勝負はしたと思います。

余談ですが、南原城の戦いで見ても判るように
明は朝鮮南部まで軍を進めています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8E%9F%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
講和がうまくいった場合など、状況にもよりますが、
朝鮮南部だから明が来ないというわけではありません。


日本が勝てなかった理由は兵站が続かなかったから。
(慶長の役を含めるなら秀吉が死んだから)
当時、兵糧はある程度を現地調達するのが常でしたが、
朝鮮はそもそも春窮という言葉があるくらい貧しく、
耕作に適する土地が少ないので収穫は期待できません。
戦時には日本・朝鮮・明がそれぞれ徴発したから
ますます何もなくなりました。
たとえ朝鮮南部に限定して支配しても、
長大な国境線を長期にわたって維持するのは
(明側が意図しなくても)焦土戦術となって
かなりの負担で益は無いと思われます。


ちなみに、今の韓国の歴史認識に惑わされて
朝鮮人は果敢に抵抗した事を憂慮する方が多いようです。
確かに住民の反乱はそれなりにてこずりましたが、
日本が漢城に到着した時、国王は逃走し、町は既に焼かれていて
王子二名を捕虜にしたのは朝鮮人の働きなのは有名な話。
碧蹄館の戦いに先立つ第三次平壌城の戦いで
「日本側の戦死者を調べるとほとんど朝鮮人でした」
というオチが朝鮮王朝実録に書いてあるくらい。
  是日天兵當陣斬獲一千二百八十五級、生擒二名、
  竝擄浙江人張大膳、奪馬二千九百八十五匹、
  救出本國被擄男婦一千二百二十五名。
  (中略)
  李如松 平壤之役、所斬首級、半皆朝鮮之民、
  焚溺萬餘、盡皆朝鮮之民
政策さえ誤らなければ統治できなくはないと思います。

文禄慶長の役は征明嚮導とか仮道入明と言われたように、
朝鮮は通り道で秀吉は朝鮮を支配する意志がほぼ無いので
秀吉が朝鮮南部だけ統治するということはまずありません。
ただし、思考実験としての可能性を述べてみます。



文禄・慶長の役で、日本が明の参戦で苦戦に陥って
不利になったのは事実と言えなくはないですが、
文禄の役では碧蹄館の戦いをはじめ、第一次・二次平壌城の戦い
慶長の役では第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天の戦い等々
ほとんどの戦いで明(と朝鮮連合軍)には戦術的に勝っていま...続きを読む

Qなぜ戦後の日本人はGHQを疑わなかったのか?

日本は第二次大戦の敗戦後、価値観が180度変わり、旧軍を悪とみなす風潮になったとされています。マスコミも負けた途端言うことがガラッ変わりました。でもそれを疑う人っていなかったのでしょうか?
 日本が負けてから政治もメディアも教育も、GHQの統制下にあることは国民も知っていたはずです。だからメディアがいくら「日本の軍部はこんなに悪かった!アメリカの民主主義は素晴らしい!」みたいなことを言っても、「今のメディアはアメリカに都合の良いことしか言えないよう統制されている。これは占領政策の一環で、国民を洗脳するための陰謀だ。」と疑ってかかるのが普通だと思います。なぜ当時の人は疑わずに180度違う価値観を受け入れてしまったのでしょうか。

Aベストアンサー

でもそれを疑う人っていなかったのでしょうか?
 ↑
勿論おりましたよ。
でも、そうした意見はマスコミが取り上げず
表にでることはありませんでした。
ネットがあれば出たでしょうが。




日本が負けてから政治もメディアも教育も、GHQの統制下にあることは
国民も知っていたはずです。
だからメディアがいくら「日本の軍部はこんなに悪かった!アメリカの民主主義は
素晴らしい!」みたいなことを言っても、
「今のメディアはアメリカに都合の良いことしか言えないよう統制されている。
これは占領政策の一環で、国民を洗脳するための陰謀だ。」
と疑ってかかるのが普通だと思います。
なぜ当時の人は疑わずに180度違う価値観を受け入れてしまったのでしょうか。
 ↑
それを受け入れたのが、日本の支配層であり、
指導層だったからです。
多くの国民は、日本は負けたから悪者にされた、なんて
ことは百も承知でした。
そういう意見は総て封殺されたのです。

