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みなさん、こんにちは。みなさんは「小さな恋のメロディー」というイギリス映画はご存知でしょうか? この映画は 昔、日本で大ヒットしましたが、本国とアメリカでは人気が振るわなかったようです。
ところで、この映画には ダニエルが ラテン語の宿題を忘れて 先生に叱られ、
ダニエルが先生に
「ラテン語を話す友達なんか 今時 どこにもいないよ。」
と反論する場面があります。

さて、私は大学で ラテン語を少し勉強したんですが、教授が我々学生にこう質問しました。
「皆さんはどうやって日本語を覚えましたか」
数人の学友がその質問に答えた後、教授はこのように締めくくられたのです。
「我々が使っている日本語は、誰かがあなた方に話しかけたときの言葉だっり、本や雑誌などの言葉を記憶していて、必要な時に取り出せるようになったからです。」

記憶するときに、幼子でない限り、「記憶するには文字を見ながら、音声で記憶する」のは自明の理でしょう。だから、スラスラ音読できなくてはスラスラ話すことは不可能」なのです。

しかし、英語は違うんじゃないかと 思います。


というのは、言語というのは どんな言語でも最初に文字があるのではなく、文字はあとから生まれたものだからです。また、母国語を覚えるのにも、音読から覚える子供は誰もいません。


というのは、言語というのは どんな言語でも最初に文字があるのではなく、文字はあとから生まれたものだからです。また、母国語を覚えるのにも、音読から覚える子供は誰もいません。
事実、スラスラ音読できなくても、スラスラと英語を話せる移民や移住者はアメリカには大勢います。

そこで質問ですが、みなさんは スラスラ音読できることと、スラスラ話すことの関係をどのように捉えていますか?

質問者からの補足コメント

A 回答 (5件)

#4です。

お礼ありがとうございます。

>でも、これだって 必要になってくるのは 日本人全体の1割以下でしょう。
いえ、そんなことはありません。ものすごくすそ野が広いです。

たとえば医療技術者や研究者は英語による論文をかなり読む必要があります。私は有る製薬会社の研究所の関係者ですが、研究そのものは全部日本語(日本の製薬会社なので外国人研究者も基本日本語)なのに、論文や使用する分析機械などは全部英語なのです。
 彼らは英語を話す環境はほぼないのですが、英語を読む必要はかなりあります。

またドイツ車やフランス車など外国車、ボーイングやエアバスなどの航空機のマニュアルはすべて英語です。整備士などは専門学校卒なども多いので、彼らは英語が話せなくても日常的に英語のマニュアルは読んで仕事をしているわけです。
 さらに航空業界だとレギュレーションもすべて英語です。航空管制官などは決まった英語は話しても、英語での日常会話はまったくしませんし、ディスパッチャーなどは英語が話せない(日常会話ができない)でも読むことはできる人がたくさんいます。

IT業界というか、ITのものは英語が主流です。うちの息子は中学生から比較的高度なIT技術を身に着けましたが、一番の難関は「英語で書かれたマニュアルやプログラミング言語」でした
 ITに限らずコンピュータに関する仕事をしている人はかなり「英語が読めるが話せない」です
 また台湾制や中国製の部品のマニュアルなども英語のものがほとんどで、それらを組み込んでハードを作るにも英語を読むことは必須です。

このように「英語を読む必要性」はものすごい広がりがあります。とても人口の1割では済みません。特に大卒ではない、専門卒の人々が日常的に英語を読んでいる、のです。

>でも、子供がラテン語に親しむ切っ掛けにはなると思います。少なくとも、漢文の素読よりは意味はあると思います。

きっかけにはなる、というのは理解しますが、それなら漢文の素読も同じでしょう。「素読より意味がある」という具体的な証拠は出ないと思います。
しかし、子供が親しんでもラテン語の場合「発音を覚えるのは無駄」でしかありません。なぜなら「ラテン語で会話することはまずない」からです。

>極論を言えば、8割の人は英語は習わなくてもいいかもしれません。 あと、会話に限定すれば、中国語や韓国語の方が話す機会が多かったりすることもあるので、中国語や韓国語を学べる環境を提供しても いいかと思います。

これは賛成します。個人的には「小学生から英会話を習うこと」には賛成の立場だからです。その点で日本の語学教育はもう少し柔軟でもいいと思います。
ただ、英会話を優先することで「弊害がでるかもしれない」ということをもう少し検証すべきではないかと考えます。
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この回答へのお礼

>いえ、そんなことはありません。ものすごくすそ野が広いです。
phjさんのサンプリングの偏りが激しいように思います。

>「素読より意味がある」という具体的な証拠は出ないと思います。
素読は意味も分からず唱えているだけですから、全然面白味がないと思います。

>しかし、子供が親しんでもラテン語の場合「発音を覚えるのは無駄」でしかありません。なぜなら「ラテン語で会話することはまずない」からです。
いや、そんなことはないと思います。
https://9200.teacup.com/ingles_555/bbs/t9/14


