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久しぶりに読みたくなって、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を手に取りました。

キリスト教のことや、ロシアのことについて知識は全然無いのですが、それなりにおもしろく読みました。

ただひとつわからないのというかしっくりこないのが、アリョーシャに「大審問官」を語った理性人のイヴァンが、ドミートリーの裁判の直前に人格が壊れていくところです。スメルジャコフとの会話が引き金になっているようですが、冷静な無神論者のアイデンティティを崩壊させたものは何だったのでしょうか?

ちなみに私が読んでいるのは、米川正夫訳の岩波文庫版です。

A 回答 (1件)

以下は文学的な分析ではなく、本の所感ですが、どうかお許しください。



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『大審問官』の話のとき、「神はいない。ゆえに全ては許される」
といったイヴァンが、フョードル殺しの種明かしをする
スメルジャコフに向かって「そんなこと、神が許さない」と言う
シーンがあります。このときピンときました。

人はわかりやすいように、神と悪魔、善と悪という
二元的なものの見方をしますが、現実はそんな単純ではありません。
ヘッセの「デミアン」のうけ売りではありませんが、
神は世界の全てを含んでいて、
その世界の一部である私たち人間も全てを含んでいる。
しかし単純に人間が栄える(良く生きる)ためには、
押さえ込んだほうがよい性質がいくつかある。例えば残忍さ、卑怯さなど。
人間はこれをわかりやすく、押さえつける理性を神とよび、
押さえつけられる本質を悪魔と呼ぶのでしょう。

イヴァンは「理性」の源泉である明晰、明朗な判断を鍛えたかった、
つまり、従来のロシアの神には懐疑的でも、
それに代わる神を見つけたかったのではないでしょうか。
しかし純粋に理性だけ磨いていくと、
取り残されていくもの、取りこぼされていくものがあるということを
スメルジャコフが暗示しているように思えました。

最初に戻りますが、
「全ては許される」の中には、「殺人も許される」が含まれていて、
スメルジャコフはイヴァンによりそれを許可されたとほのめかします。
「そんなこと、神が許さない」の「神」は、もちろん
イヴァンの拠所(アイデンティティ)である彼の「理性」です。
彼の「神」は、スメルジャコフを理解できなかったのです。

> イヴァンの冷静な無神論者のアイデンティティを崩壊させたものは
> 何だったのでしょうか?
イヴァンの「神」へのアプローチからくる、
殺ぎ落としていったがゆえの自分自身の脆さと
殺ぎ落としたいったものからやってくる衝撃
ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自分の中でもやもやしていた部分が、回答者さんのご説明で大変スッキリしてきました。
特に「従来のロシアの神には懐疑的でも、それに代わる神を見つけたかったのではないでしょうか。」という点はすごくわかるような気がしました。
ロシアの神には否定的でも、人間の生き方の規範のようなものを志向していないはずはないし、そうした理想(と呼んでいいのかわかりませんが)に純粋であったがゆえに、自我が崩壊するような衝撃を受けざるを得なかったのですね。
もしかしたら、回答者さんの仰ったことは、私自身感じ取っていたことなのかもしれません。だからこそ、21世紀の日本人である私にも、この小説がおもしろく読めたのでしょう。

ヘッセの「デミアン」も大変おもしろい小説ですよね。私自身も思春期に読んで、感化されると同時に大きな衝撃を受けた作品です。

大変丁寧で誠実な回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/16 22:30

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