では、どうして指導層、支配層は受け入れた
のか。

表面だけ従うように見せておき、米国の
影響が無くなったら元に戻そう、と考えて
いたのです。

ところが、GHQが、洗脳工作に、当時盛ん
だった社会主義者を使ったので、彼らが
マスコミなどの要職に就き、
見せかけが本当になってしまいました。


■1945年7月に作成された対日心理作戦報告によれば、占領軍に友好的な
「自由主義者」として、野坂参三、鹿地亘らの共産主義者を挙げて活用した。

マッカーサーの政治顧問付補佐官であったエマーソンの米上院での証言によれば、
野坂らの提唱で設立された日本人民解放連盟の中国での
日本兵捕虜洗脳教育を対日心理戦に利用できると確信し、
WGIPのモデルとなった。

エマーソンは「日本国内の戦争反対分子を励まし、内部崩壊を早める」
よう提言し実行されたが、同証言で「共産主義の目的についての理解がなかった」
と弁明している。

日米合作の太平洋戦争史観とコミンテルン史観との奇妙な癒着が戦後の
「反日」歴史教育の土壌となり、戦後の「反日日本人」のルーツ、温床となった。

でもそれを疑う人っていなかったのでしょうか?
 ↑
勿論おりましたよ。
でも、そうした意見はマスコミが取り上げず
表にでることはありませんでした。
ネットがあれば出たでしょうが。




日本が負けてから政治もメディアも教育も、GHQの統制下にあることは
国民も知っていたはずです。
だからメディアがいくら「日本の軍部はこんなに悪かった!アメリカの民主主義は
素晴らしい!」みたいなことを言っても、
「今のメディアはアメリカに都合の良いことしか言えないよう統制されている。
これは占領政策の一環で...続きを読む

Q天皇制は将来的になくなるのですか?

未だに歴史系の定番で平積みもみかける網野義彦による「日本の歴史をよみなおす」を久しぶりに読み返したら序盤でタイトルのような事が書いてありました。

この本自体は何年も売れている「歴史好きな人の入り口」の一つみたいな存在で、お世話になった人も多いかと思います。
その分色んな方の眼にもとまってると思いますが、この文章が批判されているところは今のところ私にはありません。
これも不思議です。

そこで質問ですが、タイトルについていかがでしょうか?

Aベストアンサー

この文章が批判されているところは今のところ私にはありません。
これも不思議です。
 ↑
保守的な人からは批判されていますが。




そこで質問ですが、タイトルについていかがでしょうか?
  ↑
氏はマルクス史観に基づいて、天皇制がなくなる
と主張している節があります。
そして、マルクス史観は過去のモノでしょう。

マルクス史観ではなく、他の理由でなくなる
可能性はあると思います。

例えば皇族男子がいなくなるとかですね。
共産党が与党になったとか、
中国辺りに征服されるとか。

天皇というのは必要があって維持されてきた
制度です。
簡単にいえば、数千万、億もいる人民を統治する
ツールとして有用だから、現在も残っているわけです。

従って、その必要性、有用性が無くなれば、天皇制も
なくなるかもしれません。

Q東京大空襲(3/10 2号作戦)とB-29 パス・ファインダー機(投下誘導機)について

この作戦は、超低高度・夜間・焼夷弾攻撃という新戦術が本格的に導入された初めての空襲だったとされています。
この作戦に参加している、B-29 パス・ファインダー機の詳細(配置と機数、目的など)何処かに資料がないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

合衆国公文書館か空軍歴史調査局あたりでしょう。
https://www.archives.gov/research/military/air-force
https://www.afhra.af.mil/

Q新国立競技場の悪い噂が流れてきましたが真偽のほどを教えてください。 ハイテンションボルトがふそくして

新国立競技場の悪い噂が流れてきましたが真偽のほどを教えてください。

ハイテンションボルトがふそくしていて韓国製の粗悪品のハイテンションボルトを使用しているという話。

予定の寿命より早く劣化していくと内部の人間がヒソヒソ話をしている。

本当ですか?

