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ニートです。

両親が死んで、年金がもらえなくなったら、障害者認定してもらって、障害者年金を貰い、足りない分を生活保護を受給して補う予定です。

同じ感じの人はいますか?

A 回答 (32件中1~10件)

貴方の両親は貴方の金づるですか?


あのさ
もっとやる事あるから生きてきたからにはさ
卑怯だよ君
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読んでいると、どこまで法律を調べたのかが心配なので・・・簡単なところだけ書きますよ。



> 両親が死んで、年金がもらえなくなったら
年金をもらっている親が死亡した場合、遺族である子供には遺族給付がなされますが・・・あっ!そうか、あなたは成人しているから対象外なんだね。

因みに、労災事故で死んだ場合にも遺族に年金給付がなされます。
労災事故で死亡した労働者から見た「配偶者」「子(18歳未満)」「父母(55歳以上)」「孫(18歳未満)」「祖父母(55歳以上)」「兄弟姉妹(55歳以上)」が受給権者(左から高順位者)なので、成人した子供は受給権が発生しません。
しかし、受給権発生時点で(あなたとは何ら因果関係のない理由で)全員が死亡しているなどの場合には、1000日分がもらえるかもね。


> 障害者認定してもらって、
障害があるなら、今すぐに認定手続きをしましょう。
障害がないのであれば、将来、認定されるほどの障害状態になるとは限りませんので、「獲らぬ狸の皮算用」「寝言は布団の中だけにしろ」とならないようにね。

あと、厚生年金に加入していない(20歳以上60歳未満の)方は、御両親が厚生年金に加入しているかどうかなんて関係なく「国民年金」での判断となり、2級以上でないとだめです。
更に、障碍者手帳に書かれる等級と、国民年金の等級は連動しておりませんので、気を付けてくださいね。
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ウンコして


下さい
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バズってやがる



みんな羨ましいから
叩いてんだなw
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No.5の方とNo.26の方の勧めが参考になりそうです。



まずは今の不安を取り除いて、そのあとで

「ステップアップする気力はあるか?」

と考えることです。

どんな状況であっても、少しでもマシ(=楽=快楽)を得ることが大事ですよ。

例えば風邪を治すにしても、苦痛を感じながら治すより、

苦痛を和らげて治す方が良いことなんです。


世の中を支えるような立派な大人は、

皆がそう(無駄な苦痛を得る事はいけない)考えています。

(そう考えないといけないと、先輩から教えられる)

苦痛を我慢している人は、必ず八つ当たりをするからです。

八つ当たりをされた人は、最初は我慢をしますが(それ自体が苦痛なので)、

いずれは八つ当たりをします。

これが循環してしまい、あっという間に広がります。

最初の苦痛の量は一つ(一人が感じた苦痛)でも、

関わる全ての人が苦痛を感じる事になり、

人数倍の苦痛に増大します。

しかも交友関係、もしくは指揮系統、ビジネスの関係など、基幹となる重要

な関係ほど早く悪化し、けっして元に戻りません。

(つまり、家族、恋人、友人など関係が強ければ強いほど危ないと言う事)

これらは数学的な証明問題でも立証されています。

学校のクラスで問題が置きやすいのは当たり前なんです。

八つ当たりをしない子供と言うのは滅多にいませんから。


仕方の無い物ならば仕方ない。

しかし、手に入る手段で苦痛が和らぐならば、利用しないといけません。

それ(苦痛を和らげる道具)を提供している人は、そのために頑張っており、

それによって活きているんです。


普通の内科、心療内科も含めて医師の判断を仰ぎ、自分の健康状態を把握しましょう。

行った後は気分も変わりますし、他の事に時間を割く余裕が出てきます。

一つのノウハウですよ。



他の回答へのお礼を読みました。

日本の労働環境が悪いことに関しては、そこで働く人達すべてが悩んでいます。

「だから働きたくない」

と言うのは私もそうですし、誰もがそうだと言う事です。

仕事を命じる人も実は酷い状態です。

それは誰かが悪いのではなく、さきほどの八つ当たりの循環があるからです。

日本にはバブル崩壊という事件がありました。

それから政治、経営の中枢を八つ当たりの循環が駆け巡っており、

もう何周もしているという事です。

「どうしてこうなったんだ?」

誰もが分からないまま、苦痛を感じ、我慢をしています。

引き篭もりやニートを続ける方は、そこから避難をしたということです。

つまり、負傷をしたということです。

だから、良い話には出来ませんが、叱りつけることも可笑しいでしょう?