尚、ここは質問サイトですので、突っ込んだ議論は 私の掲示板にて続けて頂ければ 幸いです。

お礼日時:2019/07/15 18:39

#3です。

お礼ありがとうございます。

>日本人の英語に限って言えば、後者の方が圧倒的に多いと思うんですよ。そこで、日本人が英語を学ぶには まずは耳から鍛えるべきでしょう。

それは賛成ですが、過去の経緯から言えばなかなか難しいわけです。そして現代でも日本の英語使用は話すよりも読むほうがよほど有益なのです。

実用的な英語が話せても、日本では仕事がほとんどありません。いや、もちろん仕事自体はたくさんあるでしょうが、日本国内の総生産に対する比率としては2割ぐらいしかないのです。

しかし「読む英語」に限れば、GDPには現れませんが非常に幅広くなります。たとえば
・技術者が新しい技術を読んで学ぶこと
・医師や学者が新しい論文を英語で読むこと
・貿易関係者が英語の伝票を読んだり発行すること
などです。日本の会社が日本語で回りますが、英語で新しい技術や論文を吸収するのは当たり前です。

となると「日本人にとって有用な英語は本当に話すことなのか?」という疑問が出るわけです。
もちろん、英語を「使えるようにする」という命題でいえば、話せるほうがいいし、コミュニケーションが取れるほうがいいのですが、実際に使う場面は日本人の2割ぐらいしかないのです。

となれば2割のために「話す英語の教育が重要なのか」ということを考える必要があると思います。

英語教育に関わる人の多くは「日本人は英語が話せなくて損している」といいますが、本当にそうなのでしょうか?
 たとえば1980年代のジャパンアズナンバーワンの時代は、間違いなく今より英語話者は少なかったわけですが、それでもアメリカを脅かすレベルの経済力を持つことが出来たわけです。

実際に英会話の必要性の検証はほとんどできていないのです。

ああ、誤解しないでほしいのですが、私は英語ができますし、子供たちにも英語はしっかりやるように教えています。だから保守的な「英語忌避者」ではありません。

しかし、日本の現状を知れば知るほど「本当に英会話がそれほど重要なのか」私には疑問です。

>でも、子供向けに こんなラテン語入門の動画もあります。
これは意味があるのでしょうか?
そもそもこの動画のラテン語発音が「正しい」とする根拠自体がありませんよね。

また欧米人がなぜラテン語を覚えるのか、といえばそれは古い文献にあたる必要があり、科学的な命名法などに必要な要素だからです。つまりラテン語は「話す必要性のない言語」であるわけです。

となれば、これは日本人が広く英語を必要としている理由と非常によく似ているといえます。
ラテン語は「知識の習得のための言語」であり、日本人にとって英語は「知識の習得のための言語」の割合が大きいわけです。

質問者様のご質問やURL先などを拝見していますが「英会話が必要で、そちらに重点を置くべき」ということを肯定できるほどのデータはまだない、と思います。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

>しかし「読む英語」に限れば、GDPには現れませんが非常に幅広くなります。
でも、これだって 必要になってくるのは 日本人全体の1割以下でしょう。

>実際に英会話の必要性の検証はほとんどできていないのです。
でも、英語が読めても話せければ、意見交換も全部 筆談(?)になってしまいますよね。

https://9200.teacup.com/ingles_555/bbs/357


>これは意味があるのでしょうか?
そもそもこの動画のラテン語発音が「正しい」とする根拠自体がありませんよね。
でも、子供がラテン語に親しむ切っ掛けにはなると思います。少なくとも、漢文の素読よりは意味はあると思います。

>質問者様のご質問やURL先などを拝見していますが「英会話が必要で、そちらに重点を置くべき」ということを肯定できるほどのデータはまだない、と思います。
極論を言えば、8割の人は英語は習わなくてもいいかもしれません。 あと、会話に限定すれば、中国語や韓国語の方が話す機会が多かったりすることもあるので、中国語や韓国語を学べる環境を提供しても いいかと思います。

お礼日時:2019/07/15 17:28

>そこで質問ですが、みなさんは スラスラ音読できることと、スラスラ話すことの関係をどのように捉えていますか?



全く別の能力、と捉えています。本来は全然別のもので「話せても読めない」場合もあるし「読めても話せない」場合もあります

日本語の場合、明治以前まで文章と会話文は全く違うものでした。文章を書いてそのまま発話するものではなかったのです。

質問者様が書かれているように、人類はまず発音を覚え言語を作って会話することが出来るようになりました。学説にもよりますが、何万年も前に言語は習得しているとされています。
しかし文字は知られている限り、6千年前ぐらいからでもしさかのぼれるとしても1万年がいいところでしょう

その点に置いて、英語とラテン語の違いが分かりません。現在においてラテン語は話者がいないから文字しか学習できない、英語(または日本語は)違う、と言う意味なら理解できますが、英語だけ違うというのはちょっと分からないです。