Aベストアンサー

間違いなく嘘です

その手の話し今多く出ています

万が一、予定より早く劣化したとして
何も問題はありません定期点検で
やはり予定より早く劣化した
交換しよう

交換したら、事故は起きませんし

例え、事故が起きたとしても
メーカーの保証範囲ですから責任は製品を製造、輸入していた業者にいきますし

まず、そんな酷い事を国規模の建造物にしませんね


前々から材料は確認されて
8割確保されています
なので、材料がこないなどの事態は起きません

例え、そこに韓国製の粗悪品が有ったとしても
締め付けた時点で破損すれば交換されますし
定期点検で処理されます

Q元号は昔天皇が決めていた、一代で五回元号を変えたり、天皇自身の名前を4回変えたりしていた。 それで、

元号は昔天皇が決めていた、一代で五回元号を変えたり、天皇自身の名前を4回変えたりしていた。
それで、今上天皇皇后陛下が、相談して、新天皇に引き継げば良いのでは?

Aベストアンサー

その草案を出すのは、側近たち。天皇はあくまでも最後の決定権のみ。

今の天皇陛下にも、せめて、気に入らない案だったら拒否権発動できる権限与えたいです。

Q第一次世界大戦後、ロシア革命や米騒動を経て、日本の社会運動は高まり、日本共産党を結成したりと、社会主

第一次世界大戦後、ロシア革命や米騒動を経て、日本の社会運動は高まり、日本共産党を結成したりと、社会主義が復活しますが、なぜ社会主義や共産主義は広まったのですか?また、どのような階層の人々に広まったのですか? 詳しい方教えていただけると嬉しいです。

Aベストアンサー

第一次大戦は長期化し、主な戦場となったヨーロッパの各国は
短期間で物資を使い果たしたため、
勝敗はそれぞれの国の生産力に左右されることになります。

国の全ての資源や労働力を戦争につぎこむ総力戦体制がしかれ、
女性も労働に駆り出されるようになりました。

このため、国民から民主主義的要求が高まり、
世界では多くの社会的改革が実現することになります。
つまり、戦争に協力するんだから、政治に対する
発言権も強くなった、ということです。

イギリスでは女性の参政権獲得がなされ、ロシアではロシア革命に
よるソヴィエト連邦誕生などがありました。

これらは日本にも大きな影響をおよぼし、
様々な団体が各地で結成され、社会運動を展開します。

このように、政党政治の他に、普通選挙を求める運動も現れてきます。




なぜ社会主義や共産主義は広まったのですか?
 ↑
上記した政治背景のもと、日露戦争に負けた
恨みから、ソ連は日本の社会主義化に注力した
とする説があります。
マルクスの資本論が最も売れたのは、ロシアでしたが、
第二位は日本でした。
ロシアから日本へ活動資金が大量に流れたと
言われています。
暁民会という共産党組織に、ロシアから資金が流れた
ことが確かめられています。

後年発生した「ゾルゲ事件」では、朝日記者だった尾崎秀実(ほつみ)が
首謀者の1人として逮捕されています。
尾崎は近衛文麿政権のブレーンとして、政界や言論界に影響力を持っていたが、
実際は共産主義者で、ソ連コミンテルンの指示で諜報活動や、
日本軍の北進(ソ連侵攻)を阻止する工作活動を行っていた。
尾崎は「対中国強硬論」「対米開戦論」を声高に主張していた。
ソ連を日本から守る一方、日米両国を戦わせて双方を自滅させ、
戦後の世界をソ連が支配するために狂奔していた。



