電子書籍の厳選無料作品が豊富!

今現在私たちが見ている現実も、実はバーチャルの上の歴史であったという事が判明した場合どう思いますか?
この星ができた事も、恐竜がいた事も、宗教が出来上がった事も、国と国が争った事も、産業が起きた事も、高速鉄道が走り進化した事も、この国の悩みも、この世界の問題も、現実に存在していると思われる人も、そしてあなたの存在も、あなたの思考も。

質問者からの補足コメント

  • この世を構成している要素と思われるもの、なにもかにも・・・

      補足日時:2019/06/27 21:05
  • バーチャルである事、又は、そうでない事を証明できる方法、あると思いますか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/06/28 19:36

A 回答 (6件)

仏教では、「現実を認知することは無理」だと説いていますね。



因縁果報や般若心経です。

VRが成立する論理も、般若心経でとかれています。

彼らはそういう前提(=現実としての物理世界はあるが、生物としての自分達は正しく認知できない)

の上で論旨を展開しています。

現実を正しく認知できないとしても、苦と楽は体感で存在しますよね。

でまあ、何が正しいかではなく「苦」くらいは減らそうという発想です。

どうすると苦しくなり、どうすると快感が生じるのか?

そういう研究ばかりを残しています。

「そういうモノ(精神的な苦痛を減らすマニュアル)が無いよりマシでしょ?」

と言うのが仏教の割り切った考え方ですね。

短期的には快感でも長期的には消耗に繋がるものを煩悩と定義しています。

特に致命傷につながるものを三毒と定義しています。

感じたままに解釈(癡=愚かさ)をすると、必要以上に求めたり(貪)、

それが満たされないとして怒る(瞋)ことになります。

三毒は連鎖しているので、一つの症状が見られる人は、

三つ同時に感染している場合が多いでしょう。

これが人生を蝕んでいくと言う事ですね。


ここがVRであり、また異世界が有ってそちらが真実かもしれません。

もし、ここがVRならばシミュレーション(=練習)段階と成ります。

つまり、

「本番に移行したらどうなるか?」

教えていると言う事ですよね。

次の世があるとしても、いまここで何かを得ておかないといけませんよ。

そうしませんと、ここで何かを得た人に差をつけられますし、敗れるでしょう。

次も同じだと言う事です。


MMORPGでファンタジーの世界が実現されました。

世の中のシガラミを取り去って、各自が自由に行動できます。

しかし、実際は利害が生じてしまい、狩場を争そって領有権を主張するようになりました。

また、狩での貢献から差別が生まれてしまいました。

暴力に訴えるプレイヤーがおり、いやになって辞める人が沢山出てきました。

つまり、完全な自由では世界が成立しません。

最低限の社会ルールが存在しないといけません。



結局どんな世界であろうとも、

土地を奪い合う時代が到来するはずです。

その結果として、全ての土地は国有地か私有地になるでしょう。

そこで取れる資源、動物や植物は土地の所有者に帰属するか、保護動物となるでしょう。

狩りと呼ばれる行為は制限され、取れたものは全て会社か政府に納めるルールになるでしょう。

これを破った人は密猟者として裁かれるはずです。

管理の概念が生じて、学歴の高い人が高給で雇用されるようになるはずです。

暴力に関連する全てのスキルは犯罪目的として見られ、一般にも尊敬されないでしょう。

殺傷武器を携帯している人は反社会的な勢力の一員と見られます。

秘蔵をしているだけで危険人物として見られます。

魔法による治療も国家試験と免許が必要になるでしょう。

どんなに上手でも違法とされてしまい、感謝どころか訴えられるはずです。

危険な動物を倒す職業はマタギの様な伝統芸能みたいに扱われるでしょう。



つまりどの世界に転生しても、成り行きがこれしかないと言う事です。

過去の歴史が嘘であっても、大筋の成り行きが必ずこうなります。

この世界でもチートスキル(神に選ばれたような破格の才能)を持つ人は沢山います。

しかし、多くの人の嫉妬と阻害を受けるため、

能力以上にコミュニケーションを大事にしないといけません。

このコミュニケーションは道徳と呼ばれています。



個人だけが持つ高いスキルがあったとしても、

それらは禁じられているか、無視されているはずです。

他の人にも伝えて、誰もが同じ程度に扱えるものでなければ意味がありません。

そこで生きている人のやる気が無くなるからです。

これを窮屈として感じれば、いずれは犯罪行為を行うでしょう。



誰であっても、

「今生きている世界が現実じゃないかもしれない」

なんて思ったことはあると思います。

しかし、

「次があったとしても、ここで何かを得ないと、次でまた差をつけられる。

 神様がいたとしても、ろくに努力もしなかった俺を可愛がるなんて事はないだろう。

 劣等生を扱うみたいに、神に目の敵にされるかもしれない。想定しておかないと。」

これだけで今に対しては充分な理由だと言う事です。

ここでいま自信をつけながら、

ここがVRだと証明する方法を見つけましょう。

世界にVRか現実かを求めるのではなく、プレイヤー・スキルに問題を求める。


望んでここにいるわけじゃないのならば、

この世界を提供した人は、

そもそも私たちの都合に興味が無いはずです。

超越者がいたとしても、自分の望みを叶えてくれる超越者は皆無でしょう。


【答え】

「自分が存在していて、それを望んだ記憶がどこにもないならば、

 他の人の望みを叶える超越者がいたとしても、

 自分の望みを叶えてくれる超越者はどこにも存在しない。」


世界側は「ご意見無視の問答無用」という条件でベストを尽くしており、

いま私たちが経験しているポテンシャルが、宇宙全体の最大の優しさだということ。

ここがVRだとしても、ここでダメな人は他でもダメでしょう。

せめてVRであるうちに、自分を鍛えておくべきです。

本番ならなおさらです。


世界から自分が無視されており、

誰も自分を庇ってくれないと思えたら、

多分、現実か現実の真髄を極めたVRです。



以上、ご参考になれば。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

う~ん。長かった。

お礼日時:2019/07/06 15:35

うーん、映画:トゥルーマン・ショー でも実生活がドラマだったとか、


トータルリコールのバーチャル夢体験のような事ですね。

夢の中と同じ事なので、
試しに1回死んでみればわかるかもw
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2019/07/05 20:30

TPDDなどがないかぎり過去を検証することはできない。


宇宙すべての生物が記憶を持って5分前にそっくりそのままできたことを否定することはできない。
と ラッセルくんは言っていました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

タイムマシンですね。

お礼日時:2019/07/02 20:10

> 意識、自我を構成する要素も。



そこはデカルトを読んでください
この手の中二病っぽい話は多くの小説やマンガ・アニメのネタになっています
    • good
    • 0
この回答へのお礼

デカルトを読みます。

お礼日時:2019/06/28 23:11

我思う故に我あり

    • good
    • 0
この回答へのお礼

意識、自我を構成する要素も。

お礼日時:2019/06/28 19:38

そのような空想妄想はよくするもんです。


映画もあるし
それがリアルな現実だとは限りませんし特にどうとも思いません。
順応するだけです。
この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

バーチャルである事、又は、そうでない事を証明できる方法、あると思いますか?

お礼日時:2019/06/28 19:36

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!