プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

昨日このカテで、tanzou2様から、次のような正義論の説明があり、興味を惹かされました。
<正しいとは何か?を探究する>のが<正義論といいます。>
<欧米では盛んですが、日本では少ないですね。>
<正とは何か。欧米の哲学者は数百年議論していますが、未だに定説を見ません。>
だそうです。
日本(日本史上)で、どういう際に正義(正義論)が戦わせられたのでしょうか?
(振り返ってみて、私は、この数学の問題の回答は正しい、位にしか使ったことがありません、矮小なことですね)

A 回答 (5件)

所謂、現在の「正義論」は、どちらかと言うと、絶対的な「正しさ」や「善」と言うもののを考えると言うより、(公)正=フェア(fair)な正しさとは、どうあるべきかを論ずる事を意味しています。

(これがわからないと、ロールズとかの「正義論」の意味がわからなくなります)
もちろん、絶対的な「正しさ」が、イコールになれば、申し分ないわけですが、それでは、いろいろな社会や集団の意見や、個別的ルールに対して、フェアとはなりません。(フェア(fair)とは、一方に偏らない、ほどほどのレベルと言う事です)
これは、政治哲学としての議論で、公法をどのレベルで実現できるかの議論です。
ギリシャ哲学までさかのぼれば、プラトンの「国家」も一種の「正義論」とは、言えるでしょう。
欧米においては、このような政治哲学は、長く議論されてきたのは確かでしょう。
日本の場合は、江戸時代までは、儒学者、国学者、僧侶などが、このような政治哲学に該当するような分野を担ってきたと言えるでしょう。
幕末は、欧米の国家を見本とした、国家論を打ち出す思想家が、明治維新などの原動力になりました。
明治以降は、社会思想家などが、その役目を担ってきました。
現代の日本では、政治哲学と言う立場の学者もいますが、多くは、政治哲学から政治学と言う科学へ分離した形になっています。
政治学と言う科学では、実務的な公正さをどのように実現するかが、目的ですから、哲学的な探求とは、一線をかくしていると言えるでしょう。
なお、欧米の政治哲学としての、「正義論」も現代では、科学的になっているので、あまり哲学的なイメージはありません。
なお、現代の「正義論」では、正義(justice)と善(good)は、対立概念として、議論されます。
平等がどの程度実現出来れば「正義」なのか、格差の公正さとはどのようなものか、「自由」は、どの程度までが、公正さとして認められるのかなどが、主な議題と言えるでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<現在の「正義論」は、どちらかと言うと、絶対的な「正しさ」や「善」と言うもののを考えると言うより、(公)正=フェア(fair)な正しさとは、どうあるべきかを論ずる事を意味しています。>
<平等がどの程度実現出来れば「正義」なのか、格差の公正さとはどのようなものか、「自由」は、どの程度までが、公正さとして認められるのかなどが、主な議題と言えるでしょう。>なのですね。
<絶対的な「正しさ」や「善」>は確立が困難なのでしょうね。<公正>なら多くの人が納得するのでしょうね。
日本の政治哲学を担ってきたのは、<江戸時代までは、儒学者、国学者、僧侶など>
<幕末>は、<国家論を打ち出す思想家>
<明治以降は、社会思想家など>だったのですね。

お礼日時:2019/04/08 16:50

No.3です。

お礼ありがとうございます
誤解してる様なので訂正しておきます

「絶対に正しい」の前にも後にも「天皇」
の文字はつきません

簡単に私個人の解釈として「尊皇攘夷」を書きますが
「錦の旗の元に外国勢力と戦う」です
No.3で言う天皇とはneisyonn。つまりは国体(の象徴)です
幕末は自分が正しいと思う連中が錦の旗の争奪戦をした
って感じの回答です

「絶対に正しい事がある。それは天皇陛下のおわす日本である」
この言葉に違和感を感じないなら貴方のnationalismは
ちょっとおかしいです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
申訳けありませんが、理解力が乏しいのか、せっかくのご解答が理解できません。(頭のなかでは、考えがばらばらになり、統一できません)

お礼日時:2019/04/06 19:48

興味深い質問ですね。

哲学的な回答では無いですが持論を回答します

正義論とは(神の名において)正しいとは何か?を論じているモノだと思います
云わば神の御業を現世でどう解釈するか?を時代の変化毎に議論してる

日本においては所謂一神教の神はいませんでした
そんな中で正しさの戦いと言われたら「幕末、明治維新」を提示します
ただ、明治維新を正義の戦いか?と、問われたら答えに詰まりますね

「絶対に正しい事がある。それは神の御意志である」
「絶対に正しい事がある。それは天皇陛下のおわす日本である」
この、上記2つが内在してる違和感が質問上の疑問だと思います
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<正しさの戦いと言われたら「幕末、明治維新」を提示します>
<「絶対に正しい事がある。それは天皇陛下のおわす日本である」>によるのですね。
西洋の<それは神の御意志である>とは異なっていますね。

(日本・西洋共に、<絶対に正しい事>のまえに天皇・神が付きますね。何もつかない<絶対に正しい事>は難しいまたは無いのでしょうね)

お礼日時:2019/04/05 19:18

正しいとは宇宙の真理の事でしょう。


宇宙の真理を網羅する能力があれば正しさは分かります。

人間が正しいとし常識としている事でも、
宇宙の真理としては間違っていると言う事はあります。

目指すべきは人間の正しいではなく宇宙の正しいです。
宇宙の正しいは最も損をしない生き方になります。

道徳の正しさは必ずしも正しさにはなりません。それが宇宙の正しさです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
<目指すべきは人間の正しいではなく宇宙の正しいです。>ですね。
地球上の人間にとっての正しさでなく、宇宙人にとっても、それ以外の生物にとっての正しさが求められるのですね。

お礼日時:2019/04/04 19:19

自分の信念に従って動けているのかどうかの違いではと思います。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/04/04 19:11

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!