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下記の質問(「前問」と呼びます)の続きです。
【【〜てはある・いる】の質問です。……】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11164237.html

 かなりの難問に思え、考え込んでいたら締め切られてしまいました。
「前問」の質問の一部を再掲します。
===========引用開始
【は】には、強調の意味も、ありますよね。そこで、

【やってはある】⇨ 準備の完了(強調)

【可愛くはある・ない】⇨ 形容詞の肯定形・否定形強調?←こんなのありますか??説明するとしたら、どの様に?

【やってはいる・いない】⇨ 述語の肯定形・否定形強調?←こんなのありますか?説明するとしたら、どの様に? 
===========引用終了 

【やってはある】は「やってある」にハが加わったものでしょう。【やってはいる・いない】と重なるので、これはスルーします。

【可愛くはある・ない】のハの働きはなんなのでしょう。
【やってはいる・いない】のハの働きはなんなのでしょう。

「可愛くはない」「やってはいない」は部分否定と考えてもよいと思います。その場合「やってはいる」は文法的に見てどういうことになるのでしょう。
「可愛くはある」は、おそらくほとんど使われない表現だと思いますが……。

 ちなみに、「て」を「確認の助動詞」としている辞書類をご存じのかたがいらっしゃいましたら、教えてください。

質問者からの補足コメント

  • 申し訳ない。No.6のお礼欄に、No.5へのお礼を投稿してしまいました。
     改めまして。

    >完全に「やる」と言うためには「やり遂げる/し遂げる」
     もしそうなら、完全に「食べる」と言うためには「食べ終える」としなければならないのでしょうか。

    >部分を否定するには一定の絶対的な範囲というか総体としての大きさが必要
     何か壮大な話になってきましたね。
     そんなややこしいことを考えなければいけませんか。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/06/16 21:14
  • どう思う?

    「前問」にコメントするために書き始めたものです。
     やや錯綜気味?
    【これならわかる!? 助詞の「ハ」の使い方  教えてgoo〈3〉】
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12480618898.html

      補足日時:2019/06/16 22:13
  • 某所で教えてもらいました。〈譲歩〉用法でよいのでは、と。『集英社国語辞典』第2版には下記のようにあるそうです。
    ===========引用開始
    ⑤部分的な肯定の構文を作る。ア(「…はするが」「…はあるが」「…てはいるが」「…ではあるが」「…てはみたが」などの形で、逆接的に下に続き)その限り一応肯定しながら、実は背反する性質にあることを述べる。「生きて—ゆくが、つらかろう」「くにへ—帰るけれど、ほんのしばらくだ」イ以下略 
    ===========引用終了
     なぜ「部分的な肯定」に限定するのかは不明です。
     当然「部分的な否定」もあるでしょう。
     そうなると、たしかに〈譲歩〉が適切かも。

      補足日時:2019/06/19 21:27

A 回答 (34件中1~10件)

>なぜ「部分的な肯定」に限定するのかは不明です


じゅばこの隅ばかり見ているからでは、「ある」肯定。「ない」否定。
「は」はかかり助詞の性格上、必然的?に限定の意味を含みます、そこで、この場合「は」=限(部分的)、と理解すれば続くのは「ある」の肯定でしょう、。
>当然「部分的な否定」もあるでしょう。
当然別の表現すればありますよ。
…はないが→「は」の理解は上に同じ、続くのは「ない」否定です。
>当然「部分的な否定」もあるでしょう。
 そうなると、たしかに〈譲歩〉が適切かも
・・・はあるが、に部分否定の意味を感じる?(あるはず?)、日本語の感性に疑問を感じます、上に示した様に部分否定したいのなら別の表現があります。「ある」を「ない」に変更するだけです。
この表現を〈譲歩〉と決めることになんの価値がある、譲歩と説明されて理解・納得できるのはたぶん質問者だけでは?。
「ある」「ない」この言葉だけにまで突き詰めて考えるとき。
存在を肯定するのか、否定するのか、肯定の時は「ある」、否定の時は「ない」と、なり、動詞としての意味にこだわりすぎるとかえって理解できなくなるように思います。
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>>「やっている」なら完了か進行中か不明ですが、「やってある」は完了していますよね。



