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努力について考えを教えてください。

A:努力は裏切らない、努力すれば必ず報われる。

B:努力しても報われない、頑張れば成功するとは限らない

どっち派ですか?
僕は、勉強とかスポーツとか、自分の中で完結するものはA、恋愛とか出世とか、他人の評価で結果が変わってしまうものはBという考えです。

A 回答 (14件中1~10件)

「天賦の才」と言うのは必ずあって、それは努力だけではかなわない。



将棋で努力したら羽生に勝てる訳ではない。野球で努力したらイチローに勝てる訳ではない。

しかし、「努力したら誰でも到達できる」レベルと言うのはある。昔の人は良く考えたもので、将棋でも囲碁でも柔道でも書道でも「初段」と言うのがそれで、誰でもきちんと努力したら絶対に到達できるレベルと言うのが「初段」。初段になれたからと言って五段や六段になれるとは限らないが、初段になれれば、そこそこ世間では「できる人」として見てくれる。全人口のトップ10%以内くらいのイメージ。10人くらいの集団なら、その中でトップになれる。

しかし、100人、10000人、1億人の中でトップになるのは、それに応じた才能が必要。
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出来ればAを願いたいですね。


私は努力を否定しません、やはりこれなしに成功も人類の発展もありえませんから。

しかし、仮にBだとしてそれに一切の価値がないとどうして言い切れるのでしょうか?
努力の量にかかわらず成功する人はしますし失敗する人は失敗します。
でも人はなぜかAの方を「沢山努力したから」Bを「努力が足りないせいだ」と思い込むのです。

これは「努力の対価が平等に支払なければおかしい理不尽だ」と妄信してしまうからです。

努力の対価は平等ではありません、どんなに努力しても実らない人は大勢います。
「勝ち組は努力の結果、負け組は怠慢のせい」
この余りにも」単純な二極化に走っている世の中には疑問を禁じえません。
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私には、誰もが自分が生きるために努力しているという前提があります。



何故、努力が報われる時と報われない時があるのか?について考えてみると。

努力が報われる時は、以下の条件が満たされている時。

自分の能力(自分ができること)に対して努力している。
自分が好きな事に対して努力した結果がでた。
自分の努力が世間の評価が得られた。
自分の努力で、富を得られた。

>A:努力は裏切らない、努力すれば必ず報われる。

大抵の人は、自分の能力(自分ができること)に対して努力している。そういう意味では報われています。
自分が好きな事をしていない人は、報われていないと感じている。

>B:努力しても報われない、頑張れば成功するとは限らない。

自分が好きな事に対して努力しても、自分の能力が他人より劣っているならば報われない。
自分の努力が世間の評価が得られるかどうかは他人に依存しているので、他人を巻き込むカリスマ性やコミニュケーション能力の問題である。
自分の努力で、富を得られた。としても、他人にとっては妬みに対象になる場合がある。

結論として、
努力が報われるための最低条件は、自分の能力(自分ができること)に対して努力すること。
そして、自分の能力を好きになること。他人とのコミニュケーション能力を磨くこと。
自分が生きている時に来る運、(すなわち、必ず勝てるタイミングを逃さないようにすること。あるいは、自分を認めてくれる人達との出会いや支援を逃さない。)
成功した場合、他人のおかげであると思い他人に感謝の言葉を発信して、他人の妬みを買わないようにする。
他人の努力を認めて、自分の努力を認めつつも、無理をして病気にならないようにする。
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面白いご質問だと思います。



