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東京メトロ東西線はJR中央 総武線の混雑緩和のための回避線として作られたのですか?

A 回答 (4件)

通勤や通学等で40年以上にわたって東西線を利用してきました。



> JR中央 総武線の混雑緩和のための回避線
他の方も書かれておりますように、そういう目的もあった。
だけど、京葉線(武蔵野線)が東京駅まで乗り入れるまでは、東西線の混雑率も半端じゃなかったね。


> そもそも昔は、東側では浦安以外の途中駅に停車しなかったみたいです。
> (乗る客がいないから)

平日の朝の通勤時に限定すると
①昭和60年頃までは、西船橋-東陽町(以降、各駅停車)【区分:A快速】だけです。
②やがて、平日の日中や土日に運行されていた西船橋-浦安-東陽町(以降、各駅停車)【区分:B快速】が通勤時にも登場。A快速も残っていたために、アナウンスなどを良く聞かないと大変なことになっていた。
③そして、西船橋-浦安(以降、各駅停車)【通勤快速】の登場と共にA快速が無くなり、現在の形に。
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東京メトロ東西線の当初の建設の目的は確かにそういったものでありました。

当時は都営新宿線もJR京葉線もない時代ですから、千葉県~都心の通勤通学需要は京成線と総武線だけで担っていたのです。混雑が酷くて、救済が急務だったんですね。
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結果的にそのようになっていますが、


昔々の経緯を見るとそういう目的ではなかったようです。
ただ、その当時の計画は実現しませんでしたけどね。

実現できなかった計画を
高度成長期で飽和状態だった国鉄線のバイバスとして
焼き直す形で5号線が計画施行。
しかも成田空港アクセスとしても助成金を突っ込んでる。
なので、
時間短縮バイパスとして効果的な接続ポイントである西船橋まで至った。
そこはもう東京都じゃないんですけどね。

千葉の畑中を貫く高架線路は地下鉄とは思えないもので
快速は時速100キロでぶっ飛ばしていきます。
総武線よりも効果的であるとしないと客を引き込めなかったので。
そもそも昔は、東側では浦安以外の途中駅に停車しなかったみたいです。
(乗る客がいないから)

その利便性の良さ(都心直行のうえほとんどの他地下鉄線と乗り換えできる)から
どんどん利用者が増え、沿線はベッドタウンとして発展してしまい
今は満員電車の代名詞になっているようですが。
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こんにちは。


首都圏の私鉄で電車運転士をしております。

そうですね。
だいたいそういう意図で建設されています。

建設当時の国鉄の“首都圏五方面通勤方面”と、大正6年内務省の答申とが合わさって計画されました。
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