「やる」は「する」の卑語で、「いる」は進行・継続を表す動詞、「ある」は完了・継続を表す動詞です。

確認の助動詞「て」で動作を確認し、その特殊性を副助詞「は」で表し、さらにその進行・継続/完了・継続を表す表現です。

「は」による比較・対照の特殊性の認識の表現により、結果的にその動作を強調することになっています。■
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某所にて教えてもらったのですね。


この場合においては《譲歩 部分的な肯定・否定》と考えて良いでしょう。大変、勉強になりました。ありがとうございます。
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この回答へのお礼

《譲歩 部分的な肯定・否定》でいいと思います。
 まあ、その「部分」を限定するのですから【限定】ともとれます。
 ここまであがっているように【強調】でもいい気がします。
【譲歩】というのは、当方の考える4つの分類

1)主題   2)対比   3)限度・強調   4)その他

 にないもんで。 これ以上増やしたくないもんで。
【その他】にしてもいいのですが、それほど特殊なものではない気がします。
 このあたりは、どこに属すか微妙な例もあります。

 ところで、非常に申し上げにくいのですが、 Kevinjavさんのほかの質問でも、モヤモヤしているものがあります。それはまた改めて。

お礼日時:2019/06/20 21:46

>「やっている」なら完了か進行中か不明ですが、「やってある」は完了していますよね。


 これに「は」がついたのでは。
「は」が付いただけ、というわけ?。
「は」で月と鼈の差がでる、これが日本語です。
やって、だけでは意味不明、動詞の活用に倣えば、やって・ない、に連なり未然形の形です、未然形→未だ然らず、ですね。
「は」は係助詞で主題の提示と説明されます、未だ然らず、の正体不明が主題?。
やって、をどう理解するか、(やってみたが失敗した、やってはいるが遅遅として進まない、やってみようと思っている・・・・その他)ということ、未然形なら、いろいろの状況があり得ます。
こと、準体代名詞?、前の内容を名詞化、名詞ととらえるにしても内容は何らかの状態、状況ですね、その状態・状況の有無を言っているということになります。
もちろん私の個人的な解釈です、同調する必要もありません、強制もしません、もって他山の石とするのはご自由です。
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>もしそうなら、完全に「食べる」と言うためには「食べ終える」としなければならないのでしょうか。


食べ終える、という表現に限りません、食べてしまう・・とか、その他。
ただし、会話ではそこまで表現しない場合はいくらでもあり得ます、いわゆる阿吽の呼吸です、私自身は他のことでもよく再確認することが多いのは自分でも感じています。
文章にし、後世まで残したいと思うなら、当然です。
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>これらは個別の文での意味で、語の意義に結びついてはいますが当然それぞれに意味は異なります。



これを並びを置き替えて、
これらは個別の文での意味で、当然それぞれに意味は異なりますが、結局語の意義に結びついています。

というふうに強調する場所を変えることも可能かと思います。ここまで来ると言語観の違いということになります。人間を見るのに背中から見るか腹側から見るかという議論ですので、アスナロウさんのお立場は尊重する、ということで当方は幕を引きたいと思います。
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>>強調、対比、限度、取り出して主題として提示、など色々なことばが並んでいますが、それぞれは関連しています。

全く別のことを指しているわけではありません。

これらは個別の文での意味で、語の意義に結びついてはいますが当然それぞれに意味は異なります。

言語表現は、規範である語の意義を媒介とした個別の話者の認識の表現です。この語の意義と文での意味を混同するため、混乱してしまいます。

助詞「が」「は」自体の意義は、先に回答した通り、個別性、特殊性、普遍性の認識の表現で、この意義から個別の文での意味が導かれます。■
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強調、対比、限度、取り出して主題として提示、など色々なことばが並んでいますが、それぞれは関連しています。

全く別のことを指しているわけではありません。
これは対比で、あれは限度だと、使われる場面ごとに議論し始めると、まるでドングリの形をこれは丸っぽい、こっちは角張ってる、あれは頭は丸いがお尻は角張っている、などと言うように果ての無い議論になります。ドングリは誰が見てもドングリとして認める最低限の共通項があり、それをどういうことばで表すか、それがことばの場合「辞書」の定義のはずです。