逆に負傷した事を美化するのも変ですし、

それが幸せだという論法を展開しても可笑しいです。

障害(=負傷)に対する社会的な補償があるのは当たり前です。

それを批判するのも、単なる八つ当たりでしょう。


傷ついて倒れる人を心配できるのは、傷ついていない人だけです。

傷ついて倒れる人を批判できるのは、傷ついて我慢をしている人だけでしょう。

どちらも健全でないんです。

早く傷を治すべきです。

そうすれば、どちらの人も、傷ついて倒れる人を心配する側に戻れます。


ステップアップと冒頭で述べました。

ニートや引き篭もりの方は負傷をしているだけです。

苦痛を和らげる。八つ当たりをやめる。

自分の体の治療に専念する(精神の部分は体や脳の治療となる)。

次は苦痛を感じないように根本を治す。

最終的なステップアップは、同じような人を心配して助ける事です。

これも無料の奉仕では、満足できず、我慢に相当してしまうでしょう?

対価を頂くようになれれば、もっと心も晴れると思います。


色んなところで、色んな批判(芸能界、政治しかり)がありますが、

「あ、これ、もしかして八つ当たり? この人も負傷中なんだ。

 ちょっとちょっと、あちこち多すぎない?」

と視点を変えて見直すと、酷い状態だとわかるはずです。

一人でも多く、そこから脱して、楽に成って欲しいと思います。



働く事が苦痛に感じる時代に成ったのは、効率化のために分業を進めてしまい、

助けられた人の感謝やお礼が皆に届かなくなったからです。

お客と接する最終提供者のみが有名になり、花を持っていってしまう。

このあり方が仕事(=助け合う)の意味を変質させ、

我慢比べみたいな印象に変えてしまったんでしょう。

「金は与えても、花は与えない(社会貢献の実感がない)。そうなっているよなあ」

と改めて思います。


この感謝やお礼は、道徳の五常でいう「仁義礼智信」の「礼」ですよね。

愛や思いやりをとくものは「仁」。

ルールや善悪をとくものは「義」です。

分業を進め効率化を行い、愛や思いやりを美化し、ルールや制度ばかりを整備した。

これは偏っていますよね。「礼」を感じるシーンが減ります。

ニートや引き篭もりについて、

善悪で論じたり、思いやりで論じても解決できないわけです。

同じ一人の人間として対等であるとし、そこに「礼」を持って心を整えれば、

けっして弱者でもなく、悪者でもなく、被害者でもなく、加害者でもない。

「負傷者」

と言う答えが出るはずです。

負傷者に対して皆さんあまりにも失礼ではありませんか?

また、看病をされている状態にしては、周囲に対して失礼すぎませんか?


人と言うのは、面白いもので、愛には愛を、義には義を返します。

自分の尊厳を守りたいならば、「礼」を意識して、これを相手にぶつけるべきです。


いじめ問題が扱いづらいのは、善悪で裁こうとするからですよね。

具体的な暴力や犯罪を立証する必要が出てきます。

また、

ハラスメントやヘイトスピーチみたいなもので善悪を論じようと頑張っても難しい。

愛や思いやりで諭しても仕方ありません。

それらとは全く違う要素。

つまり、「失礼すぎる」と言うカテゴリになります。

集団で、個人に対して失礼を行うという行為がいじめに相当します。


私たち全ての人間は、自ら輝ける力を持っています。

だからこそ、「失礼」に対しては深く傷つきます。

「お金やとか病気は仕方ないし、能力不足、事故も最後は我慢する。仕方ないし。

 だけど、それを理由に下に見たり、人間扱いをしない人は許せない。

 もうすこし、なんていうかな?

 思いやり? いや違うな 哀れみ? いやこれはいやだ。

「辛い状況に我慢していることを、凄いっていってもらいたい?」

「いや、それはなんだか自分でも恥ずかしい。

 なんていうか上手く表現できないけど・・・」

「礼を持って接して欲しいって事だよね?」

「ああそれ!