私も常々考えておりまして、他の回答者さんがした意見のどれも真実だと

信じたことがあります。

しかし、それでは真実が幾つもあり、納得できませんよね。


こうした事柄から、一つだけ言えること。

それぞれの方が実体験から語っているならば、

「努力して報われる人と、努力しても報われない人がいる」

と言う事ではないでしょうか。


全ての人に当てはまる答えは無く、

努力しても報われないという人は、努力しても報われない性質があり、

他の人の参考には成らないでしょう。


もしかすると、

「自分が『報われる方』に所属しているかもしれません。

 それなのに諦めていたら、勿体無いです。

 だから私は努力します。」

と言う人がいるかもしれません。


しかし、所属していないかもしれません。

その可能性を考えて、

「やっても確率が低いんだったら、やらないほうが得だよ?」

と言う人もいるかもしれません。


つまり、未来において、成功の保障がないとき、

二通りの考え方ができてしまうんです。

大概において、誰もが望むことは同じであり、互いに譲らなければ競争になります。

ですので、私は私以外の方が全て、後者(報われない可能性を考えて諦める方)

で考えてくれると嬉しいと思っています。

そうであれば、努力しないでも勝てるかもしれません。



才能が飛びぬけている人がいたとします。

これを見て、

「凡人がいくら努力をしても無駄だ」

と言う人がいたとします。

私はこう言う状況になると、やる気が出てきます。

チャンスです。

なぜかと言うと、才能のある人を見て諦める人が続出するからです。

私が凄いわけじゃない。

でも、その恩恵(ライバルを諦めさせて脱落してもらう)は才能のある人、

と同じですよね。


それこそ、必死に努力して負ける姿を皆に見せますよ。

こう言うときほど本気で負けに行きます。何回もです。

その「飛びぬけて才能のある人」の力をアピールするためです。

そして、

「勝てないかもしれない。

 だけど、努力が報われる事があってもいいじゃないか?」

とか言っちゃうかもしれません。そして涙ぐんだりするかもしれません。

共感する人もいるかもしれませんが、

大概のヘタレている人は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出しますよ。

負けた甲斐があったというものです。



さて、何故? 

「自分の力を見せ付けないと、いけないんでしょうか?」

逆転の発想で、

「自分が負けることで、誰かの強さを見せるける」

ことは出来ますよね。

前者も後者も、効果は同じなんですよ。

自分が全く叶わない人の力を、自分以外の人に見せ付けて、

諦めてもらっても良いわけです。

この方法ならば、いつでも使えますよね。



以上から、結局やる事は、何時も同じ。

自分が弱かろうと、他の人が強かろうと、諦めずに努力をする。

必ず辛抱ができず、諦める人が出てくる。

そのとき、報われるんです。


努力しても報われない人と言うのは、成功の保障を求める人。

努力をして報われる人と言うのは、そう言う人に目星をつけて、

その人が逃げ出すまで頑張ろうと決めている人です。

前者の人は、

自分が参加した時点で、他の人の成功を保証しています。

これでは運すら味方になりません。

作戦負けなんです。


ですので、

「ヤバイと思ったら早く逃げよう。」

と言うのは賢くありません。


では、どうして初対面の人に(逃げ出す側だと)見切られてしまうのか?

普段の言動でしょう。

そういう匂いと言うか、雰囲気を出しています。

ちょっとした不公平があると、攻撃的になって糾弾しているはずです。

「なにそれ? どうして? 結局、・・・ってこと?

 はい。・・・乙。無駄な努力おつかれさま。」

見たいな態度ですね。



こういう駆け引きがあるからこそ、

「努力は必ず報われる」

と唱えるしかないんですよ。

誰かが、これに反論してくれれば、ありがたいというだけです。


ご質問の様に、A)かB)の様に絶対の法則があるわけでもなく、

ましてや運命があるのではなく、

努力をしていれば、「努力が報われないと言って逃げ出す人」が必ずいるので、

そう言う人が出てくる事で、自分の努力が報われる場合が多い、

と言う知恵があるだけでしょう。


競争をする時は、不満が多い人を相手にし、自分の努力をアピールする。

何か大事を為す時は、不満が少ない人を味方にし、自分の勝算と計画をアピールする。

こういう発想が無ければ、努力をしても報われない側にいると思いますよ。

これが私の答えです。


以上、ご参考になれば。
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№7の回答者です。


№7の回答は一つの視点で極論を言っているため、誤解されていると思いますので、補足回答します。

入試や学校での試験では努力が全てだと思いますが、いろいろと言い訳している人が多いように感じます。運・不運が0とは言いませんが、これもまた言い逃れで、全ては本人の努力が足りないからだと思います。私の経験から言うと、ギリギリのところで努力している人にだけ、運・不運が顔を出すような気がします。

