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人間は時として、その賢さゆえに愚かなことをしてしまうことがあります。
それはなぜなのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    ご回答をありがとうございます。

    たとえば、次のような問題、
    生殖医療における不妊治療のひとつである、非配偶者間の人工授精、体外受精、代理母の問題などは、生まれてくる子供の心の中に、自分がどこから来たのか、という根源的な問い、いわば人間としてのアイデンティティーの問題を生み出さないでしょうか。

    今日の科学技術偏重の世界において、人間の賢さは、その賢さゆえに自らを根源的なものから引き離すことにならないか、と思うんです。
    たとえ、どんなに賢い人間であっても、人間である限りその知識には限界があります。
    (続きます)

      補足日時:2019/05/17 12:45
  • どう思う?

    カントの「純粋理性批判」によれば
    私たち人間があるものを認識するというとき、物自体[Ding an sich=それ自体における物]としての対象についての認識はもつことができず、感性的直観の対象となるもの、つまり、「現象」についてのみ、私たちは認識することができます。

    言い換えると、この「現象」の背後には、その原因として想定される不可知の物自体、本質が存在します。私たちの知性では、この物自体は認識できず、あくまで物自体にまつわる「現象」しか認識することができない。

    私たちが賢いと思い込んでいることも、実はまったくそうではない、とも言えると思います。

      補足日時:2019/05/17 12:56
  • ここで少し、違った視点から、人間の賢さと愚かさを考えたいと思います。

    それは食品加工の歴史から見たものです。小麦粉、米、砂糖に見られる白さの追求です。産業の視点から見れば、精白小麦粉、精白米、精製された白砂糖はあらゆる利益と合致したものですが、唯一例外となったのが、人間の健康です。

    人間は飽くなき欲望と技術進歩のロジックに駆り立てられて、ある種の食物を過度に加工するようになり、ひいては健康と幸福を害するようになりました。

    このことについても、ご意見をいただけますか。

    「賢さゆえに愚かなことをしてしまう人間とは」の補足画像3
      補足日時:2019/05/19 08:06

A 回答 (36件中11~20件)

三島由紀夫の自刃。



これは愚かな行為、だったのでしょうか?

私は今から、ほんの少し学んで見ようかと思います。
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共感して頂けて嬉しいです。



新スレを出しましたので、時間があれば遊びに来てください。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11125688.html
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この回答へのお礼

はい!ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/18 07:40

キャラシーさん、おはようございます。



ご無沙汰をしています。

賢いから、知恵がある。

知恵があるから、色々な事に目を向ける。

それが時として、環境破壊などの愚かな方向へと行ってしまう様に思います。

不便なものは場合に依っては不便なままの方が幸せな事もあります。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

え?もしかして、ダイキリさん?お元気ですか。
その節は・・突然消えてしまってスミマセン。
ご回答をありがとうございます。
賢いから、それが環境破壊などの
愚かな方向へ行ってしまうことがある
不便なものは不便なままの方が幸せな事も・・。
私もそういうことを考えています。

お礼日時:2019/05/18 07:13

これでいいのだろうかとか


悩んでもいますよ。
こんな感じで進んでいて大丈夫なのでしょうか。
これは文章がきちんとしてますね。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
これでいいのだと思います。
こんな感じで進めば大丈夫ですよ。
ゆっくり落ち着いて。

お礼日時:2019/05/18 07:27

してしまうのですからエステなのでしょうね。


ワン阿pンとか一発でw軽そうですね。
地上波だとかnhkだとか。
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キャラウェイシードさん、こんばんは



そうですよね、きっと
賢い人が皆、万人に共通するような賢い生き方をするために
生きているわけではないからなのかなって思います。

人それぞれ、何かの目的のために学んだり、知恵を活かしたり、
また、その賢さをどう活かすかはその人次第なのかなって思います

あとは、他者がその人の賢さといわれるものをどう捉えるのかにもよるのかなとも思いました
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね。誰もが同じ方向を
見ているわけではないから
見え方が違うのは当然ですね。
学びました。

お礼日時:2019/05/17 22:58

自殺考えてる人の場合ですが


余裕というか
思い直して付けた結果が
ベストアンサーじゃないでしょうかね。」←他人の意見も頭に入らない状況なのです・・

他人に話しかける事も 話しかけられる事も 嫌になるくらいの・・

本当に自殺したい時って そんな感じなのです・・
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この回答へのお礼

