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最近、明治期又はそれ以前など、イザベラ・バードや昔の当時の外国人のアジアへの史観
について、興味持ったので、外国人(主に欧米人)関連のアジアに関する史観というものをちょっと、調べました。
そこで疑問が出たので質問です。


①このサイトの考察は正しいでしょうか?それとも嘘まじりなのでしょうか?
 ↓
 http://www7.plala.or.jp/juraian/korrep.htm
  
 外国人(主に欧米人)の朝鮮人への史観なのですが、英語版から引用されて考察されたサイトなん
 ですが、朝鮮人というか韓国人を凄く誉めていて、外見については中国人や日本人より美貌(全体的
 に見て)又はハンサムと、そして身長体格が日本人より一回り大きいので評価が高いようです。
 明治期やその後の写真や記録映像を見たので、実際私もその通りだと思ったりもしました。
 しかし、おかしい点がいくつもあるのです。


②イザベラ・バードや外国人(主に欧米人)は最初、人を見る時、外見に優性・劣性を付け、格付けし
 ている所がありますが、外見の美醜を気にする又は潜在的な人種差別面が影響していますか?
 
 引用参照サイト(下の方に書いてあります。)
 ↓
 http://kusagusa.cocolog-nifty.com/dairy/2018/05/ …
 
 日本人の醜さは事実なので仕方ないですが、アイヌ人をかなりべた褒めしているので。
 欧米人は中身も重要なようですが、一応、外見の美醜を気にしているようなので、そ
 れも、あるのでしょうかと思って・・・。
 
欧米人にとって外見の良い条件って、黄金比率もあるかもしれませんが、以下の※の基準が
欧米人史観から見て良ければいいという事らしいみたいなので。
日本人が醜いと思われたそうですしね。
※骨格がしっかりしているかどうか、肌の張り、彫りの深さ、鼻の形と鼻根や鼻梁の太さ高さ、目の
 形と大きさや瞼の強さ、身長の高さ、体格と体型の良さ、手足の長さ、横顔から見ての良さ、顔の
 パーツや顔の形(顔の輪郭)、全体的に見ての身体のバランスの良さ、肌の色
 

③外国人(欧米人)は明治期の中国や中国人の事について、どういう史観でどう語っているのでしょ
 うか?
 
 外国人(欧米人)の日本人や朝鮮人についての事は見ますが、検索の仕方の個人の問題もあるかもし
 れませんが、ネットで調べてもあまり出てこないです。
(イザベラ・バードや外国人(欧米人)の中国の事について語った本や嘘偽りもなくただ、本当の真実の
 出来事を書いた本を読んだ方が良かったのでしょうが、視力の問題もありまして質問することにし
 ました)
 

※前よりは指摘されてなくなりましたが、まだまだなので、問題がありましたら、
 指摘してもらって構いません。

A 回答 (2件)

イザベラバードやシュリーマン等の幕末から明治初期に日本を訪ねた


方々の紀行文を数冊読みました。
その記憶から言わせてもらえば、質問者の読み方と理解にはかなり癖が
あるように感じます。

訪問者は、まず目に付いた事を記述するのが普通です。欧米人と較べて、
日本人が平坦な顔をしていて、小柄で痩せていて、平べったい胸で、暑い
日々に労働者は褌一丁*で土埃にまみれて働いている様子は、残念ながら
客観的です。
*労働者にとって衣服は高価な物でした。江戸時代には貸し褌屋が有り、
明治政府は文明化を示す為に路上での褌一丁を禁じた程です。

ただし、イザベラバードの観察眼はそんな人々の生活に向けられています。
質問で引用してある雪姉さんのHPも難があります。イザベラは牧師の娘で、
伝道に興味が有ったとしても、紹介者の言うように伝道状況の報告書を
書いたわけではありません。和人とアイヌの容貌の比較記述が有ったと
しても、それが主眼ではありません。
また理解に正確性を欠いている点も有ります。イザベラは<米沢藩だった
地域を通過している>と有りますが、米沢藩の北辺を掠めて通っているだけ
です。それで<この南の盆地は東洋のアルカディアと呼ばれる米沢が有る>と
記述しています。戊辰戦争で賊軍の汚名を着せられてまだ10年、疲弊した
会津とまだ豊かな米沢の状況をうかがい知る事ができます。
山形(上山)で特に感心しているのは、旅館の女将とその家族の優雅さと
教養です。ここで日本女性に対する認識が変った様に感じられます。