本田宗一郎の名言には、「努力を努力として価値づけるには、そこに創意と工夫が伴っていなければならない。」というのがあります。

大きな目標の場合、他人の何倍努力してもかなえられないこともありますが、努力したこと自体はけっして無駄ではありません。その時はわかりませんが、何年か後に必ずわかります。

最後に、NHKのドキュメント72時間という番組で、東京の冬のたい焼きやさんを舞台にした回で、20年前に娘を失くした母親の言葉は、どんな偉い人の言葉よりも秀逸だと思いましたので、紹介します。
「自分の人生に起こったことは豊かなことだったと思えるようになりました。」
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歴史のすべてAで成り立っています



Bを選ぶ人は、Aを選んだ人の努力の恩恵をうけているだけです

そしてまた、新しいAが出てくるのを待っている
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この回答へのお礼

力強い回答ありがとうございます

お礼日時:2019/08/05 18:34

どっち派ですか?


 ↑
努力しても、報われるとは限らない。
しかし、努力しなければ報われることは
無い。
努力以外に方法は無い。




僕は、勉強とかスポーツとか、自分の中で完結するものはA、
恋愛とか出世とか、他人の評価で結果が変わってしまうものはBという考えです。
 ↑
これは優れた考えですね。
事実はどうあれ、説得力があると
思います。
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この回答へのお礼

努力以外に方法はない。
確かにそうですね。
天に祈ったところで効果ないですね。

お礼日時:2019/08/05 16:58

努力すれば報われるとか、努力したのに報われない、と考えることが理解できないし、バカじゃん、と思います。



我々普通の人は、どんなに努力しても100mを10秒で走ることはできません。こんな簡単なことがわかるのに、何故、他の事だったら努力すれば報われると考えてしまうのか、私には全く理解できません。

 努力を苦労して頑張って取り組んでいる姿、と捉えている人は多いと思いますが、実は違うのではないかと思います。
私は、その人が努力していると気づかずに夢中になって取り組んでいることが努力そのものなのではないかと思います。

前の職場で40歳以下の若い連中に良く言っていたのは、「ノウハウとは、他の人が苦労してやっていることを、君がいとも簡単にやってのけていることだよ。」デス。

努力はノウハウと似ていると感じます。

なお、報われる、報われないには、ほとんど単なる偶然にすぎない運・不運に大きく左右されていると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
報われる報われないは運不運に大きく左右されますよね。

お礼日時:2019/08/05 16:57

基本的にすべてB、努力というのはむしろ徒労のことを指し


スキルアップのために自分を向上させることは努力ではなく基礎練習。
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この回答へのお礼

なるほど、そういう考え方もありますね。

お礼日時:2019/08/05 16:56

基本は「A」だと思うけど、最近の人は、全然努力していないのに、カッコだけ努力したつもりになって結果がでないと言っているケースはあると思う。


 その実態からすると、「B」になると思うけど、結果を出す人は、天才といわれている人が必死に努力しているケースが多いから、努力しないと、報われるほどの成功はないと思う。
 「成功」という価値観に個人差があるから、悩ましい設問ですね。

 実態に基づいて、賛同が得られる設問は、きっと・・・
 「A」は、努力は裏切らない、その努力した範囲にのみ、必ず報われる。
 「B」は、努力しても報われないこともある、必死に努力すれば成功する人は多いが、中途半端な頑張りでは成功まで行きつくことができるとは限らない。

 変に小理屈をひねっているだけで、回答ないならない。申し訳ない。
 因みに両方とも「有り派」です。
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この回答へのお礼

頑張り抜けてボーダーを越えれば成果でますけど中途半端な努力だと報われないですね。

お礼日時:2019/08/05 16:56

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