また、どのような階層の人々に広まったのですか?
 ↑
労働者と学生です。

労働者は、俺たちが貧しいのは資本主義だからだ
と考え、
学生は学生で頭でっかちで、社会主義思想が素晴らしい
モノに思えたのでしょう。

第一次大戦は長期化し、主な戦場となったヨーロッパの各国は
短期間で物資を使い果たしたため、
勝敗はそれぞれの国の生産力に左右されることになります。

国の全ての資源や労働力を戦争につぎこむ総力戦体制がしかれ、
女性も労働に駆り出されるようになりました。

このため、国民から民主主義的要求が高まり、
世界では多くの社会的改革が実現することになります。
つまり、戦争に協力するんだから、政治に対する
発言権も強くなった、ということです。

イギリスでは女性の参政権獲得がなされ、ロシアではロ...続きを読む

Q徳川家康や秀忠は明を征服しようと思わなかったのですか?

魏忠賢などの悪臣の専横によって乱れきった明朝の末期は徳川家康・秀忠が将軍だった頃であり、鎖国も行っていませんでした。
結果的に明は女真族という辺境の弱小民族によって征服されてしまうわけですが、徳川幕府がその気になれば明を征服するのは容易だったはずなのに、家康や秀忠は明を征服しようと思わなかったのでしょうか?

秀吉の朝鮮出兵の頃は、明もまだ弱体化が進んでいない頃でしたが、その頃とは比較にならないほど弱体化が進んでいたので。

Aベストアンサー

そんなこと、これっぽっちも考えていないと思います。
理由は簡単です。秀吉の朝鮮侵略の悲惨な結果を知っているからです。

日本の戦国時代を代表する武将の中で秀吉だけは異質ですが、それは彼が商人、現代風に言えば経済人の感覚を持っていたからです。当時の日本の経済発展のためには領土の拡大が欠かせなかったと思います。
まあ、しかし、他国への侵略という点においては、身の程を知らないというか、世界を知らないというかバカですね。先進的な欧州の植民地化の手法と比較すると幼稚極まりないと思います。
そういえば、そんなバカが過去にもいました。それは、日出る国の聖徳太子です。この時に現地で中国側と交渉した人物は秀吉の時と全く同じことをしています。現地で先進的な大国の実状を知って、日本側のトップの顔をつぶさないようにして、二枚舌で収拾するという方法です。

徳川家康は、豊臣秀吉の朝鮮侵略の失敗を教訓として300年続く日本の平和な時代の仕組みを作ります。限られた領土で平和を維持するために、大名の取り潰しや、参勤交代などの仕組みをつくりますが、政治的なシステム以外に庶民が作り上げたシステムもあります。それは、徳川300年の間に人口が全く増加していない事実から導かれます。

家康と秀忠は秀吉と同時代に生きていたので、二度とアホなことはしませんでしたが、その教訓を忘れてしまった平和ボケの人々は、明治に入って中国侵略を開始しますが、秀吉の朝鮮侵略から得られた軍事的な反省をなにひとつしていなかったため、最後は悲惨な結果になっています。
日清日露戦争は短期間の戦争であり、当時の日本は、欧米の先進的な兵器に関する各種技術を導入していたため、時代遅れの兵器相手に勝てるのは当然ですが、先進的な欧米諸国ではすでに確立していた兵站システムが全く構築されていなかったことが、日本の決定的な弱点と言うか特性なのだろうと思います。

そんなこと、これっぽっちも考えていないと思います。
理由は簡単です。秀吉の朝鮮侵略の悲惨な結果を知っているからです。

日本の戦国時代を代表する武将の中で秀吉だけは異質ですが、それは彼が商人、現代風に言えば経済人の感覚を持っていたからです。当時の日本の経済発展のためには領土の拡大が欠かせなかったと思います。
まあ、しかし、他国への侵略という点においては、身の程を知らないというか、世界を知らないというかバカですね。先進的な欧州の植民地化の手法と比較すると幼稚極まりないと思います...続きを読む

Qここにも批判中傷する回答者が

ここにも批判中傷する回答者がいました。

こちらの方がガッカリしましたよ。

知恵袋の質問を調べて批判する人が現れました。

ここも知恵袋と同レベルなんでしょうか?

Aベストアンサー

どこもいますよ。そんなの反応しないで!!..


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