また質問者様の立ち位置は「日本語話者から見て」という大主語を省略して話しているのでしょうか
それなら(日本語を母国語とする人から見て)英語とラテン語は「ラテン語には耳から入る学習がない」と言う点において異なるとはいえます
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>本来は全然別のもので「話せても読めない」場合もあるし「読めても話せない」場合もあります
日本人の英語に限って言えば、後者の方が圧倒的に多いと思うんですよ。そこで、日本人が英語を学ぶには まずは耳から鍛えるべきでしょう。

https://9200.teacup.com/ingles_555/bbs/290

>英語とラテン語は「ラテン語には耳から入る学習がない」と言う点において異なるとはいえます
欧州の人たちも、英語は会話重視で覚えますが、ラテン語は 伝統的な文法・訳読法で学習するのが主流です。でも、子供向けに こんなラテン語入門の動画もあります。

https://www.youtube.com/watch?v=o_PvhIMs0xQ

お礼日時:2019/07/15 06:07

耳から学ぶ目から学ぶ、違いがあるかという問題は難しいですね。

保育園では年長になると小学校低学年程度の漢字を基礎に後は能力に従って漢字を含む絵本や文字だけの本にも自由に挑戦させているようです。個性もハッキリしてきて、文字獲得の早い子は言語による複雑な思考を構成することができ、獲得の遅い子は盛んに話はするが纏まった意見の発表には向かないといった違いも顕著になってきます。
文字情報は音声情報に較べて効率よく記憶され、整理されやすく、従って新しい思考の素材とすることができる、ということがあるように思います。成長の早い段階でも文字になれさせていくのはやはり大事なことなのではないでしょうか。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmet/27/sup …
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

>文字情報は音声情報に較べて効率よく記憶され、整理されやすく、従って新しい思考の素材とすることができる、ということがあるように思います。
これこそが、ラテン語と英語の違いですよ。古代のブリタニアの知識人は そうやって ラテン語を嗜みましたが、庶民の多くは英語さえ 読むことが出来ませんでした。

要は 大切なのは バランスじゃないかと。英語に関して言えば 耳からが7で 目からが3くらいが 望ましいと思うんですよ。でも、日本人の英語の学習者の多くは 耳からが1で 目からが9くらいじゃないでしょうか。

極端な例かもしれませんが、いくら、daaa-さんだって お孫さんが 年齢に相応しくない難しい本ばかり読んで、すごく頭がいいのに、人見知りが激しく、おまけに 吃音症で お友達と楽しくお喋りできなきゃ、 悲しいですよね。

お礼日時:2019/07/12 16:18

孫を見ていて思うのですが、車好きでよくユーチューブを見ながら、きゅうきゅうしゃパトカーごみしゅうしゅうしゃロードローラーとうかいどうしんかんせんはやぶさパワーシャオベル・・・等と発声しています。

まだ文字には関心が無く、TVから出る音声のみ真似ています。
一方、保育園の方では、あいうえおの文字を見せ次第に読めるように訓練もあり、1頁10文字程度の絵本も読み聞かせたり自分で読ませたりというような事を目標に教育を進めているようです。

で、最近思うのですが、耳で聞き鸚鵡のように口から発声するだけでは、音声は落ち着きません。舌が回らない唇が上手く使えない感じです、これは、あ、い、う、・・を音素として意識できていない、「きゅうきゅうしゃ」で一塊だからなんですね。ひらがなの音をアイウエオ順に覚え、その上で、それを組み合わせる感じで、「お・か・あ・さ・ん」と言うのだ、という意識にはまだ遠いようですが、それでも文字を取り入れることは孫の発音や語彙、はては多数の単語を繋いで文章とする、というような次の段階に進むには極めて重要だと思った次第です。
パワーシャオベルは土を掘ってダンプカーに積み込む、とか、ハヤブサは仙台駅で小町に連結される、とか口に出していますが、まだまだ、それ全体が一塊の音です。が、積み木に書かれたひらがなを並べて「こ・ま・ち」と読み、「ああ、新幹線こまちだあ」とか喜んでいるのをみると、文字も併行して学ばないとダメだと思う次第です。
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この回答へのお礼

いつもお世話様です。

お孫さんも いちばん かわいい盛りですね。
https://www.youtube.com/watch?v=Is5r1DPLX8s

>舌が回らない唇が上手く使えない感じです、これは、あ、い、う、・・を音素として意識できていない、
違いますよ。幼児が言葉を覚えるのでって、男女でも多少の差がありますが、話せるようになるまでには、ものすごい量の日本語を耳で聴いているんですよ。これは 口がまだ追いつかないだけで、耳では細かい音の違いを認識しているものです。ただ、音素というのなら、英語やフランス語なら 母音と子音が最小単位ですが、日本語だと 音節が1つの単位になっていますからね。

それと、揚げ足をとる意図はありませんが、「単語」の概念も 英語と日本語とでは違うようです。

https://9200.teacup.com/ingles_555/bbs/t1/l50

お礼日時:2019/07/11 11:05

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