始めは、貧しさ、汚さに驚いたイザベラも、同行の一見薄っぺらで信用できない
通訳が、思いの他に真面目で律儀なのに驚かされ、仕事の終わった夕方に
集まって遊んでいる子供らを見つめる人々の優しさと温かさと平穏さに気付き
ます。(誠実さは、この後の朝鮮紀行への伏線と成っています。)
そして、物質的な富と幸福とは何なのかを繰返し問い直しています。
日本を離れる時に、彼女の日本への眼差しは温かいものに成っています。
この辺の変化を象徴的に表しているが富士山のスケッチで、到着直後と
離日直前の物には驚くほどの違いが見られます。心の変化の表れです。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei …

まわりくどい事を書きましたが<アジアに関する史観>と云う観点から
当時の紀行文を読み解こうとするのは大上段に構え過ぎで、問題が
有ります。また雪姉も質問者も外見の記述にこだわり過ぎです。

朝鮮に付いての記述は、イザベラの記述が日本訪問後ですので興味有る
ものです。外見的な点は<唯一例外なのは、男性の帽子が優雅な事だ>が
記憶に残っています。その他の点に付いては、日本と較べて厳しく絶望的に
記されています。<彼らには東洋の悪癖である猜疑心、狡猾さ、不誠実さが
あり、男どうしの信頼はない。女は蟄居しており、きわめて劣った地位に
ある。>や<朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族で
その状態は望みなしと考えていた>が全てを言い尽くしています。

他の紀行文も内容的には似た様なものでした。

質問者が外見にこだわりすぎるのも当時の紀行文を誤って読み解く事になります。

シュリーマンだと思いますが、幕末の日本を訪れて<武士と庶民は種族が
違うのかと思わせる。武士は大きく威圧的なのに対し、庶民は小柄でその態度は
卑屈である。>の様な記述があります。

イザベラが日本では武士と庶民がミックスされた明治初期の労働者を主に
記述し、朝鮮では両班階級を記述していると解釈する事もできます。

イザベラの「朝鮮紀行」を読んだのは、まだ「嫌韓」が蔓延する前でした。
その後「閔妃暗殺」等のドキュメント小説や「チャングムの誓い」等の
ドラマを見て、イザベラの観察が正しかったのを再認識しました。


イザベラバードの紀行文は一読する価値の有る連作です。
ネット検索やこんな所で質問して済ませるのは邪道だと思います。
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この回答へのお礼

なるほど・・・。
客観的なので当たり前の感想なんですね。
やはり、私が外見に拘りすぎるから、そういった視点から見てしまう為に、こういう①と②の質問をしてしまったのかな・・・。
外見とかそういう問題ではないという事なのかな。
私は色々とやはり、無知だったようですね。

教えてくれてありがとうございます。
参考になりました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2019/07/04 19:01

史観などと大それたものを語るに足る知識を私は持ち合わせておりませんが、当時の日本人(本土人)の体躯が今とはだいぶん違うことには留意しておくべきと思います。



江戸時代の平均身長は男性でも150cm台しかありませんでした。獣肉食が禁忌とされたためタンパク質不足だった、それ以前の時代より身長低かったのです。

また食生活は顔つきにも影響与えます。低タンパクな食事で育つと鼻梁が低い平べったい顔になります。
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この回答へのお礼

確かに・・・。
江戸時代は栄養状態が良くなかったしね。
その影響がその後の時代に影響しても仕方ないですしね。

しかし、食生活って顔つきに影響とは知らなかった。


参考になりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2019/07/04 18:51

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