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その答えは絶対善にあります。善とは道徳的に正しい事、またそのような行為をいいます。善には事柄と行為の二通りあるのです。
ゆえに絶対善は絶対的に正しい“事”と絶対的に正しい“行為“の二通りになります。私の善の定義では絶対的に正しい”事“(絶対善)は種族(群れ、民族)の保存であり、その為に最も優れた”行為“(絶対善)は「私より公を優先すること」なのです。
「何のために生まれ、何のために生きるのか?」が「種族保存の為」であり「どのように生きるべきか?」が「私より公を優先すること」なのです。

まず、絶対的に正しい“事”は種族(群れ、民族)保存です。私たちにとって仲間の群れを存続させていくことが最も大切なことなのです。ですから私たちの絶対的な目的は種族(群れ、民族)保存と言えます。これは他の動物たちも同じです。サケは卵を産めば子供たちの栄養になる為、すぐに死にます。カマキリのオスも交尾を終えたら子孫の為メスの餌となります。理不尽だ、残虐だと言っても、それこそが彼らの種族にとって最も種族を保存できる方法なのです。私たち人間の歴史を見ても、群れを存続するために自分たちの命を懸けて戦ってきた歴史と言っても過言ではありません。これらから考えてもすべての生物は種族(群れ、民族)保存こそが絶対的に正しい事だと分かるでしょう。

では何故、種族保存をしなければならないのか?そんなことは我々人間には分かりません。しかし種族保存こそが大自然の意志、法でありますから、やはり絶対善なのです。私たち生物は何のために生まれたのか?それは種族を保存するためなのです。人間だけが何か崇高な目的の為に生まれたと考えるのは傲慢であり間違いです。すべての生物は種族保存するために生まれ、生きているのです。これが私たちは「何のために生まれ、何のために生きるのか?」の答えなのです。

そして次は「どのように生きるべきか?」についてです。私たちはどのように生きれば最も種族(群れ、民族)保存ができるのでしょうか。その答えが絶対的に正しい“行為”、つまり絶対善である「私より公を優先すること」なのです。「私より公を優先すること」と言っても抽象的で分かりにくいでしょうから、すこし分かり易く言えば「私欲を抑えて公の為とみんなで考え行うこと」なのです。もっと簡単に言えば「愛や思いやり」ということです。どのように生きるべきか?の答えは愛や思いやりをもって生きていくというのがその答えなのです。

つまりこれらを簡単に言えば、仲間の群れ社会が最もうまくいく(絶対善)ためには、「私より公を優先すること(絶対善)」つまり愛や思いやりをもって生きていけばいいのです。愛や思いやりを持てるということは人格が高いと言うことです。世界の多くの人たちが人格者になればなるほど社会が成熟し争いも少なくなり種族保存ができるような社会になるのです。そしてその理想社会を築く為に私たちは生まれ、その理想社会を築く為に私たちは生きらなければならないのです。ゆえに私たちは理想の社会を築くためには、すこしでも人格を高めるように努めなければなりません。

私たちは何のために生まれ、何のために生きるのか?それはすべて種族保存の為です。またどのように生きていけばいいのか? それは私より公を優先する行為、つまり愛や思いやりをもって生きていけばいいのです。あらゆる社会的問題に対してみんなが「私欲を抑え公の為」とみんなで考えれば、正しい答えに辿り着ける確率が最も高くなるのです。そのように考えさえすれば、この社会はうまく回っていくのです。本当に平和で正しい社会が創れるのです。人に関する全ての問題の答えは絶対善の中にあるのです。

このように考えましたが、皆さんどう思われますか?

