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二十三日に厳かな宴を催してくれた八木のやすのりさんについて、「国府で必ずしも仕事を言いつけて使う者でもないようだ」と書かれていますが、実際には、どういう人だったのかが気になるのですが、何かわかることがあれば教えて下さい!

A 回答 (2件)

岩波書店の「新日本古典文学大系24」の脚注によると「伝未詳。

土佐の土豪か。」となっているので,はっきりとした説はないようです。
ただ,名前がはっきり書かれていること,国守に別れを述べに来られるだけの地位にあること,すぐ後ろの文章で紀貫之が「八木」さんをほめていること,ある程度の餞別を出していること,などからして,朝廷から任命された人ではないにしろ,地元の力のある人物だと考えられるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になりました。

お礼日時:2004/12/20 00:53

二十三日。

八木のやすのりといふ人あり。
この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり。
【国府】
平安朝は全国66か所に国府を派遣しました。
平安時代の国司の仕事は戸籍づくり、班田の収受、
軍政、裁判、寺社の管理、祭祀などその国を統べる一切の権限を委ねられていました。
そうした仕事とは別に、京への貢物確保も一番の大きな役割でした。
そういった仕事を現地出身者の属吏がしていました。
【豪族】
「八木のやすのり」という人は属吏ではなく、
国司に協力する地域の有力者、豪族の一人でしょう。
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この回答へのお礼

なるほど・・・。参考になりました!

お礼日時:2004/12/20 00:50

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