でも辞書を見ると、用例として上のような強調、対比、限度、提示、などという言葉が並べてあり、アレかコレかの話しに突き戻されてしまうことになります。しかし、これは飽くまで用例の話であって、ドングリで言うなら、丸いのも四角いのもありますよ参考にして下さい、というだけの話です。

英語の辞書などでは、最初にコアイメージとして、そのことばの総括的なイメージが記載されますが、日本語の場合も今回の「は」について概括的な(私はこれを本質と呼びますが)説明があるものと思います。

「は」にしてもそうですが助詞の働きについては、中核となるイメージは何か、それをどう呼ぶのが良いか、そこから派生したものあるとすれば、それは何と呼ぶべきか・・・・
と考えを進め、例えば、「提示がコアで、そこから強調・対比というものが派生するのだ」といったイメージを作る事が大切なのだろうと思います。
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この回答へのお礼

>「は」にしてもそうですが助詞の働きについては、中核となるイメージは何か、それをどう呼ぶのが良いか、そこから派生したものあるとすれば、それは何と呼ぶべきか・・・・
>と考えを進め、例えば、「提示がコアで、そこから強調・対比というものが派生するのだ」といったイメージを作る事が大切なのだろうと思います。

 当方の下記の考えとよく似ているところと、ちょっと違うところがあります。
【これならわかる!? 助詞の「ハ」の使い方  教えてgoo】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12285486151.html
===========引用開始
 実態は膨大な量の例文を解析しないとわからないだろう。そんなことをしているとたいへんなので、おおまかな予想値で書いてしまう。それぞれの出現割合は下記くらい。煩わしいので「約」さえつけない。

1)主題         80%
2)対比         10%
3)限度・強調+4)その他 10% 
 だいたいこんなもんだろう。異論がある人はどうぞ。ちゃんとした統計に基づく異論があればすぐに訂正します。(←オイ!)  
===========引用終了

 中核のイメージと全体像をがないと把握しにくいでしょう。
 ただ、元々は「主題」であったとしても、「対比」や「限度・強調」になったものは、「主題」とは違う気がします。
「やってはある」の「やって」を主題にするのは異和感があります。「やってある」に【強調】の「ハ」がついていると考えるのが素直では。↑の補足のように、【譲歩】のほうがよいかもしれません。

お礼日時:2019/06/19 21:36

いえいえ、こちらこそ不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。

また、締め切るのが早すぎたように思います…。兼ねてお詫びいたします。

確かに、文脈により【対比】にもなりますね。
【やってはいる】につきましてですが、
例:
先生「なんだ、この点数は!?ちゃんと勉強してるのか!?」
生徒「ちゃんと勉強してはいるんですが…」
強調を表す【は】を付けることで、より強く弁解してるように感じられませんか?(個人的には、よく弁解・言い訳の際に使うイメージがあります)

BAとして選んだ理由につきましては、《強調には、違いないが、部分否定(部分肯定 ← 部分的に肯定する、そういうことではありませんか(後述ですが…))として括った方がわかりやすい》に着目し、そういう事だよなぁと思い、選んだ訳なのです。
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この回答へのお礼

当方は別に「不愉快な思い」などしていませんので、お詫びなんてやめてください。
 ただ、グズグズしている間にあんなことになってガッカリしただけです。

 当方の感覚ですと、「部分否定」はハの働きではありません。
 ハは強調(もしくは限定)であって、文脈が「部分否定」になるだけでは。
 しかも、「やってはある」を含めてしまった段階で「部分否定」とは言いにくいような。

 ……そう考えていたのですが、『集英社国語辞典』第2版には〈部分的な肯定の構文を作る〉とあるそうです。〈構文を作る〉のも働きのひとつということなら、ハの働きなのかもしれません。

お礼日時:2019/06/19 21:42

ほんしつ【本質】



① 物事の本来の性質や姿。それなしにはその物が存在し得ない性質・要素。 「問題の-を見誤る」
【大辞林】

ですが、個は特殊と普遍の統一であり、この普遍の側面を本質として抽象しなければなりません。■
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