No.2
- 回答日時:
私はこの大好きな歌を連想しました。
吉永小百合主演の映画「愛と死を見つめて」の中で、ミコとマコが二人でこの歌を歌う
場面があります。(古い映画ですが)
悲しみ、恐怖、絶望はもちろんあるでしょうが、淡々と歌うんですね。それは、単に悲
しんでいるだけでもない、感傷的でもない…
運命の水の上に漂いながら、「私は私」という意地を捨てない…
そんな心を感じます。
素敵な歌ですね。ラ行のビブラートがきらりと光っています。
「人の世の塵にまみれて なお生きる 水をみつめて 嘆くまい 明日は明るく」というところ、塵にまみれているけれども、決して私は汚れまいという気概を感じます。
「われ」の強さを感じられたのですね。
No.3
- 回答日時:
詩ごころや文才はありませんが、其れでも何となくの感じは心に現れるので、言葉探しはよくします。
この短歌は好きですね。だからこの歌に接するたびに言葉探しをしてしまいます。
自分は今、どんな気持ちになっているのだろうかと。
実際、目にしなくても情景が浮かびます。
もしかしたら、その情景を歌という形で捉える事が出来るから、心が“反応”するのかも知れません。
私がこの白鳥に見るのは、やはり命、生命というものです。対するは空と海という自然、ですね。
どう云ったらいいのでしょう。
ありきたりの言葉ですが、いのちというものへの哀れみの心、とでも云っておきましょうか。
No.5
- 回答日時:
均質化を拒むかのような
毅然とした個性の
自然な表出。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
もし、この白鳥を、若山牧水自身とみた場合。
哀しい、というのは、愛しいということでしょう。他の方もおっしゃっているように、どうしても、世間に迎合できず、うまく生きられず、丸くなれずに、不器用に、孤高の生き方を貫いている自分。海の上を飛んでいるので、宿る木もなく、つがいになれる仲間もいない、羽を休めることもできない。
そんな自分の姿、ひいては、そうして生きてゆくしかない命を、愛しいと吐露しているようです。
われの本質を白鳥に託して、「愛しい」と彼は歌ったのですね。
深い真実が内包されているような気がします。真実は常に言葉を伴っていると思います。
日本は今、桜が満開ですよ。
No.9
- 回答日時:
あなたが先回の質問で取り上げた趣旨――パウロの生き方――にくらべると
総じて 弱い印象を受けます。
★★ 【Q:足ることを知る】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ピリピ人への手紙に、こうあります。
私はどんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知ってい
ます。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、
あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ なぜなら うたの趣旨は 次のようなのではないでしょうか?
▲(1) 空や海の色に染まずに飛んでいる白鳥よ わたしにはそれは哀
しいと映るが おまえはそうではないのか?
☆ というのも 哀しからずや の《や》という疑問詞は――《か?》と
違って―― ふつう問う側の思いを すでに相手のこたえの中にも予期し
ていると言われるからです。
また 《ただよふ》と言っているのは 《環境や背景の色に染まない》こ
とが かろうじてそうなのだと――うたい手の心象風景としては――みと
めていることになるようだからです。
つまり・要するに 牧水は次のように いくらか情けない状態でうたって
いないであろうか?
▲(2) 自分を取り巻く周囲の人びとの迫って来るようなその色合いに
わたしはかろうじて染められずにいる。これは かなしいことだ。いつま
で そうしていられるだろうか。
☆ つまり・ありていに言えば:
▲(3) 私はどんな境遇にあっても満ち足りるということを まだまな
んではいない。ああ。
☆ あるいは 《自分よ まなべ!》と言って 勇気を奮い起こそうとし
ているでしょうか? どうでしょう。
私はパウロと牧水の心象は似ていると思います。
パウロは熱心なユダヤ教徒で、キリスト教徒を迫害していました。健康的に恵まれず容貌も冴えず、人間的欠陥もあったといいます。しかし、回心し宣教者へと大転換します。回心してからのパウロは信仰の豊かさにより人間的欠陥が解決され、もともと備わっていた真理を求める内面の力が増幅されて、福音を伝える伝道旅行に生涯を費やしました。
牧水は「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」と詠みました。
「山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう」カール・ブッセの詩がモチーフにあるといいます。遠い山の向こうにはきっと
寂しさが終わりになるという幸いな国があるに違いない。そうして、彼も旅をつづけました。
パウロにも牧水にも、いいえ、人間には誰しもそのような渇望があると思います。
空の青い色にも、海の深い色にも染まらない、自身の心の矜持というか。そういうものが。
No.10
- 回答日時:
哲学のカテですから 執拗にそのしかるべき問い求めをつづけます。
こちらの言おうとしていることは 次のようです。
1.
★(№9お礼欄) 空の青い色にも、海の深い色にも染まらない、自身の心
の矜持
☆ これは 移ろいゆかざるを得ない存在である人間たるわれが それでも
その人間たることの誇りとそして知性や良心のもとに おのが信念を表現し
たものです。
2.
★ 寂しさが終わりになるという幸いな国があるに違いない。・・・人間に
は誰しもそのような渇望があると思います。
☆ これは――ほとんど同じことですが―― 有限なる存在の人間たるわた
しが すでにそのあり方のままで無限で永遠なる存在であることをのぞむと
言っています。
3.
