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仏教関係の方かその方面に詳しい方、回答お願いします。

去年の9月に愛する妻を亡くしました❗
最初の頃の突き上げてくる感情の波は多少少なくなったんですが未だにおりある毎に涙が出てきます。

それで質問なんですが今年の8月に新盆を迎えよく月1周期になります。

現在、仕事を持っているのでお盆の4日間をずーっと休むのは無理かと思います。
てきれば迎え盆と送り盆くらいは、と思っているんですが。

せっかく我が家に初めて彼方から帰って来て家に誰も居ないんじゃ仏様が可哀想かなと思います。

檀家寺の和尚は「生きてる人が優先で、それは仕方ないですよ。仏様もわかってくれます。」と、ありきたりな答え。

お盆中は実家(妻の生家)には皆が集まるので私がいない間はそっちにいってるかなぁ・・とかも思ってるんですが。

いま、独り暮らしになってしまったので仏様を思うと不憫になります。

どう、考えたらいいんでしょう?
賢明なお答えをお願いします。

A 回答 (5件)

特に詳しいというわけではないですが、田舎の大家族で育ったので、盆などの仏事は多く経験しました。



仏様は融通無碍です。
お盆の間、家に戻ってくるとはいいますが、仏壇の中に留まっているのではなく、親戚友人知人の家を自由に行き来するのだと思います。

もちろん、日頃は「あの世」で楽しく交流しているのですが、お盆の間は「この世」に戻りお互いに家を訪ね合ったり、「ここでよく遊んだね」などと懐かしい場所を一緒に訪れたりすると思います。

質問者様が仕事から帰ってくる頃には、仏様も家に戻り、迎えてくださるでしょう。
その時にはもしかすると、先代、先々代の仏様も「ちょっとお邪魔しているよ」と一緒かもしれません。

実家では、お盆には床の間に段をしつらえ、仏壇からたくさんの位牌を出して並べ、食事などを供えていました。
他の家でも同じようにしていて、お互いにお参りに訪問しあいました。
そういうお盆を経験してきたので、仏様もお互いに訪問しあってお盆を楽しむのだと思います。
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この回答へのお礼

皆様、さっそくありがとうございました。

これ、と言った形式は無いんですね。
寺の和尚と良く話し合ってできる範囲でやりたいと思います。
皆様にベストアンサーしたかったのですがtobirisuさんのお答えが一番、自分の身に沿ったお答えだったのでこれをベストアンサーとさせていただきました。

ありがとうございました。

お礼日時:2019/05/15 17:13

仏壇にお供えと電気のお灯明でずっと明るくしておけばいいと思いますよ。


故人もご自身の死後遺族が元気で暮らしてくれていた方が安心されますからね。
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そこまで思っているなら、万障繰り合わせて仏様に合わせた方がよいでしょう。



和尚さんの答えは「万障繰り合わせられない」ときの答えです。
できないことはできないのだから、できることで乗り切る工夫をせよ、ということです。

繰り合わせられるのかられないのか、それはあなたが知っていることです。


なぜ和尚さんの答えになるかというと、そもそもの仏教、盂蘭盆会が死者の救済を想定していないからです。
仏教は「いかによく生きるか」の教えです。

ブッダは弟子が死後の世界について問うたとき「そのような答えのないものを考えるより、現生よりよく生きることを考えよ」と答えました。

盂蘭盆会のそもそもは、弟子の目連があの世で母が苦しんでいるさまを見、ブッダに相談して「母を供養せよ」との答えを得たことです。
しかし、現生のものがあの世の世界をのぞくことなどできません。
目連は、母に対するこだわりか罪悪感かたまたま夢に出てきたことか、そういうことにとらわれたのだと思われます。
そしてブッダは、その強い思い込みに対しては、「本当はこうだ」というよりも「こうやって救いなさい」といった方が効果的だろうと考えたのだろうと思われます。
ブッダは対機説法の人で、その人その人の機根に合わせて話をしました(方便)。
その方便を目連に対して行ったということです。


というわけで、ありていに言えば法事は生ける者のものです。
そして仏教には本来「必ずこうしなさい」というものはありません。
その点が神を戴くキリスト、イスラムと違うところです。
「自灯明」といい、自主性が問われるのです。
なぜなら、救済とは自分自身の心の問題だからです。

あなたの気の済むようにやるのがいちばんです。
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慶弔の行事には、形式より、心や情の方が大切です。



ですから、慣習や仕来りを重んじるのも良いですが、 檀家寺の和尚が言うように、出来る範囲で行えば良いでしょう。

貴方のように、亡き妻を偲んで涙するぐらいなら、何も出来なくても、奥さんも分かっているでしょうし、形式ばかり整えるよりも、余程良いですね。

経験から言える事は。。。
弔事の行事は、亡くなった人の為に行うのではなく、残された人に、諦めさせて心の平安を得させる為に行うのではないかと思います。
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お盆の間だけ 仏様が返ってくる なんて事はお釈迦様は説いておられません


また、お墓やお佛壇の中におられる訳でもありません。
お盆の時以外でも、日常にあなたがご奥様を思う時、奥様ははそこに帰ってこられます。
ですから、お盆であろうと、無かろうと 普段通りの生活をされればいいだけの事なのです。
「千の風になって」と言う曲は、ある意味この教えの通りなのです

ただ、我々は 何かに対して向き合わなければ 仏様を思う事がなかなか出来ないので
お佛壇や、お墓をそのきっかけにして その場所に行く事で 仏様を思う事が出来るのです
お盆に限らず、ご自分のご都合のいい時に お佛壇や、お墓の前で 仏様を思い手を併せる
事が一番大事なのです。

と、ここまで書きましたが ご宗旨・宗派が違えば 当然のごとく教えも違います。
あなた様の ご宗旨・宗派とは違うかも知れませんが 参考までに
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