 見ず知らずの人、いや知っている中であっても、

 同じ人間に対して、余りにも失礼だと思う。」


では「礼」について、質問者さんの質問を例にして、少し考えて見ましょう。

「親が死んで」と言う表現は親御さんに対して失礼に当たりますよね。

ですので、

「両親も長くないと思いますので」

と表現を変える。

ニートと言う言葉は、同じ境遇の人に対して失礼に成ります。

自分に対しても失礼でしょう。

ですので、ここは礼に変えます。

「傷ついて動けなくなった私をこれまで養ってくれた両親(または片親、親戚、その他)

 そういった方のお世話になれなくなったら、お国の世話になるしかない状況です。」

国の仕組みに対しても礼をもって表現を改め、

「これも皆様のお陰で成立している制度であり、

 ここでお礼を述べたいと思っています。」

その上で、自分の悩みや苦痛を正直に言えば良いわけです。

「それでも傷ついた自分。そうなった経緯を思い出すと苦しくて、

 世の中を恨む自分がまだいます。

 これらは生きている内に変わるものなのでしょうか?

 今は不安で仕方ありません。」

慰めや教えを請う場合は、相手の人生に礼を尽くしましょう。

「私などより広く経験をされた方々から、助言をいただければ、

 いまの私にとっては本当に幸せです。宜しくお願いいたします。」

と丁寧にお願いをする。

「どうして、恵まれた人に、そこまでへりくだるの?

 いい気にさせるだけで、悔しくてたまらない。」

と思うかもしれません。

しかし、やってみると自分が生まれ変わるのが分かるはずです。

どんな人だって生身の自分で外を歩くのは恐いんです。

「拒絶」と言う遮断ではなく、「礼」と言う外装を得て外界に接しましょう。


心と体を癒す。そのためには何でも利用する。

負傷したのですから。


しかし、自分が負傷した原因は、相手に礼が無かったことであると弁え、

自分は礼を大事にし、礼によって武装をして、礼を持って社会と接すると決める。

これは言葉使いや頼み方から始められます。

今からで全然遅くありません。

また、これの効果を伝える事は出来るはずです。

それが同じ境遇の人を助ける事に繋がるはずです。

失礼の応酬から一歩身を引き、

完全に逃げるのではなく、礼をまとう事で自分を守りましょう。


以上、ご参考になれば。
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国が決めた制度ですから


利用できるのならそれでいいです。
ただ貴方は彼女作ったり家庭を作ったり遊び行ったり旅行したり美味しい物食べたり
人間だから欲がありますよね?
全ての欲をあきらめて少ない金額で一生楽しみもないまま生きるのですか?
それを貴方が承知してるのならいいですけど寂しくないですか?
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すこしづつ、今よりマシにしていけば、だいじょうぶですよ。


一発逆転ホームランという、自分が望むすべてはてにはいりませんが、それは大体の人がおなじです。
妥協して、心に折り合いをつけて、本当はこうありたいという自分の欲望とむきあいつつ、心の底からはよころべない自分でみんなそれでも小さなたのしみや幸せをみつけて、時々迷子になりながらみんな生きてます。

人生の半分はうまくいかないことばかりです。でも人生ってそんなものです。

旅行感覚で、寮のアルバイト(期間工)などを体験してみてはいかがですか
辛かったら1日でばっくれてしまえばいいです。
どんなものか体験しにいく、人生にすこし刺激を加えてみましょう。
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いいんじゃね?適当に生きるのが一番!

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働かなくてもいい方法ありますよ。



家賃も固定資産税も払わなくていい路上か川べりにダンボールの家を建てて住む。
食べ物はコンビニやファミレスの期限切れのお弁当もタダで貰えちゃう。
お金が欲しければ空き缶拾いをすればいい。

甘ちゃんニートなりの老後を過ごしましょう。
これでご両親も安心ですね。
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俺は発達障害もってて親もクソで高校辞めた後ずっと週6祝日出勤で働いてたわ


気力もなかったけど情けねぇな
でも人生いつからでも遅くないですよ
応援してます頑張ってください
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