★ 牧水は
▲ 「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」
★ と詠みました。
☆ これは:
▲ 寂しさの終てなむ国
☆ というふうに 《-む》という推量法(推量の判断)で表わしているか
らには なおまだ《渇望・のぞみ・問い求め》の途中であると言っています。
▼ 「山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう」
☆ と同じく 《寂しさから自由なあり方》には なおほど遠いと言ってい
ます。
4. パウロがピリピ書で言っていることは ヘーゲルの次の命題と同じよ
うな内容であると考えます。つまり すでにこのいま 無限が有限なるわれ
の中にあたかもやどるのだと。(2)と微妙な違いがあると思います。
△ (ヘーゲル:無限と有限) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
無限なものと 有限なものとの一体性・・・この矛盾・・・は
どんな自然的なものも自分のなかにこれを持ってはいない
ないしはこれを 我慢できないであろうが
この矛盾を持ちこたえることができるのが
人格(☆ ――もしくは《わが固有の時間》――)の高さである。
(『法の哲学』§35追加(講義録)藤野渉・赤澤正敏訳 1967)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
5. 《かなしみ と よろこび》あるいは《さびしさ と さいわい》と
いった心のウゴキの起きるこの人生にあって しかもそれらから離れるので
はなく(つまり それらが《終てなむ》状態をのぞむ問題としてではなく)
それらをそのまま受け留めつつ しかもわが本体たる存在は あたかもその
社会という縁起共生のうちに起こり得るもろもろの心性を超えて 満ち足り
ているのだと。
6.
★★(趣旨説明欄) 安心、満足、信頼、自由。または高潔、畏敬、憧憬。
それとも悲しみ、恐怖、絶望。
☆ これらそれぞれの中に 相手や情況に応じつつ そのまま自由にわれ・
われは――いま――生きているのだと。
7. 過去は記憶として・未来は期待としてこのいまわが現在におさめつ
つ その永遠の現在に われ・われは いま生きている。よき仕合わせも
あしき仕合わせをも そのまま受け留めつつ超えて生きるいまのしあわせ。
執拗に、怖いですね。お手柔らかにお願いします。
牧水もまた、真理を求めて漂泊していたのでしょう。既存のものは彼の関心を引かず、空の青、海の青という視覚的にも美しい嘱目にも目を留めることなく漂泊をつづけた。日常には自然に対する細やかな観察もあるが、あくまで彼の探求の姿勢をこの歌は表していると思います。
作歌をすることで彼の思索は深められていきますが、酒をこよなく愛し、それがもとで早死にします。真理を訪ね求めながら到達することができなかった。
ヘーゲルの無限と有限については、ネットで少し調べました。付け焼き刃ですが。
有限な存在者が信仰の対象との関係を通じて自らを意識すること、キリスト教では、この「自由」と「自己意識」の獲得が顕著だとされます。
ヘーゲルからすれば「真理を知る」ということは、真理に拘束されたり従属するのを意味せず、むしろ真理によって自由を獲得することを意味します。パウロも真理は人を自由にすると語っています。
ユダヤ教では、人間が守り行うべき事柄は神が与えた律法という形をとります。何が善かは神によって定められ遵守しなければならない。彼は熱心なユダヤ教徒でしたから、これは体験的に知っていました。
『大論理学』の「本質論」における本質、並びに仮象についての議論があります。
有限な存在者が「存在する」といっても、真の意味で存在するのではなく、あくまでも「止揚されたもの」として存在するにすぎない。つまり有限な存在者は「仮象」としてのみ成り立つにすぎないとされます。
この「仮象」に特有な否定的性格を「仮象の存在は、存在が止揚されていることのうちにのみあり、存在が取るにたりないものとされていることのうちにのみある」この場合、仮象がまさしく「仮象」として存在するのは、本質が真の意味での存在として示されることによる。本質には「自らを顕現する」というはたらきが帰属します。
パウロは神の働きかけにより、一時的に目を見えなくされました。
これは聖霊なる神が有限な存在者である人間に働き、具体的に人間に引き起こされた人間側の反応です。つまり、神に触れられた瞬間に、パウロは無限の存在である神の前にまったくひれ伏さざるを得なくなりました。これは一時的ではありますが、無限と有限の一体だと思います。(補足欄につづきます)
No.11
- 回答日時:
№10の補足欄が 《どう思う?》となっていますので ひと言のべます。
文句ありません。そして お粗末でした。
あと:
★(補足欄) パウロは真理を得て火だるまのごとく前進した。
☆ のですね。まなびました。
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この顕現により、彼の満ち足りるという感覚においても変革があったのかもしれません。
つまり「寂しさの終てなむ国」を見いだしたのだと言えます。だから、地上において体感的に味わう、富む飽く飢えるという感覚にも達観が加えられたのかもしれません。
ともあれ、牧水は幸いを探し求めながら結果的に到達できなかった。パウロは真理を得て火だるまのごとく前進した。両者の間には相当の開きがありますが、共通点は真理を求める鋭敏な感受性だと私は思いました。