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《無い神はある》と主張し続ける輩がおります。

これについて《無い神はある》なる表現は間違いであることを、これまでに何度も注意を促してきましたが本人はこれを哲学的に正当な表現であると勘違いしているよーなのであります。

《無い神はある》は間違いだらけである。

1.そもそも日本語の用法として間違いであること。これは明らかなはず。
2.論理矛盾であること。
3.哲学的にも意味不明であり、この表現に何らのメリットも存在しないこと。

無神論を言いたいのであれば、単に「神は存在しない」と言えばよいのである。
それを《無い神はある》などと言ってはダメと注意しています。

何故このよーな物言いがダメなのか。
ただでさえ今の世の中判りにくい世界に成りつつあります。
人々はお互いに騙し合う世の中になりつつあります。
様々なイカサマが姿を変え、形を変え我々の前に現れてきております。
仮にこのよーな物言いが一般にまかり通ったとしたら、この世の中はいったいどーなってしまうのかということも考えて頂きたい。
本質的に何か共通項があると感じているのです。
このあたりで1つハッキリさせたいと考えております。
皆様の考えを聞かせてください。

A 回答 (24件中1~10件)

「無い神はある」には、とりあえずは2通り(もっとあるかも知れません)あるでしょう。



ひとつは、他の方も触れている「無い神」の存在です。
「無い神という神が存在する」ということです。

もう一つは、「無い神」という概念の存在です。
「無い神」という考え方や、もっと言えば「無い神という言葉は存在する」ということです。

「無い神は無いのだからその様なことを言ってはならぬ」のだとすると、そもそも「無い」は「無いのだから、神に限らず言ってはならぬ」になります。
「0」は、無いことを意味する数字です。
数字と言うより記号のような気もしますが、「0」は「何も無いことを意味する」にもかかわらず、「0」という数字は確かにあります。
何も無いはずなのに、確かにあるのです。

科学的思考を身に付けることをお勧めします。
科学の基本は、全ての可能性を排除しないことです。
「○○は間違い」や「○○は真実」のような断定は、非科学的です。
例え現代に置いて「これが科学的真実」とされていることであっても、それが将来にわたって「科学的真実」であり続けられるかなどわからないのです。
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この回答へのお礼

>もう一つは、「無い神」という概念の存在です。
「無い神」という考え方や、もっと言えば「無い神という言葉は存在する」ということです。

どんな好き勝手な表現も表現として許されるというのは賛成できませんね。
それは単なる言葉の荒れを生むにしか過ぎない。
例えばのはなし学校の先生がたがところ構わずこんな物言いを平気で使ったとしたらこの世の中はいったいどうなりますか。
そんなことも考えてみてはどうですか。

お礼日時:2017/10/17 17:11

文部科学統計要覧(平成27年版):文部科学省


http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/135 …
上記の学校教育総括によると、平成26年(2014年)5月1日現在の日本の幼稚園から大学院までの教育機関でフルタイムで働く教員は1,341,642人です。
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>「件数が多く(この関係記事だけで200件以上)いちいち書けませんのでよろしく。


件数の多寡など無関係です。
「件数が多く(この関係記事だけで200件以上)いちいち書けませんのでよろしく」は、そもそも馬鹿げた主張です。
あなたのご希望により、「https://matome.naver.jp/odai/2133812398163622401」は、ざっと見ましたが、それをあなたは本当に見たのでしょうか?

あなたが教員ついて書いたそもそもの話は、「最近は相当に気の狂った輩も多いですよ。そんなことはテレビや新聞で毎日取り沙汰されている教員の不祥事を見れば分かります」です。
あなたは、私の書いた「普通の教員」という表現に対して、「最近は相当に気の狂った輩も多いですよ。そんなことはテレビや新聞で毎日取り沙汰されている教員の不祥事を見れば分かります」と書いたのです。
つまり、私の書いた「普通の教員は」という話に対して、あなたは教員について「最近は相当に気の狂った輩も多い」と書き、その主張を裏付ける証拠として「テレビや新聞で教員の不祥事が毎日取り沙汰されている」と書いたのです。

ここまで何度もあなたに聞いているのは「気の狂った教員の不祥事を毎日伝えている新聞社名とテレビ局名」です。
今更惚けても無駄な話です。
そもそもあなたは、私の書いた「普通の教員」という表現に対して「最近では相当に気の狂った輩も多い」と書いたのです。
ここで問題なのは「教員の不祥事の多寡」ではありません。
肝心なのは「気の狂った教員」による不祥事が、「毎日報じられているかどうか?」です。
あなたの言うところの「200件もある」をざっと見たところ、いきなり、1ページ目から、「気の狂った教員」と言うような記述はありません。
あとは見る気にもなりませんでしたが、その200件の中に「気の狂った教員」という記述のある記事は、本当にあるのでしょうか?
そしてその「200件」は、あなた自身が「記事」と書いていますから、新聞なのでしょう。
では、テレビの件はどうなったのでしょうか?