質問者からの補足コメント

  • 基本的に人間も他の生物も種族保存することが最も大切です。しかし我々に人間は現代においては民族、国民が滅びることはありませんから、次は、よりよい社会を目指さなければならないのです。

    私たちはたった一度の人生をできれば有意義で幸せな人生を送りたいとそう考えています。それが人権です。そうであればみんながそのような人生を送れるような社会を作らねばなりません。そのためにはみんなが他人を尊重し愛や思いやりのある人柄を持たなければ理想の社会は作れないのです。それが絶対善である「私より公を優先すること、つまり愛や思いやり」だと言っているのです。私より公と考えられるのは人格が高くなければなりません、公(みんな)の為と考えられるのは責任感を持たねばなりません。そういうことを言っているわけです。

      補足日時:2019/05/07 21:42

A 回答 (39件中1~10件)

人生いろいろ。



です。
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この回答へのお礼

島倉千代子ですか?w

お礼日時:2019/05/06 06:16

>私たちは何のために生まれ、どのように生きるべきなのか



生殖(化学反応)の結果生まれ、生殖するため生きるのです。それが複雑に見えるだけです。
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『法』を持って、『法』を広めるために人間はこの世に生を受けた。



これは、『法華経(妙法蓮華経)』に書いてある事。
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この回答へのお礼

その法とは誰の法ですか? 私は大自然の法を言っているのですよ。

お礼日時:2019/05/06 06:17

まれに見る阿呆〔な考え〕だと思います。

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この回答へのお礼

あなたがそういうなら逆に大正解だと考えます。

お礼日時:2019/05/06 06:18

勝手にそう思っとけば?



と皆さんおっしゃってらっしゃいますよw
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確かにね

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この回答へのお礼

賛同ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/06 06:19

人間の数が増えたために、他の動植物の生息地域を奪ったり汚染したり


、その動植物を殺して食べたり皮を加工したりしたために、絶滅した種族が
たくさんあります。
他の動植物を絶滅させてまでも人類の種族保存をすることが絶対善ですか。

ある病原菌が猛威をふるって人類を絶滅させる勢いで繁殖していけば、それは絶対善ですか?
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この回答へのお礼

>ある病原菌が猛威をふるって人類を絶滅させる勢いで繁殖していけば、それは絶対善ですか?<

病原菌にとっては絶対善でしょうね。

お礼日時:2019/05/06 06:20

私達は存在する為に生まれ、大概が存続し未来の存在を実現し、永遠を目指して進化して行く為に



プラスに成る様に生きるといいと思います。
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この回答へのお礼

進化とは何ですか? プラスになるとは何ですか?

お礼日時:2019/05/06 06:22

利己的遺伝子、という言葉を聞いた事ありませんか?



遺伝子には「自分さえよければいい」という設計がなされている。

生き物=自身の複製をつくる事ができる有機体、ですから
子孫なりを生成する事が生き物としての目的であり義務であり存在意義です。
よって、
そのためには手段を選ばない。

人間が集団で生活し互いを助け合う行為を
質問者さんは勘違いしているようですが、
「相互援助できる社会生活のほうが生存できる確率が高い」
ゆえの行動で、それ以外には何もありません。

絶対的な君主で歯向かう相手がその時に存在しなくても、
自身のコピーたる子孫の事を憂慮すれば、
自身の子孫を助けてくれる組織なり人員を育成する必要があり
そのために、
自分の時代には必要ない制度などを構築するんです。
その一例として、江戸幕府。

君主の周囲を固める家臣にしても、体制がしっかりしていて
自分のお家を未来永劫存続させたいから、協力するんです。

こんなものに、善悪など存在しません。
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この回答へのお礼

まあ、独裁はよくありませんが、大将が思いやりをもっていればみんなが幸せになれるのではないでしょうか?

お礼日時:2019/05/06 06:23

ずいぶんと説得力が付いてきたと思います。

私などは単純だから素直になるほどと思ってしまいます。
でも、まだ反論をもらってしまうようなので、なにか欠陥があるのでしょう。

やっぱり、私としては“絶対善”と云う言葉に引っ掛かります。
この文章から“絶対善”を消したらずっと良くなるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。それでは大自然の意志、法は何といえばいいでしょうか。大自然の意志、宇宙の意志、いわゆる神の意志は絶対善ではないのですか? では何といえばいいでしょうか?

お礼日時:2019/05/06 06:33
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