>他人に話しかける事も 話しかけられる事も 嫌になるくらいの・・
ほんとうに自殺したい時って、そんな感じなのです・・
気になりますね。その言葉。
共感するんですか。生きづらさ・・というのは、今を生きる上で誰しもにまとわりつくものです。

かりん誌5月号からの引用です。

「生きづらさ」に最も早く気づいたのが、ちょうど百年前を生きた啄木だ。

あやまちて茶碗をこはし物をこはす気持ちのよさを今朝も思へる
すっぽりと蒲団をかぶり足をちぢめ舌を出してみぬ誰にともなしに

引用したのは晩年の作品だが、この『悲しき玩具』を書いている時期、啄木は最も「私」の小ささを自覚していた感がある。重い病を抱え死期を間近にしながら、しかしその苦境が少しも自らを重くも大きくもしない現実に啄木は気づいていた。
はけ口のない心が求める茶碗を割る心地よさ、また、蒲団の中で戯れとして出される「舌」。これらはあまりにも凡庸な「私」の些事であって悲劇の主人公のそれではない。むしろその凡庸さ、小ささが啄木と読者の「私」との境界のなさとなっている。啄木はどこにでもおり、その悲劇は誰のものでもある。その無数の小さな「私」の中から特別な「私」を取り戻す術はないのだ。そのことに啄木は誰よりも早く気づいていた。

生きる事をどれほど厳しく実感していようとも、「生きづらさ」の主人公とはなれない。そんな悲しみを痛感させる歌集があった。
青空の下でミネラルウォーターの箱をひたすら積み上げている    萩原慎一郎『滑走路』

萩原は三十二歳で自ら命を絶った。追いつめられた社会状況、精神状況の中で必死に生きようとしながら、生き延びられなかった一人の青年だ。萩原の透明感のある口語は、その苦境を何でもないことのようにさらりと明るく語る。苦境を生きる「私」の内面というような特別さがない。そのように慎ましくあるほかないことが、彼の「生きづらさ」であったかもしれない。そして、そのような「私」がどれほど多く今を生きていることだろう。だからこそ、この歌集は多くの共感を呼んだ。
                        「生きづらさ」と「共感」についてより抜粋 川野里子

今の時代、賢い、愚かだとひとくくりにできないものがあります。人間も、人間をはぐくむ社会という器もはかり知れない力によって歪められています。

お礼日時:2019/05/17 21:04

そうでしょうか・・・。


私は結構、有意義だと思っています。が
愚かなのかもしれませんね」←Q&Aサイトって 質問者が肯定回答しか 受け付けない場合 否定回答が どんなに正解でも 受け付けない部分がある

そして そのまま締め切れば 間違ったままで 終わる・・

こんな くだらない遊びサイトで 真剣に質問してる人が居るのが面白い・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

もっと言えば 自殺を考えてる人なんて 最終的に ベストアンサーまで付けてる・・

人生の危機に ベストアンサー付ける余裕があるのは 面白い
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この回答へのお礼

そういえば、いろいろな質問があって
真面目に質問してるのかって
思うときもあります。
自殺考えてる人の場合ですが
余裕というか
思い直して付けた結果が
ベストアンサーじゃないでしょうかね。

お礼日時:2019/05/17 17:55

賢い人間


愚かな人間
はいない。

賢い(と思う)人間
愚か(と思う)人間
がいるだけ。

自分で賢いと思っても、そもそも人間自体が不完全な存在なのですから、その認識も不完全であらざるを得ないでしょう。
賢いか愚かかではなく、善いか悪いかで良いのでは。

「物自体」に関連してですが、ダークマターの正体が解明できれば、今までの価値観が根底からくつがえる契機となる可能性は大いにあるような気はしますね。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
>賢い人間
 愚かな人間は
 いない
人間の認識では決められない。
そうですね。確かに
人間は不完全です。
ダークマターの解明が待たれます。

お礼日時:2019/05/18 07:25

愚かなことをするい人間を愚か者といい、


賢く生きる人間を賢者というのでござる。
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この回答へのお礼

つまり、愚かな人は愚か。
賢い人は賢い。
愚か者と賢者。
世の中には両方の人間が
いるということですね。

お礼日時:2019/05/18 07:19

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