「新聞とテレビが、気の狂った教員の不祥事を毎日伝えている」とあなたが書いたから、「ではその新聞社名とテレビ局名を明かしてください」と言っているのです。
あるはずが無いからこそ、聞いているのです。
もしかすると、何故「あるはずが無い」なのか、あなたにはわからないのでしょうか?

まともな新聞(東スポも含みます)やテレビ局であれば、「気の狂った教員」などというような表現は行わないのです。
例えば、テレビで出演者がうっかり「気の狂った教員」のような発言をした場合、即刻訂正と謝罪が行われます。
診察の結果、犯人の精神病が確定しているような場合であっても、「気の狂った犯人が無差別に殺した」というような表現は使いません。
にもかかわらず、堂々と「気の狂った教員が起こした不祥事」などという記事を掲載している新聞社やそう報じているテレビ局が、しかもそれを懲りもせず毎日行っている新聞やテレビがあるなら、是非ともその名前を列挙してみてください。

この件は、あなたによる新聞テレビ各社に対する名誉毀損と言う可能性を感じます。
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>こんなことする人間がもともなんですか?


こんなこととはなんでしょうか?

私は、あなたが書いた「気の狂った教員の不祥事を毎日伝えている、新聞社とテレビ局名」を開示するよう求めているのです。
あなたが「新聞テレビが、気の狂った教員の不祥事を毎日伝えている」と書いたのですから、どこの新聞社とどこのテレビ局がそれを行っているかは、即答出来るでしょう?
「気の狂った教員の不祥事を毎日掲載している新聞社や、その内容を毎日放送しているテレビ局はどこですか?」という質問を、私は既に3回行っており、それを質問するのはこれで4度目です。
「新聞とテレビが、気の狂った教員の不祥事を毎日伝えている」とあなたが書いたから、「ではその新聞社名とテレビ局名を明かしてください」と言っているのです。
それが本当にあるなら、新聞社名とテレビ局名を書けば済む話ですし、そんなものは無いということならば、「私は嘘を吐きました」です。
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この回答へのお礼

新聞社名等については、例えば↓の関係記事であれば、出典欄に書かれていますので見て下さい。

https://matome.naver.jp/odai/2133812398163622401

出典 「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 」(○○新聞) -△△△△ニュース
の形式で表示されていますよ。

件数が多く(この関係記事だけで200件以上)いちいち書けませんのでよろしく。

お礼日時:2017/10/20 14:38

無い神、見えないからないのと同じ実は存在している、科学的に証明できないから無いだけど有る、宗教とは信じること、同僚が信じていたら何も言えない!あらゆる宗教を否定することになる、本物の神を知ることが大事。

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>だいたいまともな人間がそんなことできるわけないってくらいは少し考えれば分かることでしょーに。


「だいたいまともな人間がそんなことできるわけないってくらいは少し考えれば分かること」であるとすれば、それを書いたあなたは「まともではない」と言うことになりそうです。
ご本人が告白されていますから、私の『「あなたこそが気が狂っている人」という可能性が、急激に上昇中です』は、「的中」と言うことのようです。

それからあなたが繰り返し書いている指摘ですが、あなたの妄想です。
私が教育と関係を持っていたのは、学生時代のみです。
もっぱら「教育を受ける立場での関係」でしかありません。
どこからそんな発想が生まれたのかは不思議ですが、根拠なく思い込む癖があなたにあるのかも知れません。
注意された方が良いでしょう。
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この回答へのお礼

https://matome.naver.jp/odai/2133812398163622401
http://news.livedoor.com/article/detail/13512089/
http://news.livedoor.com/article/detail/13638945/
http://news.livedoor.com/topics/detail/13568485/
http://news.livedoor.com/article/detail/13595623/
http://news.livedoor.com/article/detail/13522241/
http://6741teacher.seesaa.net/
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こんなことする人間がもともなんですか?

お礼日時:2017/10/19 17:51

ひとはいろいろなバランスをとって生きています。



それらのバランスがうまく取れているとき、ひとは健康で、むしろ返って健康に関して無関心・無意識的になります。

もちろん、うまくバランスの取れている状態が完全な健康ではない場合もありますが、このときその人はうまく自分が小病小悩であることから意識が離れて、病や悩みから離れてものごとを(ありのままに)眺めることができないでしょうか。

ひとりひとり、それまでの体験経験がその人の考え方にクセを与えているかもしれませんが、(なんらかの真実)を探求したいとき、ひとは(できるだけありのままに眺めよう)とします。

ぼくも(ない神はある)の表現でうまく納得できないところがあります。

(慈愛にみちあふれた神)を信じることをこどもが母親の乳をのむようなものとたとえるなら、
(いまにもここを去ろうとする神)を信じることはどうにか神をひっ捕まえて大声を張り上げながら、神を揺さぶりながらわたしの求めを聞いてくださいと願うものと表現されると思います。

このどちらも(信)として考えてよいとするなら、この中間はどのような人がどのような神をどのように祈り、神はどのように人にはたらくでしょうか。

わたしには病も悩みもないわけではありません。病や悩みはあってもこれに縛られているだけではなく、こころを定めて何かを探求するだけのことはできそうです。こころを落ち着かせて、ありのままを眺めるトレーニングだけはしてきたつもりです。どうかわたしに真理探究の仕事を分け与えていただけませんか。

中立の神よ、ただわたしを見守っていてください。


その(中立の神)でもわたしたちのいのちの営みを営々として営み支え、世界を包んでいるように思います。

(はたらいているのだがはたらいていることを気づかせない神)あるいは(ひとの意図にははからわない神)あるいは(だだ見守っている神)というと良いでしょうか。
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無神論の考え方を無い神があると考えることだとするのは誤っている。

という質問者の主張は正しいです。無神論っていろいろあるみたいだからです。下記のウィキペディアの無神論のページからいろいろあるみたいだと思いました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%A5%9E …

丸い四角が論理的に成立しないように、無い神があることは論理的に成立しない。だから、無い神は存在しないと言いたいんじゃないかな。そして、無い神が宇宙を指すとすると宇宙は存在しないってことになるのでおかしいと言ってるんじゃないかな。
      有る神↘
   アルケーの神→宇宙   矢印:-は-である。
      普遍神↗ ↑?
          無い神  
有る神はあるは論理的に成立する。有る神は宇宙である。宇宙はある。
アルケーの神はあるは論理的に成立する。アルケーの神は宇宙である。宇宙はある
普遍神はあるは論理的に成立する。普遍神は宇宙である。宇宙はある。
でも、無い神はあるは論理的に成立しない。無い神は宇宙ではない。宇宙はある。と言いたいんじゃないかな。
論理的に成立しないものが存在することはないというのが前提の話なんじゃないかな。
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まあ、素朴集合論さえ理解でけん輩だから、大目に見てやる事です。

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>例えば、こんな感じで他にも無限に出てきますよ。


私が聞いているには、気の狂った教員の不祥事を毎日伝えている、新聞とテレビ局名です。
一応念のために書いておきますが、それは「単なる教員の不祥事」ではありません。
「気の狂った教員の不祥事を毎日伝えている新聞社名、テレビ局名」です。

私の想像では、「気の狂った教員の不祥事」がそれほど頻発している場合、多分全国紙や、テレビであればNHKは日々それを報道し、尾木直樹さん辺りも大忙しだろうと思います。
ところがそうした不祥事は、「気が狂ったわけでは無い教員の不祥事」ですら、所謂「全国紙」では滅多に見受けません。
NHKでも滅多に見ません。
民法各局に置いても、「気の狂った教員の不祥事」どころか、「教員の不祥事」ですら、「毎日」など見かけません。

多分ですが、あの東スポであっても、「気の狂った教員の不祥事を毎日報道」は、ないでしょう。

教員の不祥事はたまに報じられますが、それについて「気が狂っている」というような論評はありません。
そもそも「教員の不祥事がテレビや新聞で毎日報じられている」という事実はありませんし、ましてやたまに報じられる教員の不祥事について、「気が狂っている」などと報じるとすれば、それは、報じた記者やその上司こそが「気が狂っている!」と社内で叱責されるでしょう。
「あなたこそが気が狂っている人」という可能性が、急激に上昇中です。
そうした疑念から逃れる為には、「私は嘘を吐きました」が有効でしょう。
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この回答へのお礼

だいたいまともな人間がそんなことできるわけないってくらいは少し考えれば分かることでしょーに。
でもおよそ察しがつきました。
あんたは教育現場の関係者なんだね。
では説明してくれ、なんで学校は気狂いばかりの集団になっちまったんだ。

お礼日時:2017/10/18 17:38

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